へその緒が切れたときの記憶をレイキする。(ツインレイの一体感の原理と大人の概念)

2024年11月19日

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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腹部に手を当てながらレイキしていました。すると、ふと脳裏に胎児の姿が見えました。

前回、胎児の記憶だと思った『さびしい』という記憶ですが、こちらは「個としての自己認識」が生まれた時にさびしいという感情が生まれるということで、初めて自分が自分である――という絶対的孤独という人間の性来だということでした。

簡単に言うと、さびしいという感覚は母子分離の自覚にあり、自覚した瞬間に私たちは『胎児ではない』という自覚が生まれるということ。

 

次に来たものが「お腹が痛い」だった。

へその緒が切れた瞬間である。痛い。当たり前だと思うんだが、痛覚があって、その痛みをレイキで癒していった。

このときに肉体的分離経験をしたということ。

  • 初めての肉体的分離経験――へその緒を切る痛み
  • 初めての精神的分離経験――さびしい感情

ってことになっている。

これが同時に起きているのかは謎。たぶん精神的分離経験『さびしい』のほうがあとからくると思われる。

この痛みをレイキしていくと『愛してる』って気持ちが込み上げてきた。

誕生って『愛してる』って意味らしい。へその緒が切れるって愛してるって意味。肉体的分離は愛してるって意味。

私たちはへその緒が切れる分離=愛しているという概念なのである。

愛おしくて泣いたわ(´;ω;`)

そのあと、私は赤子の私を抱っこした(´; ω ;`)愛おしいと助産師さんが抱きしめてくれているシーンの助産師さんが私だった。

そう、私だった・・・・・・。

 

肉体的な母子分離が『愛している』ではなく、それ以外の感情で分離が起きているとき、肉体的分離がなかなか受け入れられない状態になるんだと思う。

たとえば、私の場合『さびしい』が『痛い』ってだけ。

さびしいという絶対的孤独に対して痛い、痛いから回避するために「みんなはなとちゃが大好きなんだ≡⊂( ^-^)⊃」っていう妄想を始めた私。

へその緒を切ることはひとつの儀式だと思われる。この儀式に対して子供が「さびしい」を受け取れるかどうかの力量が変わってきてしまう。

それは肉体的分離を喜びと感じる助産師さんと、出産が立て込んで忙しい助産師さんの違い。なんなら、へその緒切ってくれるのは誰なんや。

 

とりあえず、へその緒が切れた痛みを愛しているで受け止めると、絶対的孤独に対しての受け止め方が変わってくる。

生まれた赤子には、お腹に手をあててへその緒の痛みをとってあげるといいかもしれない。

特に寂しがり屋の子は、へその緒が痛いのかも。

女の子は誰かに依存するようになり、男の子は痛みを我慢してプルプルするようになる。

このふたりが出会うと、ツインレイの話にもなってくる。へその緒が繋がってしまう。

男女がへその緒で繋がるのである(母とではない)。さびしい気持ちがフィットする相手と結ばれる。

これがツインレイの前だと子供に戻ってしまう原理だと思われる。へその緒が繋がってしまうから。

同一的な存在だとツインレイを自覚するのも、へその緒が繋がっているから。母子一体的感覚。相手の肉体やら、そのすべてにおいて自己であると誤認し、融合的意識が生まれる。

これを双子と感じると思われるが、へその緒が男女で結ばれているイメージにある。母では無い。

その内容が『愛』ではなくて『痛みとさびしさ』のことがある。

この原理を利用すると、男女という両性具有精神が成立するのもうなずける。

理由なんだが、私たちは母子という概念の元で絶対的孤独という感情を得ている。

次に、絶対的孤独により引き合う男女がへその緒で結びつき、互いが互いから生まれた――という概念の元、自分は相手である(ツインレイの相手は自分である)という感覚を手に入れることで、異性性を自己の中に取り込むことが可能である。

いわば、女性は男性性を。男性は女性性をへその緒の概念にて再構築することになる。

男の子は母を求めるのではなく、へその緒の繋がっていた女性を求めるようになる。マザコンを卒業し、次に対等な女性を求める。

女の子は母になろうとするのではなく、へその緒が繋がっていた男性になろうとする。その後、両性の確立後、女性へと立ち戻る。

つまり、へその緒的概念からすれば、ツインレイ男性はマザコンという母を追い求める永遠の少年からツインレイ女性を求める親子ではない対等な男性に。

ツインレイ女性は母に投影した自分ではなく、ツインレイ男性に求められている自分を再構築し、自立した女性に。

いわば、男性はそもそも両性ということ。女性は同一化をパパにしないから、女性は「女性」という性別しかない。

男性は幼く、女性は偏っている。

だから、男性は少年から大人に成長し、女性は偏りを解消することが大人になるということ。

女性が自分の視点だけが正しい主張をしていて、偏っていることに気づかない理由はここにあるんだと思った。

男性がわかっているのに言えないとかの理由は母親に逆らえないっていう意識にある。

 

個人的に私は結構、メンタルを極めてきたつもりでツインレイに挑んで来たけど、へその緒の魔法から、いつも以上に偏ってしまったんだなと思った。

サイレント期間でツインレイ男性は大人になる。ツインレイ女性は偏りがなくなる。

目的はここだと思われる。

地上のツインレイでは、偏りのない男性になる必要性があるし、女性として確立する必要性がある。

ある一定の『大人』とはここにある。

ではここで男性にとって偏りがない状態への精神発達とは、女性にとって女性という大人とは何かである。

それは自ら、へその緒をちぎり捨てている人である。地上のツインレイの課題はへその緒をちぎる捨てること。

絶対的孤独から逃避せず、絶対的孤独を克服した自己の覇者となっていること。

 

 

・・・・・・これだから、定義がやめらんねえ。面白過ぎる。wwwww

つまり私と彼のトラウマの一致は「へその緒」と「絶対的孤独」にある。

私が持つツインレイの姿。だから私は彼を親に見立て再び育ってきた。彼はお母さんだった。そして、彼は兄であり、弟である。

だから『へその緒が繋がった双子』なのである。

私にとって彼は、母であり、兄であり、弟なのである。私は彼と共に育ち、彼に育てられた。

へその緒が繋がってるから、けっきょく、自分だと思いこんでたときもあったよ( ˇωˇ )

 

で、絶対的孤独の一致ということは、さびしくならない相手ってこと。

同時にめっちゃ仲良い夫婦って意味になる。

それみたことか( ˇωˇ )ドヤ