神さま。私、好きな人が出来ました。

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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私は家族が大好きでした。それを認めるには、すごく長い道のりだったように思います。

家族からされたこと。すべてを引き受けることが出来たのは、大好きだったからだと思います。

ずっと家族といっしょにいたいと思っていました。

でも、家族以上に、もっといっしょにいたいと思う人が出来ました。

 

神さま。

私は、家族よりも大切な人が出来ました。

だからとても苦しかった。

家族のことが大切ではなくなるような気がして、とても苦しかった。

家族も、彼のことも大切にしたかった。

でも、それが出来なくて苦しかった。

あのときは、どっちかしか選べなかった。

 

神さま。

私はとても罪深い。そして、許されたい。

人を好きになることが、こんなにも苦しいことだとは知らなかった。

私は家族以上に好きになり、いっしょにいたいって思える人が出来ました。

これが恋だと言うのであれば、私は確かに恋をしました。

家族と彼を天秤にかける自分を許したい。

私は彼を選びたいって思ってしまった。

いっしょに生きていきたいって思ってしまった。家族じゃなくて彼を選びたいって心から願ってしまった。

だから、神さまに祈ってる。

恋をしている自分が許せない。家族を見捨てる自分が許せない。

 

でも、ようやく許せました。

もういいんだなって思いました。私に課せられた罪のすべてを背負い、手放すことが出来た。

ようやく、彼をまっすぐに好きになることができる。

神さま、神さま、神さまって何度も祈っていた。

「神さま、好きな人が出来ました」って泣いていました。祈っていました。

自分のなかに生じた不届きな愛が生まれたから。

でも、これがもし罪ならば、罪でいいと思いました。

身を落とすような覚悟でした。

差別と呼ばれても仕方がない。家族を見捨てるのかといえば、そうだとしか言いようがない。

それでいいと思った。後ろ指を指されてもいいと思った。

人を好きになることが、こんなに背徳感があるものだとは思わなかった。

けど、家族が大事で、それでも家族以上に大事な人が出来た私を、私は誇りに思う。

倖せだなって思います。

私はずっと家族が見捨てられなかった。それは大好きだったから。

家族以上に好きな人が出来て、私は幸せだと思います。

 

 

 

私は彼にこう言いました。

「世界が彼くんを後ろ指で指すようなことがあっても、私は味方でいる」って。

彼くんは私でした。

私は、私の一番の味方でした。

アダルトチルドレン。それは好きな人が出来ることを自分に許すことができない。

それは、自分の世界における最大の罪だから。

親を裏切ることは世界を敵に回すことと同じことのように感じている。

好きな人ができると、同時に『裏切り』『背徳』の体感を感じてしまう。

親を裏切っていいし、背徳があってもいい。親孝行が出来なくてもいい。

親以上に、家族以上に、好きな人が出来ることは喜ばしきこと。

 

なんだろうか。

愛してくれてありがとう。

私の一番の味方でいてくれてありがとう。

そして、信じてくれてありがとう。

残念ながら、私には私を愛してくれた親も、一番の味方でいてくれた親も、信じてくれた親もいないです。

私は、彼くんといっしょにいるとき、私のなかにある『女神さま』を分離させていきました。

それは「無条件に愛する」「一番の味方」「信じる」ができる人格。

その人格はたびたび私に話しかけてくれて「いいよ」って言ってくれる。

罪悪が生じるたびに「いいよ」って赦してくれている。

私が神様になりたくないってピーピー泣いていたときも「ならないでいいよ」って優しく言ってくれた。

今回も「裏切ってもいいよ」って言ってくれた。それが嬉しいかのように教えてくれた。

家族以上に誰かを大切に思える人が出来て、嬉しいと感じてくれた。

私のなかに生まれた私のお母さんを、私が女神さまだと思っていたみたい。自分の親が鬼のようだったからだとは思う・・・・・・。

私が女神さまだった。私のなかにある一部が女神さまだった。

彼を愛することで生まれた「女神さま」だけれど、これは「お母さん」っていう人格だなって思いました。

神さまじゃないです。どこにでもいる普通のお母さんです。

私には普通がなかったから、神さまのように感じられたんだけれど、どこにでもいる優しいお母さんの人格。

私は私のなかに優しいお母さんの人格を分離させて構成させたんだと思う。

それは私です。私自身のことです。神さまじゃないです、普通のお母さんです。

大人になる過程で、自分のなかに『母』という概念を形成させようとしたんだけれど、母の概念がトチ狂いすぎてて、苦しかったんだとは思いまする。思ってたんと真逆の人格を形成するから、めっちゃ苦しい。

ここで苦しまない人も多くて、それは母の概念が普通なんだと思う。で、普通ではない異常状態で母の概念を構成すると、虐待の連鎖が生じる。これも苦しくないと思う。自分の異常を正常として認識している感じかな。

 

私は私のお母さんに伝えたんです。

愛してくれてありがとう。

私の一番の味方でいてくれてありがとう。

そして、信じてくれてありがとう。

って。

それは、私の実の母にも言えることなんです。

どこかで愛してくれていたんだろうし、どこかで味方でいてくれた。信じてもいてくれたんだと思います。

ただ、正直、愛された実感もなければ、味方になってもらえた実感もなく、信じてもらえた体感もありませんでした。

虐待された感覚しかありません。

しかし、『母のなかでは普通』とされている支配や虐待を愛だと信じて実行したんだと思います。

それは愛ではなくて支配です。でも、母のなかでは愛だったんです。

それもひとつの事実として今は受け取れます。

 

で、最後に。

私は女神さまになるんです。女神さまは私です。

否、私は優しいお母さんになります。

みんなは、何になりましたか?

なりたいものに、なれましたか。

私は「優しいお母さん」に、なりたかったんです。