愛が痛い

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Kindle版
さよなら、ツインレイ
当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。
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愛とは、与えられもせず。
愛とは、与えもせず。
真の愛とは、不動のものである。
あなたのなかにある奥行きこそが愛である。
あなたのなかにある愛は、
何もせず、何も言わず。
目に見えるわけでもなければ、
ただあるともいえず、
ないともいえず。
私は、その愛を求めている。
愛とは、なにもないことである。
愛しているの言葉もなければ、キスもない。
愛とは、カタチがないものである。
愛とは、あなたを満たすものでもなければ、
あなたを枯らすものでもない。
私たちの心の泉は愛ではない。
触れることも出来なければ、
与えることも出来なければ、
いただくこともできない。
愛とは、言葉にすることが出来なければ、
行動に移すことも出来ない。
カタチに起こすことができない。
愛とは、歯がゆいものであり、
愛とは、誰かを満たせず、誰かに与えられず、
誰かを求めることができない飢餓のなかにある。
飢餓のなかに、落ちる一滴の水を受け取るとき、
私たちは愛に目覚める。
愛とは、飢餓の先にある。
枯渇した心の中にある一滴の湧き水である。
ああ、ああ。愛よ。
愛とは、満たされることがない心へ湧き出る一滴の水滴。
与えられもせず、与えもせず、満たしもせず、満たされもせず。
そんなとき、落ちる雫のひとつが『愛』である。
それは誰彼から与えられるものではない。
込み上げる心である。
愛されたいと思い、
愛したいと思い、
与えたいと思い、
与えられたいと願う私に、
満たすべからず。
愛は、言葉ではない。
愛は、行動ではない。
愛は、見えないものであり、
愛は、カタチがないものであり、
愛は、姿を現すことはない。
誰からか与えられるものでも、
与えることができるものではない。
愛とは、ただ、心に落ちる一滴の清らかな水である。
私たちは愛を与えることができると言う愚かさを知り、
愛を受け取ることができると言う浅はかさを知り、
私たちは愛し合えているという虚像を経験した。
愛とは、飢餓にある。
飢餓に与えられる一滴の水は、次の水を求めるだろう。
しかし、愛の水は飢餓を救う。
一滴の水は満たされるわけでもなければ、
心に潤いを与えるものではない。
豊かさでもなければ、喜びでもない。
感情でもない。
愛とは、その心が焦がれて堪らない心を救う一滴の水。
もし、あなたが、この愛が目覚めているのであれば、
あなたは誰かを救うことが出来ないことを知っているだろう。
愛とは、飢餓のなかに目覚める心である。
与え続け、満たされずに、焦土となった心に与えられる一滴の水を、
焼石の水のように感じられるが、
きっとその愛は、私たちをお救いになる日がやってくる。
そう願わずにはいられない。
その愛が、意味をなすこともなければ、
カタチになることもなければ、
深い痛みとなるだけな日々。
愛とは、痛みである。
愛とは、苦しみである。
愛とは、あなたがきっと思うような素晴らしいものではない。
愛とは、あなたの痛みと、苦しみを感じ、痛める心である。
愛とは、飢餓のなかにある。
愛とは、痛みであり、苦しみである。
焦土と化した心に、一滴に落とされる水したたりが愛の正体であると、誰が信じたものか。
だから、私は胸を痛めるのである。
その水が、愛が、痛いから。
ただ、理解した。
これが『愛』なんだってこと。
与えることも出来ない、与えられることも出来ない。満たすこともなければ、満たし合うことすらも叶わない。
焦がれ、焦がれて、愛を求める飢餓に陥るとき、一滴の水滴が落ちた。
これが『愛』だと気づくには、そんなに時間はかからなかった。
とても痛かった。愛は痛みだと思った。
焼け石に水だとも思った。
焼けている石のうえに水を落としても蒸発してしまうように、愛を誰かに与えようが、どれもこれもなにもどれも、焼け石に水。
そして、愛とは常に受け取るたびに痛い。焼けている石のうえで水が「ジュッ」て音を出すように、この瞬間「痛ッ」て思う。
痛いんだ。愛されるのは凄く痛い。愛されるたびに痛い。
それはもう私たちの心が、愛に飢え抜いているから。与えられたものさえも痛い。
どんなに喉から手が出るほどであったとしても、手に取ってしまえば、それはどうしようにも痛い。
泣きたくなるほどに、痛い。
泣いて、喚いて、そうやって発散できることが出来れば、どんなによかったんだろう。
でも、泣けない。どんなに愛が痛くたって、泣いたらいけない。
受け取らなければならない。
愛が飢えているって、こういうことを言うんだね。
私が言えることはたったひとつ。
信じてくれてありがとう。
愛は与えることも出来なければ、
受け取ることも出来ない。
それはカタチがないものだから、表現しようがない。
だから、伝える間もなければ、別れ去った私の心を、受け取ってくれてありがとう。
愛とは、焦土に落ちる一滴の清らかな水。
その水は焦土を癒しきり、その水は心となる。
愛は焦土と化した心を救う。心の痛みを取り戻す。
痛いね。でも、それでいい。それが愛だから。
彼は飢餓状態だった。私は愛を与えている人だった。
だから、私がそばにいることは苦しかったんだと思う。
私のなかに一滴の水が落ちて、ジュッて音をたてて、蒸発して。
ようやく、理解した。
愛が痛かったし、苦しかった。
だから、そばにいたくなかったんだなって。
そういう意味では、可哀想なことしちゃったなって思った。
優しさが痛いと感じる人もいる。
私の世界では、そんな感覚を知ることができなかったよ。
ああ、こういう感覚なんだなって思った。
ようやく、彼を知れた気がする。
彼は、私に優しくなんてしてもらいたくなかったんだな。
優しくされるたびに、苦しかったんだなァ。
泣きたくなっちゃうんだなと思う。シンドいっていうか。
癒されちゃうっていうか。こう・・・・・・、ダメになってしまいそうな感覚。
本当はそれを心から望んでいたのにね。
でも、求められない。愛が苦しくて堪らないから。
愛されたことがない飢餓者には、愛が苦しい。
愛を遠ざけたい。
でも、愛は飢餓のなかにある。
飢餓に滴る一滴の水。それが愛。
ようやく『愛』が完成した。
そこに飢餓があること、そこに心があること。
これが『愛』である。
それは焼け石に水である。
おこがましくも、私は今こう思っている。
「私はすべてを持っている」と。