ツインレイがアニマ&アニムスによる構造を理解する箇所について

レイキやチャネリングにご興味がある方、お気軽にどうぞ。
Kindle版
さよなら、ツインレイ
当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。
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「ツインレイが」と限定させてもらったのは、とりま、ツインレイの構造とよく似ていることを知ってほしいから。
ここで、じゃァ「ツインレイとは古典的な心理学で分解できる」っていう事実も知ってほしい。
私たちの悩みは、古今東西あり続けている。今だからとか、そういうわけでもない。ただ、私たちが人間であるからだと、私は思う。
これからも同じようなことで悩む人は出続けてくるし、昔もまた同じようなテーマで分析してくれていたのがユングってこと。
ちなみに以下、私がなるだけわかりやすく理解しているだけなので、ユングさんの説明とはちょっと違ったりとか、解釈違いなどもあるかもしれないが、だいたいはユングに沿えていると思う。
愛と恋の構造
私たちには、自我と自己の違いがある。自我とは、まごうことなき純粋な自分って感じだろうか。
自己とは、自分のなかに生み出されている他者っていう概念。これを元型と呼び、私たちは私たちのなかに他者というビジョンを持っている。このビジョンが存在している領域にはと元型が共存している。この共存領域を含めて「自己」と呼ぶ。
この自己だが、このなかに私たちが持つ「アニマ」や「アニムス」という存在がいる。

私たちが自我を持ってアニマとアニムスを視るとき、恋に落ちる。それは自分に恋をしたということ。
でも、私たちは現実に存在している他者を通してアニマやアニムスを見つける。ゆえに、この行為を『投影』と呼ぶ。
私たちは、誰かに恋をするとき、自我→アニムス(アニマ)→他者という構造を持っている。
しかし、愛は、自我が自己の領域を超えて他者を好きになり受け入れること。
何が違うのか。
それは、恋は投影により行われているものだが、愛は投影を持たずに行われているものである。
恋と愛の違いがあると言えば、そこに『期待』や『苦しみ』など、多くの感情を持たないということ。
つまり、私たちはアニマやアニムスと投影した先にある他者とが一致しない部分に苛立ちを覚えたり悲しみを覚えたりしている。
投影そのものが私たちに苦しみを生んでいるのである。
ゆえに、投影の引き戻し作業を行う必要性がある。「私が話している内容は投影であり、真実ではない」ということ。真実ではない事実に気づき、その事実を引き戻すとき、私たちは投影しているアニマやアニムスに気づくことになる。
アニマやアニムスとは、それは理想である。その理想と一致しない他者を責めているに過ぎない。

ツインレイ男性が出会うアニマという驚異
ツインレイ男性がよく『崩壊する』とか。まァ、ネガティブ的な話が多いんだけれども、とりあえず、ツインレイ男性になぜ崩壊が訪れるのか——の理由が、ここにある。
「アニマ」である。
ツインレイ男性は、投影をしない。というか、日本人男性のほとんどがアニマを抑圧し、存在しないものとしている。アニマとは魂や霊的なものだったり、視えないものや感情的なもの、感傷的なこと、創造的なことを担っている。
しかし、ツインレイ男性の多くが感情を抑圧し、アニマを抑圧しているなかでツインレイ女性へと出会う。
ゆえに、ツインレイ男性はツインレイ女性に出会うと徐々に人格崩壊が生まれる。
なぜならば、ツインレイ男性のアニマが騒ぎ始めるからである。
ツインレイ男性がなぜアニマを抑圧させているのかといえば、ツインレイ男性たちのなかでは「感情的になってはならない」というある一定の女性性への否定がある。

ツインレイ男性たちがペルソナをかぶり、本当の自分を抑圧させていることはよく知っての通りである。本来あるべき、自我を抑圧させ、自分らしさを失い、また、そのときのツインレイ男性たちはニコニコとした表面的な笑顔で「無感情」である。
アニマとの出会いをツインレイ男性たちは、恋と知らない。ゆえに、心を揺さぶられていくうちに感情的になってしまう状態になる。そして、最後にはツインレイ女性を拒絶し、アニマを拒絶するようにしてペルソナを維持するのである。
単純に、ツインレイ男性たちは好きになった女性を愛すれば愛するだけ、受け入れれば受け入れるだけ、アニマの刺激を受けてペルソナの破壊を受ける。今までそれでうまくいってきた、自分が我慢をすればよかったことも、我慢がはじけてしまうような事態になる。
アニマが解放される兆しでもある。
このアニマが解放されることに耐えられない男性は、自死を選ぶこともあると言う。とりあえず、ここまで書けば、すごい崩壊を受けているんだろうってことがわかると思う。
「精神崩壊が起きて、ツインレイ女性がしゅきって気持ちに気づく」とよく書かれているが、そのときの心理的な現象で、こんな状態が起きている。
たとえば、今まで恋をしたことがない男性が、身を亡ぼすような恋をしてしまうようなことがある。その恋によって彼らは、すべてを失ってしまうことだってある。
男性たちがアニマを迎合するに至っても、彼らがアニマを受け入れる準備が整っているかどうかはまた別の話なのだ。
とにかく、ツインレイ女性たちはツインレイ男性にとっては脅威である。恋をしたら、彼らは身を滅ぼしてしまいかねない事態に陥るからである。また、今まで自分がかぶってきた仮面が破壊され、いつも通りの自分を維持できなくなる。
そして、仮面の下にある『本当の自分』をさらけだすには、多くのものを破壊せねばならないし、その破壊を受け入れることが出来ずに、自己破滅を招いてしまう人もいるのである。
ツインレイ女性が出会うアニムスという恋と破壊
ツインレイ女性はツインレイ男性とは真逆の方向性を向いている。

ツインレイ女性はツインレイ男性をアニムスに投影し、そのギャップにより苦しむことになる。
アニムスはツインレイ女性の理想である。その理想的ではないツインレイ男性への激怒やいら立ちを感じ、その感情に苦しみ、また、それをツインレイ男性へとぶつけてはツインレイ男性もまた嫌な気持ちになるっていうサイクルを持っている。
ツインレイ男性が投影する苦しみがあれば、自己破壊にある。
ツインレイ女性が投影する苦しみがあれば、他者破壊にある。
投影の破壊とペルソナの破壊について
このふたつの破壊が、ツインレイ女性は「投影の破壊」にあり、ツインレイ男性は「ペルソナの破壊」にある。
いわば、ツインレイによる破壊は、ツインレイ女性は投影してしまう仕組みの破壊と、ツインレイ男性は自分を偽ってしまうペルソナの破壊が目標とされる。
ツインレイ女性は自分がどれだけしっかりと相手を見ていなかったことかに気づき、ツインレイ男性は自分がどれだけ偽って生きてきたのかに気づくことになる。
ツインレイ女性はバイアスに気づいていけばいいとも思う。自分がツインレイ男性を知らないことをも気づくべきなのかもしれない。
ツインレイ男性は、本来の自分の気づいていくべきかもしれない。本当はどうしたいのか——など、ツインレイ男性の本心を開放していくにはアニマを受け入れることが重要となってくる。
自己実現とは
また、両性具有精神へと成立させられていくとき、私たちはペルソナも投影も破壊せねばならない。
アニマはペルソナを破壊するし、アニムスは投影を破壊する。
そして、私たちには『自己』と『自我』が同一化する瞬間がやってくる。
あなたが私になる瞬間である。自分の望みと、あなたの望みが一致する。
あなたが私に望むことは、私が私に望んでいること。
純粋に、自己と自我が一致となるために、自分のなかに存在している他者もまた自分の意見と一致している。
ユングもまた『自己実現』としているが、自己実現とは、あなたの望みと私の望みの一致が生まれ、あなたの望む私であるとき、私もまた、その私であることを望んでいることにある。
他者の望みを受け入れ続けることも苦しいことであり、自分の望みだけを叶え続けることも苦しいこと。
どっちもが両立されることが『自己実現』である。
私は、ツインレイと出会う前には「人の望み」が「自分の望み」として引き受けるぐらいの度量は出来ていた。
一番しんどかったのは「みんな私がダメであってほしいと思っていること」だったかな。優劣思想のなかにいる人たちのなかで、人の望みを叶えるとは、彼らよりも劣っている自分であり続けなければならなかった。かなり鍛えられたよ。
次にサイレント中に来たのは「みんなよりも私が優位であってほしい」という立ち位置だった。
それは、私のなかに優劣思想があったからなんだとは思うけれどね。だから私は意識的に優劣思想を抜けていく。
今の私のまわりにいる人たちは「自分の望み」が優劣のなかにない人たちが少しずつ出てきたと思う。
おかげで、私もまた「あなたの望み」を叶えられる人になれてきたのかな? と思う。それが私の望みだから。
みんなの念願をかなえにきた。
それに、「私の念願はみんなの念願」だということもまた事実である。
だからさ、私がこれからどうなるのか——は、言わずもがな、みんなわかっているはずなんだよ。みんなの優劣思想が抜けた領域にある『願い』のままだよ。
それが『自己実現』っていう考え方だから。
また、私の願いもまた、みんなに通じている。
優劣思想の領域では「誰かが優位」になるとき「誰かが劣位」になるよ。
自ら劣位になるような領域にいくな。
これな。私はツインレイの再会している人たちから自慢を受けていた。向こうから出向いてきて、ツインレイの再会をレクチャーしてくれるんだ。
そして、私は劣位に入り、羨ましいという気持ちを根付かせられた。なんでこんなとこに嫉妬っていうこんなもん入ってんのかな? とぶっちゃけ思ったよ。でも、隙につけこまれたんだとは思う。
自ら劣位に入る場所に行かずに、自分の幸福をまっすぐに願ってくる友達といっしょにいたほうが、両者共々が幸せになれる。
自慢話は長いよね。長い自慢話を聞いていても、自分のなかに隙があれば、嫉妬が生まれて優劣のサイクルに陥れられるぞ。
もちろん、長い論説も無駄かもしれないが。