なとり、恋を知った。
春の晴れた空を知るものよ。
心の春を知っているか。
まさか、漠然とした迷いが恋だというのか。
打つ手なしの八方塞がりは、私に恋を教えてくれた。
定義があれば、道理は成立するが、恋ばかりは定義ができず、道理の道筋ひとつ建てることが出来ない。
私の目の前の恋の道に光は差し込まず、頭を抱えることしかできない。
しかし、恋とは『悩む』から恋らしい。
悩まない恋は恋ではない。
悩むから恋なのである。
私は初めて恋をしている。
答えを与えられていない今、ようやく恋心を自覚して、悩ましくも頭を抱えている。
そして、恋に答えもないのである。
答えがないから恋なのである。
悩むが、なにも出来ない。
つまり恋とは、何も出来ずに悩むから恋なのである。
道理もなければ、正義もない。
何もないから悩むのである。
これが恋・・・・・・。
恋ってキャッキャウフフの素敵なものだと思っていたが、恋とは悩むが答えは与えられない。
私は恋に悩むことから逃げ出したのだ。
ただ、悩むことから逃げ出し、頭のなかで相手がいっぱいになって、上手くいかないことに愚痴る自分から逃げ出した。
答えを欲し、正しい道にすすむ恋は恋ではない。
恋に答えは無いからである。
答えが与えられないから恋なのである。
恋の苦しみから、私は逃げ出したのだ_(:o」∠)_
恋の悩みに答えはない。なのに答えをみつけようとした。大きな間違いを犯したのだ。
恋に答えを求めたことである。
私は逃げ出したのだ。
恋という永遠の苦悩から逃げ出した。
道理もない、正義もない、答えもない、正解もない。
どうするべきかの答えはどこにもない。
どこにも答えは無いのに、答えをみつけようとすることが逃げだというのだ。
恋に道理を見つけることが逃避であり、
恋に答えがあることが逃避であり、
恋に正解があることが逃避であり。
恋とは『苦しみ続けること』『悩み続けること』『答えは永遠に与えられないこと』『どうしたらいいのかは一生分からないこと』である。
恋とは、永遠の苦しみである。
恋が実ることは無い。恋は永遠に青いものである。
恋とは、永遠に答えがわからない不朽の課題である。
そして、その答えを見つけられないことが恋なのである。
答えが見つかるとき、それは恋ではない。
ツインレイ――そこには道があり、そこには答えがある。
恋には道もなく、答えもない。
私は道無き道を進み、答えがない世界で悩みを抱え続ける。これが恋だからである。
好きな人を好きになるとは、死ぬまで悩み続けることである。
そして、恋の悩みがはれることは生涯においてないだろう。
恋の前では自前の頭脳も打つ手なし。
天才も、秀才も、等しく恋の前では、ただの凡人と化す。
恋は理屈じゃない。
恋から逃げ出した
へにゃちょこにゃとりより
でも、そうか。
彼はわからんかったんだな。
理屈じゃないことがわからなかった。恋がわからなかった。どうしたらいいのか、わからなかった。
かっこ悪い自分から、逃げ出した。