自分の知能を自分の為だけに使おうと思いました。

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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今までブログを書いてきましたが、ずっと「人の為であること」が大事でした。

神道のほうで私はお世話になっておりましたので、やっぱり、人の為に——とは叩き込まれたものだったなと思います。

サイレントにはいるとき、自他が統合的な認識になり、自分のためになることが人の為にもなることに気づきました。

それからの私は、ツインレイのことでブログを始め、今回は多くの方に感謝をいただけたような気がします。

 

人の為に生きることを貫き、私は「あなたのためであること」が出来るようになりました。

自分のことをないがしろにし続けること。

それでも、それが私の意思であれたこと、それは私の誇りです。

 

サイレントに入り「私の為であることが、あなたの為であること」に繋がりました。

私はようやく『私のために』を始めました。それはもう楽しい理論と思想と哲学のオンパレードの世界で、私は神秘哲学の沼にハマりました。

私はみんなの為だけではなく、私のためにも生きることが出来るようになりました。

とても楽しい季節でした。私はみんなと共に生きることができた時間です。

 

そして、今「私の為」だけに自分の知能を使いたいと思いました。

それがどのようなことなのかはわかりません。全くもって見えないです。

私の為だけに自分の知能をつかってもいいことが自分に許せなかった私がいました。

正直なところ、人のために自分の知能をつかうことは負担でしかなかったのだなと思いました。

それが私の責任感でした。

責任とは負担を背負うことなのでしょうか。

責任とは「結果を受け取ること」なのだと思いました。

人の為に生きる私にとって、責任とは負担を背負うことでした。

自分のために生きる私にとって、責任とは結果を受け取ることでした。

私は、私の結果を受け取りたいと思いました。そのとき、私はあなたの負担を降ろさねばなりません。

人の負担を背負っている分だけ、私は結果を受け取れないのだと思います。

 

なんとなく、今の私は出会った頃の彼によく似ている気がしている。

彼は、社会人にはいるのが怖いけれど、勉強することだけはしていたようだった。今の私と同じ気持ちなのかな? と思った。

彼は、もし私が待っていなくても、その結果を受け取ると言っていた。

今の私は、彼によく似ていると思う。

私も、彼が待っていなくても、その結果を受け取ろうと思う。ひとりで生きるのは怖いけれど、ちゃんとやるべきことはやろうと思う。

 

そして、タイミングなんだなと思いました。

私たちはすべて良きタイミングに出会っている。

彼と私がツインレイかどうかは横に据え置いて、私と彼が当時、出会うには出会うだけの良きタイミングだったのだということ。

おかげで私は今、かなりの成長を果たしている。

やっぱりあの時期に彼と出会えてよかったなと思いました。

私が自分の為に生きれるようになったのは、彼が「自分の為に生きる人」だったからなのだと思います。

 

人の為に生きるときの責任は「負担」だと書きましたが、その分だけ、喜びがあります。

「与えること」は、私たちにとって、人の成長をみることに繋がっています。

だから、もし、人のためにいることが負担であるならば、それは「与えること」ではなく「背負うこと」になっているのだと思いました。

私たちは背負う必要性はなく、与える必要性があるのだということ。

なぜ背負うのかといえば、それは『責任感』があるからです。責任をとれるのは自分のことだけ。

与えることに責任はありません。

与えることにあるものは『喜び』です。

 

私がすべての負担を放棄したとき、私に喜びが戻ってきます。

私は背負ったのではありません。私は与えたのです。