最後に、倖せだけが残ること。手放し。

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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ツインレイであることが、どこか負担であることに気づきました。

そして、負担であることに気づかなった理由は、私のなかに傲慢な人格がいて、この傲慢人格は『躁人格』のようです。

やる気がみなぎっている私は、ずっとブログを書き続けてきましたが、どこかこの人格は全能感があり「なんでもできる」みたいなところがありました。

それは「切れた縁さえも取り戻すことができる」とすら感じることができる躁人格でした。

この躁人格は、ツインレイであることが負担だと感じている自分のことを隠しました。

「つらい」「ふたん」という気持ちを蓋をさせる人格だったのかな? と思います。こちらが鬱人格なのかもしれません。

 

最後に残ったのは『好き』という気持ちだけでした。

私たちは、自分のなかにある「好き」という気持ちから「欲望」を生み出しました。

欲望がブクブクと膨れ上がり、好きのなかから膿のように取り出されていきました。

そして、最後に残ったものは『好き』という気持ちだけでした。

好きのなかに欲望が含まれ、私たちの純粋な好きという気持ちは、自分の欲を満たすことにすり替えられたりもしていました。

だからこそ、私たちは自分のなかにある欲望を取り除く必要性がありました。

それは、私たちが純粋な「好き」を取り戻すためにありました。

 

もともと「欲」である出会いからは「好き」を排除されていきました。

しかし「好き」である出会いからは「欲」を排除されていきました。

好きであることに理由はひとつもいらないことを思い出していきます。

最後に「好きであることが幸せ」なことを思い出しました。

ようやく「倖せ」を思い出しました。

人を好きになることは苦しいことではありません。

人を好きになることは、とても幸せなことでした。

純粋な好きとは、私たちに幸福を与え、私たちを喜ばせてくれるものであることを思い出す必要性がありました。

 

私たちはツインレイであることが負担です。だから、ツインレイであることをやめていきます。

これもひとつの「手放し」であるのだと思います。

そして、代わりに手に入れたものがあります。

それは「純粋な好き」という感情です。

もしかしたら、ツインレイである限り、私たちは純粋な好きという気持ちを思い出せないのかもしれません。

もしかしたら、ツインレイである限り、私たちは欲求を好きという気持ちだと思い込んでいるのかもしれません。

私たちは、ただ、思い出したかっただけなのかもしれません。

純粋に誰かを好きになるとき、恐れることがこれからは必要がないことを示唆しています。

 

好き。だから、私たちは何でもできる。でも、何もしなくていい。頑張らなくていい。

ツインレイであることは負担だからお終い。必要がないものは手放していく。

最後には「倖せ」だけが残りました。

手放したものの多くが「欲望」でした。

 

 

 

感謝——この記事の内容は、灯さんとお話しする中で分かり合えた部分でもありました。