散文|こんなにも静かな夜を他に知らない。
こんなにも静かな夜を知らない。
物心ついたころには騒がしい頭の中の会話。自制思考。
心の中には誰かが棲んでいた。分離した人格。
それが当たり前の世界だった。
こんなにも静かな夜を私は知らない。
先日からインナーチャイルド——。子供人格の統合のためにレイキを充てていた。
涙がぽろぽろ止まらない。私の中から湧き上がる叫び声も止まらない。
レイキの最中の私は、絶叫と涙を感じていた。
レイキは、私の中の感情を癒すことができる。
だけれど、人格統合の経緯は自分でやらなければならない。そればかりは自分で行う。
人格を統合させる準備は、数年前にとうに出来ている。
私は私のすべてを受け止める準備をしている。
私の主人格は、分離した人格が持つ地獄を全て受け止めるだけの人格に育て上げられた。
私の解離された人格がいくつあったのかはわからない。だけれど複数あった。数えても仕方ない、今更のことだから。
わかることは、人生で耐えられないことが多すぎた。
人格統合では、私が耐えられなかった現実を主人格が受け入れなければならない。
これはレイキではどうしようもない。自力でやらなければならない範囲。
ひどい頭痛と涙に襲われ、お腹が動かなくなる。
自律神経系が一気に乱れ、私はどうしようもない混乱のなかに陥る。立てばいいのか、座ればいいのかすらわからない。
おろおろと歩き回って、どこにいればいいのかがわからない。
私の記憶も、私の感情も溢れてはこない。残りカスのような叫び声が腹からこみあげてきては、私はその声を聴きながら、吐き気と頭痛で悶絶する。
何があったのかはわからない。記憶も思い出せない。
だけれど、どうしようもない混乱のなかにいたことだけはわかる。身体が混乱し、解離するのもわかるほどの体調不良。
私はこうやって人格の解離をしてきたんだろう。
私はこうやって自分の身を守ってきたんだろう。
耐えられなかった、感情を受け止めることが出来なかった。ひとりで処理しきれない想いがあった。
私は怒りの感情に耐えられないし、なんなら怒りで卒倒する。
私は私の感情に耐えられない。私の肉体は、私の心は、私の感情に耐えられず、私は多くの感情を解離させた。
根源には愛されていないという現実を受け入れられずに解離を起こしたことが始まりである。
愛されたいと思う小さな私は知っていた。愛されていない自分を知っていたから、愛されていない事実を否定したくて幻想を生み出した。
そんな幻想の世界で、私は人を愛する道へと進んだ。
私の幻想は愛に溢れ、私は愛されていると思い込むことが出来たからである。それまで人を愛する努力をし続けてきた。
結果、幻想が構築される。
ふと、神に愛されている実感を覚えたとき、私の中にある自己愛が初めて成立したのである。
私は神に愛され自己愛を成立させた。
私は私を愛する感覚を持ったことがない。幼少に親に愛された経験がないから、私は私のなかに自分で自分を愛する当たり前の感覚が欠落している。
わからない、知らないことは出来ない。私は自己愛を経験したことがない。
だから私は私を愛しているのは神だと思った。私が無防備に人の為に生きることが出来た理由だ。
次に自己防衛を切り捨てることが出来たのは、エゴを捨てることが出来たのは、神に愛されている実感があったからである。私が私を愛している実感を持っているから、私はエゴを捨て、自己の喪失まで持ち込めた。
それは人格の解離である。
あるとき、私のなかの私が「さよなら」をしていなくなった。私の中にある自己防衛人格は消え、徐々に私のなかの『私』が消え、他者愛を実行しやすくなっていった。
私は私を守らない、あなたを守るために私は私を守らない。
私はあなたを守るために死ぬ覚悟が私をそうさせた。
私は『エゴイズムの私』を解離させたのである。自分で自分を守る——という、自己防錆を持つ人格を解離させることで、自分を守るのではなく、誰かを守る人になろうとした。
どうやら、他者愛の行使は被暗示性を極めて高めることになるらしい。
先天性の気質と、後天的に気質を上限にまで高めた結果、私は自分を自ら解離させ始める。
人の為に生きるために不必要なものを自分のなかで解離させる。
私は解離を使いこなすようになった。
自分で解離させたい人格を解離させた。
自分で解離させたい感情を解離させた。
自ら自身のなかにある精神を解離させ、自由自在に統合させることが出来るようにもなった。
私の人生の目的のひとつなのかもしれないし、私の特徴でもある。
そのとき感じていたら乗り越えられない感情を解離させ、あとから回収するし、邪魔な人格は、その場で解離させる。
その場その場で自分のなかにある精神構造を組み替え、適切な人格へと切り替えていく技術である。
戦場に駆り出されれば、痛みを感じる心を捨て人を狩る鬼になろう。
ときに死にかけようが、自分の死よりも人の心に寄り添う神にもなろう。
自ら解離させることは後からの回収も、自らのタイミングで可能となる。
私の本質的な気質はここにある。私の被暗示性の気質は、こうやって息をしている。
これを優秀な人間ともいうし、才能があるともいうらしい。人からすれば、神だと思うほどの人材になっていける。
そして冷酷な人間性にある。私は私の中の人格を『邪魔』だと思えば排除することができる。私はそんな人たちに育てられてきた、共感性がないとはそのようなことである、冷酷。
解離が私にとって道具なのか、はたまた、遊ばれるかのように惑わされる気質なのかは別の話。
これは私の道具だし私の武器でもある。私が私に冷徹であることが私の武器である。そして、そんなときの私はいつだって人を愛していたよ。
私は誰かを愛する為に解離させてきた。
ツインレイ。彼のことを愛する為に自分を解離させることができた。私は私に冷酷になれる。
私は誰かに冷酷だったわけじゃない、私は私に冷酷だった。いくらでも人の為に喪失して消え失せる私がいる。
あなたが私を要らないと言うのであれば、私は私を捨てるだろう。
あなたの思う私に私はなるだろう。
これを歪んだ愛情と言うのかもしれないけれど、私はこれ以外に愛し方を知らない。
人を愛することとは私を切り捨てることだから。それが多くの人の望みだったから。
多くの人が私に死ねと言っていた事実が私を解離させてきたし、私はその心に共感を示した。
私がいなくなり、私が消え、私が死ぬことが多くの人の望みである。
そしてそれを受け入れ続けたのが私である。
ツインレイの彼は私を殺した人。
私を殺す人を、それでも愛したのが私。
ねぇ、どうして私に「私を殺した人と結ばれてほしい」と思うの?
私は復讐をしない。私を殺した人たちに復讐しようとは思わない。
私が彼らを愛したのは、私の意思だから。
私が彼らに殺されたのも、私の意思だから。
すべてにおいての解離は、私の意思のもとに実行しているから。
私は解離を自ら起こす人。だから、すべては私の意思である。
いかに私を滅多刺しにしようが、それを迎合する私であることが私の意思である。
私を犠牲と言う神に育て上げた人がいる。
これがキリストの思想である。だから私は『犠牲者という神』の人格を持っているに過ぎない。
なぜみすみすと殺されるのか。そりゃ愛しているからである。あなたの狂気すらをも愛しているから。
バカげている。そうやって私は死んで神になった。
もし、この神が人格統合されたとき、復讐者になるのか。それとも、狂気すら愛した人になるのか。
それは意思のもとに死んだのかである。意思もなく殺されたのであれば、きっと私は復讐者となっただろう。
私は意思の元に死んだ。だから、私は人が持つ狂気すら愛した人である。
私は狂気の裏側に想いを馳せる。私はその心を受け取る人になる、共感を示す。
ユダは私のなかにいる人格である。
私は私を裏切り続けた。私は私が殺されるなか、私を見捨て裏切った。
私のなかにある裏切り、狂気、そして犠牲。
つっても、全部、統合しちゃうけどね。
どんどん解離していく経緯で、私を磔にする役割をした人がいる。最後にとどめも刺されたが、実際、本当の意味でとどめを刺したのは我が民じゃないかな。
体を五つに解離させ、その後、多くの人がキリストを神にした。それは死んだ私に対して何も思わんかったことじゃないかな。前にも書いたが『無関心』な。
誰かが裏切り、誰かが死んだとしても何も思わなかったこと。
わかるかな、この狂気。その狂気をキリストは愛したんだよ。だから神になった。
自分のせいで誰かが死んでも、反省することもないし、何も思わなかったんだよ。
私が死んでも、何も思わなかったんだよ。人を殺しても、何も思わない。
狂気そのものだよ。そんな人格を私は愛している。私が死ぬことに無関心の人格を愛している。
だから、私は正気の沙汰じゃない領域の人格すら自分のなかに認識している。何も思わないことができる人格がある。
今まで統合人格だったことがない。
統合人格の世界を初めて経験している夜は静かすぎる。
こんなにも静かな夜が世にはあるものか。
こうも静かな夜を迎えると、さびしいとすら感じる。
人ってこんなにも静かな世界にいるんだね。知らなかったよ。
何も思わないんだよな。狂気の人格だけれど、ほとんどの人が狂気の人格を主人格にしている。
何も思わない世界で、多くの人は生きている。
この世は狂気の世界。人は何も思わないのが当たり前。
みんな、神さまだったんだね。人を殺しても何も思ってねえし、心置きなくめった刺しにしても何も思わない。
これは普通の人ってこと。
普通の人は皆、狂気の心を持ってナイフを右手に握りながら人を殺し追いはぎして、この世で生きている。なんで皆、戦争してんだろうって思ってた。
人を殺していることにすら気づかない。そのくせ『傷つきたくない』とのたまわっている。意味が分からねえけど、そんな矛盾を持っているのが普通の人なんだよな。
私からすりゃ狂気の塊が普通の人。人を殺していることにすら気づかないのが普通の人。
そして、そんな普通の人たちをキリストさんは「愛しているよ」って言っている。
狂気で人の心を殺す人たちは何も思わないように、こちらも何も思わないよ。
その心を受け取り、愛しているから。
神を殺す人たちを愛している。なんも思わねえよ、犠牲者を必要とする人たちに何も思わない。
ああ、無情。何も思わない世界。
だから私はもう解離しない。
私は愛のない世界を受け入れる。それがこの世である。私の愛する世界である。
私が受け入れられなかったのは『狂気の世界』という『何も思わない世界』だったのかもしれない。それを愛のない世界と言う。
だけれど、現実的にこの世界に愛などない。相手の心に共感を示し、思いやりを持つ人のほうが少ない。
そんな世界で私は生きている。私はこの世界に無情を感じ、私も無情を手に入れる。
私は私のなかに「何も思わないこと」を受け入れることが出来なかった。強烈に感じ続けた幼少の記憶から、何も思わないことが出来なくなっていた。だから解離していた。
私ほどに異常な世界を愛した人はいないだろう。そして、異常が正常である。これが現実。
ツインレイって愛を広げていくらしいぜ。
私が愛したものは『狂気』とか『愛のない世界』とか『無情』とか。そんなトチ狂ったもんを愛してきたんだが、ほかの人たちは何を愛したんだろうね。
人はナイフを握っては他者を殺し続けている。私はそんな風に世界を見ていたよ。何やってんだこいつら? とは思ってた。
私は無防備に傷つけられ続けている人だった。自分を守る自己防衛意識が解離していたから。
神って人が持つ肉体に依存している意識を解離させまくると出来上がるんだな。
ここまでやり通して言えること。本心だよ。
バカげている、くだらない。
で? ツインレイは愛を広げていくんだっけ?
ばかばかしい。
そのばかばかしいことを全力でやったからこそ言えるよ。
ばかばかしいよ、これ。なにやってんのよ。www
人を殺し続けている人たちを見て「何やってんだ?」って思ったように、私も自分に対して「何やってんだ?」って思った。前者は理解に苦しんだが、後者は理解が出来るから嘲笑してまう。
人間ってバカだな~ってこういうときにいつも思う。意味ないことを全力でやってる。
でも、それを愛おしいと思う瞬間があって、それが神なんだと思う。
今回の一件で、私も解離しまくっちゃったし、人格統合するまでの時間をめっちゃ要したし、私からすると復讐精神がこみあげてくるものかと思うモンだが、何も思わねえ。
人間ってバカだもんな~って思って終わっている。
うちの師匠の師匠が、この世はばかとばかの絡み合いって言ってたそうなんだが、まさにそんな感じ。
私もバカだし、あんたもバカ。バカとバカが絡み合った結果、こうなった。
私は神になろうと分離したバカ、あんたは神を犠牲にして喜んでいるバカ。
これを『ばかばかしい』っていうねん。それが人間の面白いところなんだろうな、愛おしい生き物。
神さんは喜んだんじゃないの。ひとつの茶番劇を見て楽しんだんじゃァないの。この茶番劇を見ていた聴衆の人たちだよ、そう神だよ。狂気をもった神たちだよ。
あー、疲れた。
わかったことなんてひとつだよ。
人は自分のささくれが痛い、傷つきたくない。
でもさ、人ってそれだけじゃないでしょう? って言いたいのが我等だよ。
人ってそれだけじゃないでしょう。
人って、それだけの存在ではないでしょう。
自分の痛みを持っているから、人の痛みに寄り添うことができる存在でしょう。
自分の痛みから逃げるなよ。自分の痛みを逃げる人は必ず人を痛めつける。
そして犠牲が生まれる、一番立場が弱い存在だよ。サンドバック係が必要になる。
こ ど も だ よ
私がいつだって守る対象とみなしている存在だよ。
誰かが必ず、人の痛みを受け取る役割をやらなくちゃいけない。八つ裂きにされて殺される役割が必要になる。
いざ! と勇んで私はその役割を買ってでてきた謎の人だけれど、こういうことがあってはならないことだと私は思う。
これはツインレイの彼がやるはずだった役割だと思うよ。でも別に誰がやろうが別にいいねん。
単純に私はこれに耐えられるだけ。だから交代したと思う、得意分野だから。
解離しようが、精神が破壊されようが、神に崇めたてられようが、私は最後に必ず人格統合させられるだけの自信がある。
だから今、人格が統合された。誰が何しようが私は自分の精神のことならなんとかする。だって私は私が認める天才だもの。
彼くんが背負う火の粉を私は背負うし、その動機なんて「魂が可愛いから」ってだけだしな。
神さんなんてそんなもんだよ。お気に入りはお気に入り、依怙贔屓なんて当たり前よ。
つまりだな、彼くんはキリストさんの道にいたんだが、私が「彼くんの魂が可愛いから、なとちゃが代わりにキリストさんやる~」と犠牲者の代替えやっただけ。すり替わった。
人の経験を奪ったのが私ですね。わろた。でも、こんな茶番劇やらんでいいわ、時間の無駄無駄。
最後にわかったことなんて「人は自分のささくれが一番に痛いこと」だからな。
みんな知っとるがな。知ってることを復習しても仕方ないからな。
精神的な学習よりも、この世でちゃんと『現実的に生きる』ことのほうが私は最も大事なことだと思うしな。
持ってるモンがあるなら社会に貢献して来いよ。私は社会貢献できるものがねえからな。
そうやって愛されて来いよ、人間性で人を愛するなんて禄でもないことしてないで実績あげてこいよ。
何かしらの名誉をとってこいよ。
彼に感謝されることもないだろうし、彼が私に何かを想うこともないと思う。
きっと忘れているかもしれないし、でも、なんかそれでいいや。それがいい。そうしようぜ。
それって幸せなことだよな。裏で私が何やってんのかなんて知らんでいいこと。
愛されていることに気づかないこと以上に幸せなことはないよ。
自分の存在の為に犠牲がいるだなんて、知らんでいいことだわ。
だから、このまま、さよならしてしまうことが彼の幸福なんじゃないかな。
彼がもし、この期間に楽しく過ごしていたんなら、それはもう願ってもないことだと思う。
知らない方がいいことのほうが世は多いよ。だから私は秘密が多いし、それは多くの人の幸せを守っているつもり。
愛しているよ、だから私は言わないことがある。
責任を感じてほしくないんだ。私がこうしたことも私の自由だしな。
何も思わないでくれていいと思うし、知らんでいい。私の存在に気づかないでくれていい。
だからこれは私の人生ということで。
彼のものではなく、元々私の人生がこうだった。どっちでもいいなら私のにしとこ。
彼とは全く関係がない私の人生である。
あと、これらやると徳をいただける。ありがてぇ。
おかげさまで、根っこにあった私の病理が終わったしな。
彼がやると人生が破壊されて終わったと思う。再起不能だと思うよ。向き不向きってあるんだよ、マジで。
私は彼を犠牲と言う神にするつもりはなかった。それだけ。人でいてほしかった。
だから『人さん』って呼んでいた。神さまのような子だったよ。
ただ想ったんだよ、孤独を。そんだけ。
あんまり深い意味はないねん、ただ想っただけ。
その孤独が可愛かっただけ。愛おしいなって思った。
だから私が代わりに頂いた。そんなに複雑なことはやってない。
出会いの頃にやっとる。で、そのままサイレントに入るまで、徐々に彼に移行していった。分離した。
解離しとって記憶を忘れとったな。これがツインレイなのかどうなのかしら正直もうどうでもいい。
私がやりたかったことはやったし、やり遂げたし、最後にすべてを回収して人格も元に戻ったしな。万事OK。
地上のツインレイとき、私は「私のことを忘れないでほしい」と言った。
あのときはまだ未熟だったんだろうな。
私は刹那的な人生を送っている。命短しこと、理解したうえでの人生である。
この人生で出来ることは限られている、時間は有限だからな。
だから忘れるのは早い方がいい。今を大事にするために、刹那に生きたらいい。
今を大切に。私が彼に言いたいのはそれだけかな。
未来の為に今を犠牲にしていいことはないよ。
あなたの場合、失うものが多すぎる。私を失ったようにね。
まァ、彼の未来の為に今を犠牲にしまくった私が言えた義理もねえが。ぶっちゃけ手元には何も残らんかったしな。
数年棒に振ったわ。
でもさ、好きだなって思う子の未来ひとつぐらい守りたいって思っちゃったんだから仕方ないよ。
女ってそういう生物じゃない? 守りたいんだよ、男の人の人生を。
そのために死んでもいいって思う。で、死んじゃった。
私は私以上にイイ女を知らねえよ。
この四年間のことを一瞬で、すべて水に流して終わらせたからな。
どうあるべきかを混乱し続けていたのは、解離していたからなんだな。
ツインレイに出会う前に解離していた部分もついでに練り直して統合してもらえてありがてえわ。
余計に判断能力あがるよね。わろた。無駄に能力値だけはあがっとる。
神を生ませるなよ、この世は人の世だろう。神なんぞ必要とする世界にしてくれんなよ。
怒ってるんだよな、私。
子供を犠牲にして成立しているクズみたいな大人が偉い顔している世界に怒っている。
従来の人格に戻って、すげえ楽だわ。この感覚なつかしい。
あと、疲れた。
はー、終わった。おつかれ。