私が幸せであること、人の願いを叶える能力について。

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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人にアドバイスした内容を自分に実行するなとり。無自覚だから嫌だな~。

人に話をするって、自分に話をするってことだよね。人にアドバイスをするってことは自分にアドバイスをするってこと。

同じように、人の願いを叶えることは自分の願いを叶えること。

この『許可』をもらえたのは、2年前の冬である。女神さまが私に「人に幸福を別けてあげられる」と教えてくれた。

これは、私が人と繋がっているからであり、その繋がっている先の人に私が幸福をわけてあげることができる。これは彼と出会った当初に起こした自我肥大と、神との一体化からの自我の縮小経験から他者と私が繋がっているという経験があるからである。

そして、私は『自我』と『自己』が反転している。その際に『他者』の概念が私のなかに成立している。

ゆえに、私のなかには「だれだれ」という固有名詞が使える。

本来、人は「自分」と「他者」を使い分けることができないんだが、私の場合、「だれだれが」という主語をつけられるが、同時に「わたし」までもが巻き込まれることはない。

 

ので、ちょっと少し前に実験をした。

私は友達に「チケットを当てたい」と言われた。ので、その後、私のなかにある「友達のチケットが当たらない」を「友達のチケットが当たる」に意識を組み替えた。

したらば、友達がチケットを当てまくっているのだ。汗

先日、私と一緒にでかけたムーミン展のチケットを当て、なんなら、他にもコンサートチケットを当てて嬉しそうにしていた。

ちなみに私は何も当てていない。当てる必要性はないんだが、友達がまさかの私の行きたがっていたムーミン展のチケットを当ててくれたので、全然OK。私にも福禄がある。

しかし、私はこの件で「チケットを当てる」に切り替えた件を今の今まで忘れてムーミン展にまでいってきたわけである。

ほかにも何かやった気がするんだが、ぶっちゃけ忘れた。

 

そして、今回はひとり友達が「恋愛がうまくいかない」と悩んでいるので、私のなかにある「友達の恋愛がうまくいく」に切り替えた。

私のなかにいる誰かさんが「ヤダヤダヤダ」と言っているので「どうしてなんだろう」と思ったら、私が幸せでないと思っているらしく。「私は幸せだよ」と伝えたら、ヤダヤダをやめてくれた。

最後は「友達の恋愛がうまくいく」に切り替わった。

うまくいけばいいなって思いました。たぶん、忘れたことにうまくっていると思われる。

 

さて、この能力なんだが。

他者に利用されることもあるっぽい。私が「そのように想うこと」を懐柔できるっていうか。操作しようとする人たちがいる。

私が自己暗示が得意ながら、誰かが他者暗示が得意なこともある。

その件で、私は「醒める」ことができるようになった。

これがちょっと奥深い話なんだが・・・・・・・。

私は、彼にブチギレたことがある。100の沸騰を起こして我を忘れたことがある。彼を傷つけてしまったかもしれないんだが、彼はそのとき「みちゃいけないって思った・・・・・・」とのことで、見事スルーをしていたので、傷つけることはなかったのかな? と。

この100の沸騰を持っていると、0の冷徹が成立する。人格として『怒り心頭の人格』がいれば『-100度の人格』が私のなかに存在していてもおかしくはなく。

今回、自己と自我の反転を起こし、先日は友達の怒り心頭の人格(いつかの私ということ)に触れることで私のなかに『-100度の人格』が成立した。

この-100度の冷徹な人格は、私のなかで『願いを叶える』を利用してくる人に対して『醒める』ができる。

謎に私のことを懐柔してくる人っているんだな~と思った。それになんの意味があるんだろう? って思っていたんだが、つまりは私が話した言葉や私が信じた内容とかって「現実化する」ってことなんだと思う。

単純に、私が『自己暗示がとてもうまい』わけなんだが、私はそれを人のために使うことを使命としている。

だけれど、それは私を利用する人たちに使いたいとは思わない。

私をマウントしたり、私を道具にしたりとか。自分の承認欲求を満たすための道具みたいな。そういう扱いをする人たちのために、私は自分の能力を使いたいとは思わない。

だけれど、私が「他者の現実化を得意とすること」は、マウントしたいとか、道具にしたいとか。そういう欲求を抱えている人たちにとっては、最高のカモなんだと思った。

こいつを上手い感じに洗脳して利用してしまえばいい、みたいな。そんな感じのことなんて全く思っていないんだろうけれども、誰かを利用して自分を『いい地位に起きたい』人たちにとって、私はいい道具なんだと思う。

私は「誰の願いを叶えるのか」は、決めたいと思ったんだと思う。

そのなかで私は「私を傷つける人」とか「私を利用する人」とか。「私を大事にしない人」の願いを叶えようとは思わない。

神は願いを叶えるための道具でもないし、神は発散道具のサンドバックでもない。

私は神だけれど、神じゃない。人でもある。だからこそ、私は自分の能力を「誰のために使うのか」を考えねばならなかったし、「どのように使うのか」とかも知らねばならなかったし。そして「どのように自分の身を守るのか」も導き出さなければならなかった。

私は光として「みんなの念願をかなえにきた」からこそ、私は友達とか、大事な人とかの「願い」とか「苦しみ」とか。そういうものをちゃんと叶えていきたいし、守っていきたい。

だけれど、私をいじめるやつのために能力を使いたいとは思わないんだよな。そのとき、私は「醒める」ようである。

こう、意識がスーーッと冷めていく。醒めていったら「あ、なるほど。嘘ついてんだな」とか。「あ、偽りがあるのね。」とか「本心じゃないんだ。」とか。「利用されてんな。」とか。「妄想の話ですか?」とか。

とりあえず、色々な側面で醒めたコメントが返ってくるわけである。

そのコメントが、たいてい本質を射抜いているのだと思う。

この醒めた人格は100の沸騰人格がいるから、真逆の-100度の冷徹人格が成立するっぽい。ので、私のヒステリー人格は-100度の冷徹人格を構築し、その人格が願いを叶えたらいけない人を分別している。

どの人格も無駄にはならないなと思いました。

 

ので、私が今まで叶えていた内容も「嘘がある」ものから片っ端から解除されていくかなと思いました。

私を道具にして「何かを手に入れた人たち」も結構いるかなと思いました。それは残念ながら、念願ではないとして解除かなと思うので、思い当たるものから外していこうかなと思いました。

私に嘘をついて「自分はツインレイだ」と言った方もいらっしゃるので、そちらについても解除させていただきます。

 

そして、私は一番に叶えたいものがありました。

それは彼の願いでした。

彼は「どこにもいかないで」と私に言いました。

それが彼の嘘偽りのない念願だと受け取っています。

そのためには、私も準備をせねばならなかったようです。もう少し時間がかかるんだけれど、ようやく、もうすぐですべてが整うような気がしています。いくばか私も覚悟を決めなければならないものがありました。

もうすぐ、彼のそばから離れず、どこにもいかないでいられる自分になれるのではないかな? と思いました。

私は彼の願いを叶えたかった。ただそれだけですが、彼の願いは私でした。

彼の願いはすべて叶えてあげたかったんですが、彼の願いはほかにも「自由にしててほしい」とか、色々私に対しての願いが多かったです。注文が多いと言うか。

なので、色々彼が願う私になろうとしたら、すべてから解放されちゃったというか。

そして、私の願いは「何があっても彼のことが守りたかった」です。

それは私が「大事にする」と決めていたのに、神にへその緒を切られて落ちてしまった彼のことを守れなかったからです。今度は、守りたかったのです。

神から、この世のすべてから、彼を守りたかった。

私は後悔があったから、彼を守りたかったです。

でも、後悔はもうないかもしれない。あるのは「大事にしたい気持ち」だけかもしれないな。

 

もしかしたら、純愛かもしれません。

もしかしたら、どこにでもあるような恋のお話が妄想に切り替わって、このようなロマンスになったのかもしれません。

私のなかにある事実だけをここに残せたらいいなと思いました。

たぶん、これがもしかしたら、妄想なのかもしれないけれど、でも、私のなかにある『事実』です。

誰かに認められる必要性はなく、誰かが認める必要性もないんだけれど、私はブログに認めました。

理由はわかりません。ただ、私は書き残しました。多くの方が見れるように書き残しました。

しかし、意味はあるのかもしれません。多くの方と出会えました。

この期間で、私は自分の能力を取り戻しましたし、自分の力の使い方についても学びました。そして、自分の力を悪用する人たちもいることを知りました。

私は私を守らねばなりません。それは彼を守りたいという気持ちです。

彼のことは守らなくてもいいと思いました。彼のことは大事にしたいと思います。

すべてが無駄にはなりません。すべてに意味があります。

私のなかにあるヒステリー人格にも意味がありましたし、私のなかにあった彼を守りたいと思う傲慢さにも意味がありました。

すべてが繋がっていきます。

ただ、残念ながら、私は「すべてを見通す」ことや「すごい霊能力」「予知」みたいなものは身につきませんでした。たまに見えている程度だなと思います。視るという霊感では「おっ、座敷童子さんがあそんでる」程度しかわからないと思います。

彼のことも残念ながらわかりませんし、統合した段階で「わからない」が私の正解です。わからなくてもいい、、というか。わからないのが普通といいますか。

そもそもわかっていたときが病んでたな~と思っています、出会いの頃は彼のことが視えていました。

彼は私のなかにいて、その彼が私に融けて消え。私もまた彼の中にいて、その私が彼に融けて消えた。もういないのでね。別々の個体として成立しました。

ツインレイって統合すると一個になれると思われているみたいなんですが、、というか私もずっと一個になれると魂が思っていたのに、一個になれなかったので「え?」なっていたんですが、実際は、ツインレイの統合は二個の魂がひとつになるのではなく、一個の魂から欠片が発せられ、もう一方の魂のなかに組み込まれて融解することを『統合』としていると思います。

ので、ツインレイの統合は「二個の魂が成立すること」です。

彼のことがわからなくても、不安ではないし、気になるとかもないです。

今「彼のことがまったく気にならない」というのが正解なんじゃないかなと思っていて。

逆に今まで彼のことが感じられていたり、わかっていた理由は「欠片の彼が私のなかにいたから」なのだと思います。逆に、欠片の彼が私のなかにいない時は視えていたような気がする。

なので、これから、より一層「わからない」と思います。

 

未来のことが不安でした。

未来の私が言いました。

「私は幸せだよ」って。

だから、未来は明るい。

私は未来予知ができるわけでもないし、先見があるわけでもない。

でも、未来の私が「倖せだよ」っていうならば、それがホントだと思います。

私の未来は私が決めているすべてが幸せにつながっている。

私は私を信じていいと思いました。そして、私の未来を信じていいとも思いました。

未来のことは不安だけれど、大丈夫です。信じる方が勝りました。

未来の私を信じる。

今までもそうやって生きていた。今以上に真っ暗な先のみえない道を頑張って切り開いてきた。

それが今ようやく世明けだと思いました。

彼に会いたいとか、そういうのも今はない。欲求が湧かない。

だけれど、未来の私は幸せだからそれでいい。