夢見|I amという人種について、天王星。
夢見について。
ピアノが上手でプロの活動も始めている17歳の男の子を預かった。
最初は傷つき過ぎていていたが、徐々に明るくなった。
最初、それを彼くんだと認識していたんだが、徐々に別の子だと理解する。俊くんという名前らしい。一緒にお布団でぐーぐー寝たんだが、満たされる。夢のなかで「なるほど、ツインレイのひとたちも、彼くんと俊くんで揺れ動くのか。」と思った。
俊くんとは相思相愛にはなれるが、まだ相手は未成年なので、その辺はちょっと・・・とお断りする感じ。18歳になったらかなァ。
一回起きて、メモ。再び寝る。
70代の7人の叔父が揃うと生まれる子がいる。それが「I am」という人種。
一回起きて、メモ。再び寝る。
城に侵入しようとしているのだが、城主がいる。私と一度話したかったというが、その前に紛れ込んでいるI amをなんとかしろ——と言う。それが俊くんである。
最後に目覚めたときの時間は13時45分。昼が過ぎていた。ちなみに、前の夢をそのまま続きを見ることはたまにあるけれど、頻繁にはないな。
I amという人種について。
70代に7人の叔父が揃うと生まれるとのことだが、70代にまで父性がある男性7人が生き残れば、1人I amが生まれるのだと思う。だけれど、元々70年代にまで生き残ることがない時代にI am人種は少なかったのかもしれない。
I amは天王星の子だと思われる。つまり革命児。
「私はーーです」というカタチで自己評価が明確なのかもしれない。
それから社会の枠組みから抜けやすく、自分の存在を社会に適応するよりも自分に適応させていく力がある。だからI amであり、社会に流されるよりも、自分の存在を明確化させていくことで、自己による選択により生きていく力がある感じ。
そして、それが『天王星』なのだと思われる。
それは若い頃に「自分はどう生きる」「自分はどうする」という道が明確にみえているのかもしれない。
その道にそって生きるがゆえに、ある種、社会との軋轢の問題が生じるが、それを『革命』と呼ぶ。
これを『エゴイズム』と呼ぶのか『革命』と呼ぶのかは、天王星が土星の社会性を帯びるとき、革命になるけれど、もし、社会性を帯びることがないとき、それはエゴイズムでしかない。
また、とても傷つきやすいのかな。このケアが終わった後でなければ、天王星の役割は果たせない。
ツインレイの人たちがI amの子に出会うとき、合わなくなったら一気に離れるようになるかもしれない。
I amの子は「合わせてくれないと無理」なんだと思う。「私は」という主語を強く持つって大変なことだなと思う。それに社会を背負わせることでようやく革命が起きると思うんだが、なんなら社会性が伴わなければ、反社会性となったりもする。革命ではない、ただの反逆ともなる。
革命とは「より良い方へ」となるが、革命が失敗したとき、それは「反逆」でしかない。
そういう革命を背負っている子が、この世界に紛れ込んでいる。
私の夢見からは、彼くんのなかにはI amの遺伝子が入っている感じ。で、それが俊くんな感じ。
そして、彼くんのなかにあるI amと本体である彼のうち、今回、私はI amの子と一緒にいたんだと思う。
「私は——」という、自分はどうしたいのかということ。I am遺伝子が父性による抑圧という名の社会のルールを学び、社会性を身につけるときに限り、革命が発動する。
それは、彼が本心でどうしたいのかである。
自分の世界を革命をすることもできるし、それは『自分の意思』に限り。そして、もし、自分の世界を革命することが出来れば、次に社会を革命させていくことになる。
それが「ワガママ、反逆」になるのか「革命」になるのかは、社会のルールや法則を手に入れているかどうかである。
その意志が社会に認められるとき、革命となる。
最後はね。太陽による『実存主義』だよ。
自分でどのように選択し、どのように生きるのか。それは自分で決めていい。
まわりまわって「自分」に戻るんじゃないかな。
それを踏まえたうえで「主体性を持って、あなたがどうしたいのかを教えて」って話なんだと思う。
このときようやく、人は「実存的」になるんだと思う。
社会性を持って『いかに生きるのか』である。
社会性のない実存主義なんて、ただのチャランポランのハチャメチャなことだからな。型もないのに型破ろうとしてハチャメチャな人たち。
それを大人と呼べるかい。
そういえば、彼くんに「どうしたいのか、ちゃんと言って。合わせるから。」って何度か言った覚えがあるな。
合わせてあげることはできるんだよ。でも「どうしたいのか」をちゃんと伝えてくれないと、合わせるものも合わせられなくなる。
なんか私の不満の根源はここだったかも。合わせようとしているのに、合わせようとさせてくれない。
ツインレイはI amという天王星の存在と、当人の本体の存在とで揺れ動く。
でも「どっちも当人」だと思う。どっちかを選べないはずなんだが、どっちかを選んでしまうのかもしれない。