影響を受けないことと自他共存と自他一体のこと
私は離別時、彼を丸ごと愛し抜くっていう課題をこなしていたのだが、どうやら彼は「私に影響されない自分」を構築していったんだなと思った。
彼は影響を受けやすかった、そういえば。
同時に、影響を与えられない彼を私は愛していった。
最後の最後に「よし」となって離別したんだが、あのとき私は彼に「私に影響されないかどうか」をチェックしていたんだなって思った。
だから彼は私を拒絶しきったとも言える。私を拒絶する彼を私は愛したのである。
そして私は彼になった。ので、私も他人からの影響を受けないようになる。影響を受けない彼を私は愛したからである。
そのままの彼である。
では、そのままの自分とは何か――というと、影響を受けない自分である。
それって何かっていうと、発達障害の自分だよなって思った。
他人からの影響を発達障害の人は受けない。影響を受けたとき、相手を価値下げしたり、否定したり、嘘ついたりとかして、どうにかこうにか影響を受けないように防衛している。
だから発達障害の人って感染症かかりにくいんじゃないかって思った。
でも、個人的には「何かに全身で感染している(?)」から、ほかのウイルス感染が出来ないんじゃないかと思った。何が感染しているのかは分からないんだが、それは思想とか、思い込みとか。全身で盲目に何かを信仰している。アーリマンか、ルシファーか。
感染症自体は「他者という概念」があるから、感染すると思われる。伝染には他者が必要だから。
前に「コロナは存在しない」と言っていた方が居たんだが、これはもう「他者は存在しない」という意味なのかもしれない、というか概念がわからないのかも。
伝染する根源である他者が成立していないから、コロナっていう概念も成立しないよなって思った。感染症だから。
インフルエンザにかかりながら、なぜか「なとちゃが大人になった証拠( ˇωˇ )」と思っていたんだが、そういうことだと思われる。
最後の最後に、他者からの影響を抜けていくためにインフルエンザの儀式をおこなっているのだ。たぶん。肉体による細胞を破壊している。
彼との出会いは、他者概念の成長だったと思う。
共存については彼を愛し抜くって段階でやってるから別にいいんだと思う。
他者からの影響を受けて、他者と共存するとき、許しが必要。だから私は彼を許し続けていた。
自他の確立なのだと思われる。
自分の樹立、他者の樹立。
私は他者の樹立後に自己の樹立。
彼は自己の樹立後に他者の樹立。
方向性は真逆なんだが、どちらも自他の確立による共存へと至るのである。
彼は私の未来を意味し、私は彼の未来の他者を意味する。
私は彼になったし、彼のなかには私が棲んでいる。
他者概念から自己概念形成は、自他一体型。あなたは私で、私はあなたという視点。
自己概念から他者概念の形成は、自他共存型。あなたと私はいつも共存している視点。
どちらも同じ意味になるんだが、構造が違うと思われる。
私は他者だったが、他者をすべてはぎ落とせば自分でしかない。表裏になる、ひっくり返る。
彼は自分だったから、そこに追加するように他者が生じる。並列になる、横に並べる。
私はあなたと同一だけれど、彼はあなたを他者として対等に認識している。そんな感じかな。