生霊をいただいたので、食べてみることにした件について。

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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霊感なんて、ほぼないよなーと思ってたんだけれど、考えてみれば、私の師匠っていう霊感があるっていう人の指針がでかすぎるなと思った。

私にとって霊感がある=未来を当たり前にあててくる人だった。(当てるってのは師匠に品がない表現だけれども。)

生霊とかは視えていないけれど、私も感じてはいる。

生霊に入られようとすると、出ていけ( ºДº)とは思うし、勝手に抗っている。

でも生霊が憑いてる程度は放ったらかしの方が多いかも。

ので、その件について書きたいと思う。

 

エンパスは生霊を飛ばせるスキルがないんだけれど、逆エンパスは生霊を飛ばせるスキルがある。

その生霊にも善悪はあるんだけれど、基本的には悪い意味でつかわれることが多いのかな? と思う。

私の体感的には、

  • その人のことが頭から離れない(思考のジャック)
  • 背中がぞくぞくする

っていう感覚があるのと「恨まれた可能性があることを理解している」っていう三つのセットで成立しているかな。

 

先日、私は「恨まれるかもな」と思った。まァ、仕方ないかな、自分のしでかしたことだしな~と思ったら、案の定、やってきた。

頭の中から忘れられないし、エネルギーにまとわりつかれるし「だから助けらんねえって!」っていう謎の抗いから、数日前はそれなりに戦っている記事を書いている。先日の地獄云々時期の記事は私と生霊の抗争である。

 

ライタリアンレイキの伝授のことがあって、とりま、予約入れているし、先生に話してみるかなと思った。

「私としては、まァ、生霊がついたまま伝授されてもいいんですけれど・・・・。ねぇ? なんかこう、え、いっしょに受けるの!? っていう。wwwww」

「伝授は次回にしてアタッチメントのレイキをしましょうか。wwww」

っていう感じで、伝授は後回しにされて、こういった事案に特化したレイキをしてもらった。

その日の夜に生霊へ「ありがとうございました」と言葉をかけたところ、生霊からの介入はなくなった。心に感謝があれば、生霊は心のなかに介入が出来なくなるっぽい。それから、生霊が入ってくる理由は「助けてほしい」っていう気持ちだったかな。(だから助けらんねえよって抗っている記事が多い)

翌日に回されたライタリアンレイキの伝授の日。

先生に「ありがとうございました! すっきりです!」と伝えて、伝授をしてもらったんだが、伝授が終わってすぐに私が「おつかれさまでした。」と言った。

先生も、フリーズしてしまっていたんだが、伝授されて「おつかれさまでしたって何?」みたいになって笑ってしまった。(レイキ中に色々わかったり、レイキすげえになってた。)

 

ライタリアンレイキ伝授の翌日には、今度は私がレイキの伝授が控えていたし、早くに寝床に入ったんだが、悪夢で眠りが浅かった。なんじゃろうなーと思った。でも内容を忘れてしまったのだ。

翌朝「なんか疲れたな。」と思った。それから「レイキの伝授・・・・・・・大丈夫かな。」とか、不穏な空気。

ふと気づく。いや、ずっと気づいていたんだけれど・・・・・。

生霊ってさ、中に入れないでいると外に張り付くんだよね。これが「憑いている」のであって、中に入ってしまえば、生霊に乗っ取られるわけで。

レイキの伝授のあとに「おつかれさまでした」と言った私、そして、朝に「つかれたな」と言う言葉。

「憑かれた」んだよな! だから悪夢をみるしな!

で、思うわけ。

えーーー、レイキの伝授を、生霊と共にやるの? マジで? マジで生霊とともにやるの????

っていう気持ちになりながら、電車に乗った。

電車に乗りながら「生霊、なんとかならないかな・・・・」と考えた。

最悪、到着した時点で生霊がまだ憑いているようであれば、今日はレイキの練習会ってことでお願いしますペコリ(o_ _)o))ってする方向にしようと思った。しかたない・・・・・。

で、ふと気づいた。電車のなかで。

 

生霊って結局は思念だよね?? これもまたエネルギーだし、食べられるんじゃない???

 

ってこと。

人のエネルギーも自分のものにできるだろうって考えた。だから、この生霊を捕食してしまえばいいのではないか! と考えた。

ので、とりま、どうなるかはわからないんだけれど、胸をパカッと開けて「どうぞ! お入りください」と電車のなかで生霊を迎え入れた。

すると、涙がボロボロボロボロ落ちてくるんだ。電車のなかでね。目の前に座っていた若いお姉さんが私を二度見していたけれど、腹は背に変えられないよ。服の袖で涙をごしごししながら、自分のなかに入り込んだ生霊とシンクロさせていく。

「ごめんなさい」って言っている。で、ボロボロ泣いている。いや、怒ってねえけどって思うけれど、こうやって私は謝罪を受け入れたんだと思う。

生霊が最後にはツルツルの可愛い霊になると、ドンドンと私の胸を叩いて「だしてぇ! だしてぇ!」ってするので出した。そのあと、可愛い生霊はいなくなってしまったんだが、それから憑いているっていう感覚はない。

生霊は、私のなかでメソメソ泣いて、最後には出ていった。

つまり、生霊は捕食できない。なるほど、捕食できない・・・・・・・。なとり、理解した。

これはエネルギーではない。なるほど、霊は霊。個体として存在している。食べられない・・・・。

 

これもまたひとつの無条件の愛の学びだったのかな? 生霊を愛する。

そんなことを考えながら、思ったことをいくつか述べておこう。

人の感情がどのようなものであったとしても正当化されているのだということ。

生霊は受け取ってほしいものがあるから来ているのだということ。

生霊だから排除するのは、ちょっと違うんだろうなってこと。

レイキ中でも私は泣いているけれど、人にレイキすることと生霊にレイキすることはそう対して変わらないこと。

人のなかに霊がいるのか、人体から離れて霊がいるのか違いってだけ。(どこにあろうが、その想いがあることには違いがないけれど、人体から離れたものが「悪」と定義されるのは何故なのか)

 

あと、私はレイキをしているけれど、レイキ中に体感しているすべてを持ってひとつ言えることがある。

どんなに悪いことをしている人だったとしても、どんな精神疾患を抱えている人だったとしても。

どんなに社会悪だったとしてもだ。

その人の中にある本質みたいな? その人の霊そのものが「悪」だと感じたことが私は過去に一度もない。

みんな、いい子だよ。

ただ、泣いている。それだけは知っている。

みんな泣いていて、みんないい子なんだよね。でも、それが現実というものへ切り替わったとき、行動や発言などが加わる瞬間、その人があるひとつの視点から悪というレッテルを張られることがある。

それが大衆性を帯びることもある。

でも、人の本質的な部分を私は「善」だと感じている。

性善説、性悪説などあるけどね。個人的には、レイキ中に「悪意がある人」は視たことがないし、表面的に悪意が出る人の中身は悲しみがとてつもなく詰まっているケースが多い。

「それは間違っている」のは社会的な問題だけれど、内面的な問題が表に出る瞬間、間違えてしまうことがある。その内面が悪だったことはない。どうして悪になってしまったのか——っていう根源を知らねばならないと思う。

それはいつも悲しみだったかな。

私はレイキ中に泣いているし、生霊を受け取っても泣いている。

みんな泣いているよ。

それは救われるべきものなんじゃないかな。

 

罪を憎んで人を憎まず。

生霊