2024年を振り返って——、私は奇跡を証明したい。

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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もう少しで新年を迎える手前で、今年一年を振り返ってみようと思いました。

 

この1年間、ずっとレイキを自分に当て続けている日々でした。

来る日も来る日も。それは出かけて疲れた日も、何もなかった日も。

本当はすぐに眠りたいような夜も、それはもうほぼ毎日がレイキ漬けの日々でした。

前半は、教えてもらったレイキも2nd以後を使いこなすことも出来ず、ただ、1stのみのレイキで自分に当て続けていきました。

理由もない涙、よくわからない感情。どこで拾ったのかさえ気づけないような気持ちをひとつずつ受け取っていくような日々が続き、私はアイデンティティを構築していきました。

私はスピリチュアルなことが好きなのだ、精神探求が好きなのだ。

そんな誰しもが知っていそうな、私のことなのに、私が一番に理解が出来ていなかったようにも思います。

中頃には一昨年から渋滞していたような問題も、少しずつ解消に向かっていきました。

そして、夏からのこと。

私はほとんどレイキのシンボルを使いませんが、今でもほとんど使わずにレイキをやっています。

しかし、2nd以後のレイキを使いこなせれるようにもなっていけました。

そして、人にもレイキをさせていただけるようになっていくと同時に、私は私のなかにいるインナーチャイルドたちと、私の欠片たちと話をすることができることに気づきました。

これはヒプノセラピー(催眠療法)によるやり方だと思いますが、私は独自でレイキを利用しながら自己催眠を始めました。

その為だったのか、だからなのか? 私はユングやフロイトを学んでいたかのように思います。

少しずつ自分の中にある問題が融けていくたびに、私が軽くなっていきます。どんどんと自分のなかにある精神的な問題が消えていくと、身体の緊張がとけ、私の身体が少しずつ循環するようになりました。

今までどれだけ緊張していたんだろうと思うほどには、私はこわばっていたのです。

今はレイキを通して、お客さんに私が私にやったことをそのままお届け出来るようになりました。

そして、その経緯で、私は人のなかにある感情や感覚をダイレクトに受け取ることが得意なのだ——と知りました。

それは、私が現実でも人の感情を同じように体感するようなシンクロニティーを持つ人だからなのだと思います。

私は私がいません。無の自分を育てていた私は、面白いことに同化することが得意だったのです。

それからは、多くの人の悲しみに触れては、人のために涙を流し続けるような仕事をするようになりました。

それは私の天職かなと思います。

私は、私の時間を「悲しみの循環を終わらせること」に使いたいと思います。

これを使命と呼ぶのかもしれません。

私たちに意味はありません。価値もありません。

それを踏まえた上で、私たちは私たち自身を意味付けし、価値化させることができる。

人の面白いところは、自分で自分の意味を見つけ、自分で自分を価値化させることができることにあるのだと思います。

 

さて、ツインレイ——。

今年のなかで、私はこの用語の肩書きを脱ぎ捨てました。私にとっては不必要だからです。

レイキを始めた頃は、まだまだ私のなかに彼が棲んでいました。

どこにもかしこにも彼がいて、私はひとつずつ彼を私のなかから抜いていく作業をしていました。

私の弱虫のところに彼はいましたし、私の強がりのところにも彼はいました。

彼がどんどんと私のなかから消えていくたびに、私は「私」を取り戻していきました。

そして、面白いことに私は彼を抜いていく作業のなかで、私ではなく「彼によく似た私」となりました。

それがどのような名称なのかもわかりませんが、私は確かに彼を模して私を生み出しました。

今まで私は「私」を育てるような機会に恵まれませんでした。だから、私は彼を手本に私を構築したのだと思います。

私は私になりました。しかし、それは彼になった——ということでもあります。

私がこのようなブログを書いているのも、彼によく似ていると思います。彼は論理的思考の強い人でしたから。

かくいう私は芸術肌の人だったので、プログラムは書いても、理論は書くタイプではなかったのです。

誰かを好きになる。究極の好きは「あなたになりたい」なのだと思います。

そして、誰かを愛する。究極の愛は「あなたと同じ心になりたい」なのだと思います。

私は、確かに彼になり、そして、彼がどうして彼なのかの心を知りました。

この究極の恋愛も、今しがた、少しずつ閉じていて、私は私のなかで「彼」を探すことがなかなか難しい。

 

私は彼を今、好きと思うこともありません。愛していると思うこともありません。

それは、私が彼だからです。

私は彼を好きと思うことは、私が私を好きになることと同意語であり、彼を愛していると思うことは、私が私を愛していることと同意語だからです。

私は彼を好きだとも愛しているだとも感じませんが、私は私を好きだし、私は私を愛しています。

それが私が彼に対して抱いた感情そのもの。

私は確かに、彼を好きだし、愛していました。それは今、私への自己愛へと変換され、私のなかでぐるぐると循環しているのです。

この経験がもし「ツインレイ」だというのであれば、確かにそうなのかもしれませんし。そうじゃないといえば、きっとそうではありません。

ただ、わかっていることはいくつもあります。

あのときの私が全力で彼と恋愛をしたことばかりは、今の私自身の自己愛の形成上にて証明されたも同然であり、それは紛れもない事実であること。

 

彼に会いたいとかね、彼に恋慕するような心は私のなかには今ありません。

正直、何も感じないんです。何も思わなければ、何も感じない。だから、私のなかにいる彼は、ほぼ消滅したといっても過言ではありません。

これをさびしいとも思わなければ、これを辛いとも感じません。

ただ『正常な私』に戻っただけのこと。私のなかに「誰かが棲んでいる」ことのほうが、私にとっては異常だったのですから。

これから先のこともわかりません。

彼と再会することについても、個人的には自分が再会したいという気持ちが難しい。

だけれど、私との再会を望んでいるのは、私ではなく「みんな」なのかなと思っています。

私のなかに広がっている無のなかに棲んでいる人たち。

アセンションした先にいるみんな。つまり人類の無意識ってことかな・・・・、スケール大きいなァ。爆

その人たちが、私と彼の再会を望んでいるような気がしてなりません。なんとなく、そんな気がしているのです。

だから、私は特に考える必要性もないんだろうなと思います。

再会したい気持ちが消失はしていますが、彼は多くの人に導かれるかのように、きっと私の前に現れるのかもしれません。

もし、そんなことが起きたら、それを奇跡と呼ぶのではないでしょうか。

もし、再会することが出来たならば、私は彼と再会したことに喜ぶのではありません。

私は、ここに奇跡があることに喜びを感じます。

出会いとは、常に奇跡のもとにあるのだと、私は実感します。

 

私は知りたいだけなのかもしれません。

そして証明したい。

この世に奇跡があるのだと。

私は「すべて」と繋がっているのだと、多くの人に伝えたい。

あなたもまた、すべてと繋がっていることを伝えたい。

宇宙と、私たちが繋がっている事実をここに奇跡として証明したい。

そうして私のミッションは閉じるから。

 

今年は、一年を通してありがとうございました。

読者のみなさま、ありがとうございました。

友達たちも、色々とお話をしたりできてうれしく思いました。

良いお年を。

 

なとり

 

レイキのお仕事は1月5日から開始いたします。