ツインレイに出会い、5年で変化したもの

レイキやチャネリングにご興味がある方、お気軽にどうぞ。
Kindle版
さよなら、ツインレイ
当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。
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現実はほぼ無変化だけれど、精神は前取り換えしたレベルで大変化だよ。
これぞまさに心を入れ替えた。
5年前。そう、彼との出会ったとき。
あのときの私はとても孤独で「私はすべての人を救うことは出来ないけれど、たったひとりの孤独は癒せる」と思った。だから私は「あなた」を探し当てることができた。
今は「あなたに出会いたい」という純粋な思いだけでここにいる。
あのときの私は光の粒が見えていて、奥歯が虫歯で砕けて、親知らずを抜くことになった。私は歯医者が怖くて、とても緊張していた。
今の私も光の粒が見えていて、再び、奥歯が虫歯で砕け、これを機に親知らずを抜くことになった。今の私は歯医者でも緊張せず、治療を受けている。ひとりでも大丈夫。
あのときの私は子供を産むことにも、母親になることにも不安があった。彼と話していても、子供のことは二人して( ´・ω・`)出来そうにないかも・・・・・・と、不安がってた。
今の私は、自己統合をしまくり、子供だった時の自分を思い出して、子育ても大丈夫だろうと思えているし、母親にもなれるだろうと思えている。
あのときの私はブロガーだった。Kindle本も発行して、お小遣い稼ぎをしながら過ごしてた。あのときのブログは消し去られ、今のブログが立ち上がった。
今の私は当時は滅多に書かないようなブロガーだったけれど、今は毎日ブログを書き続け、前回のブログの5倍ほどの記事数を誇っている。
ほかにもレイキヒーラーとしての仕事もいただけるようになって、レイキっていうエネルギー療法も趣味のひとつになった。私は前回と違い、肩書きが生まれたのだ。
きっと今ならば、時間の過ごし方が変わっている。
あのときの私は「これからは素粒子物理学の時代だよ。見えないものが重要になってくる」と言っていたように、私はエネルギー療法を重要視するようになった。それがレイキだった。
あのときの私は、あなたを探し出そうとしていて、率先的に出会いを求めるべく動いていた。
今の私は、あなたを探そうとは思わない。探して見つける必要性もないからだ。新しい出会いを求めることは、彼の代替え品を探しているようにも感じられてしまう。
あのときの私はいつだって不安と恐怖で怯えていた。気づかれないように意地を張っていたのかもしれない。だから分離していた。
今の私は不安と恐怖を受け入れ、統合意識へと近づいている。
あのときの私は、すべての人は救えないと思っていた。でも、今ならば、私のレイキの力で、みんなのことを少しだけは助けてあげられるほどになれただろうか。
あのときの私は、彼に逢いに行くことが出来なかった。コロナだったってこともあるけれど、逢いに行くことを彼も望んでいなかった。私は男性不信だったし、恐怖症だったし、私は男性とそもそも結婚をすることが望めないような精神状態だったのだ。
今の私は、恐怖症も、エディプスコンプレックスも克服し、きっとあなたと会うことが出来る。出会うことが出来るのだ。
あのときの私は龍をみることができなかった。今の私は龍を見ることができるけれど、これになんの意味があるのかがわからない。
あのときの私は誰かと対等な関係性を持つことができず、関係性は常に優劣的なものでしか得られなかった。どちらかが上で、どちらかが下でしかない。
今の私はマウントをされても『対等』に持ち込めるようにもなった。優劣を超えたのである。平等という比較の世界を抜け、善悪ではなく、よりマイノリティとしての判断力を手に入れたのだ。
あのときの私は誹謗中傷を恐れ、怯え、逃げ回っていた。今の私は、行動力を持って、法の下で相手と向き合う気持ちをも手に入れることができた。
大人と子供の違いを理解し、私はより社会的な存在へとなった。
あのときの私は、化粧品の自分に合うものを探すことが出来ていなかった。自分がどれを望んでいるのかがわからなかったのだ。
今の私は、自分が望む化粧品を買うことが出来るようになった。
私は5年前とはまるで違う人間になった。
サイレント中に発症した、統合失調のような症状、妄想や迷妄の打破は、私が持つ依存そのものだったと思う。
私は精神的依存を乗り越え、今の私が構築された。かなりの別人であるが、同一人物である。
ツインレイ。私は彼との関係性をそのように定義はしたものの、あまりこの肩書きには意味がなく――。
私が思うに、この出会いから、次にやってくる出会いまでの間に、どれだけの変貌を得られるかどうかが私たちの実績に繋がるものではないだろうか。
ツインレイかどうかを証明することはできない。
だけれど、私たちが魂の伴侶と出会い、どれほどの変貌を経たのかは自分の人生で証明をすることができる。
私は、その証明をするにあたり、ツインレイという用語は無意味なものだと感じられる。
自分はツインレイだと言うよりも、これほどにもこの数年で自分が変化したという話の方が、現実性があるからである。
そして、このツインレイという関係性が魂の禊の伴侶であるならば、確かに私は彼と出会い、精神を禊ぎ続けたような気がする。
自分が持つ『他者がいなければ自分が認識されない』っていう考え方を大きくくつがえるような事件でもあった。
私は私を認識し続けている限り、私はここに存在し続けているのである。その自己認識のすべてを私はブログに書き上げてきたのだ。
私が私を認識する時、あなたは私を認識するだろう。そのとき、あなたはあなた自身をも認識するのである。
だからあなたがいう私を私の中に認識するとき、あなたは自分自身を認識せずにはいられない。
私が持つメカニズムは、私が私に向き合い続けている限り、あなたも自分自身に向き合わねばならない。
だから私は『私らしい』のである。そして私の前では、あなたは『あなたらしい』のである。
私は私だし、あなたはあなただ。
そして、あなたがもし、私の中にあなたを見つけたならば、そのときもまた、私は私を見つけるから、そうやって、あなたを知って欲しい。
私は、喜んであなたになる。もし、それが私でなかったとしても、私はあなたになるよ(*^^*)
これが私のあり方。
5年間で得た、私があなたを愛する方法。
私では無い私を受け入れる。
あなたが妄想する、私では無い私というあなたを愛するよ。
私が得たものは、私では無い私でさえも、私だよって言える強さかな。
今ならば、多くのことが変わっているだろう。
結果も変わるだろう。
何故ならば、私が変わったからだ。