人生とは、お茶の味がする。
人生、うまくいかないもんだね。
楽しいこともつかの間、一時のまやかしにすぎない。ただ息をしているだけなのに、どうしてこんなに苦しんだろう。
生きるって苦しいね。ただ息をして存在しているだけなのに、息苦しい。
純粋に「生きる」とは、そういうことなんだろう。息苦しいのは存在の重みなんだろう。
多くの人は「向き合え」というが、最後の最後まで向き合いきってみれば、そこには何もない。この事実に耐えられない人もいるかもしれないし、もし、それに喜びを感じているのであれば、それもまたまやかしにすぎない。
残るものは「息をする苦しみ」だけ。心だけ。
息をすることが苦しいのである、矛盾している。でも違いない。
生きる苦しみとは、存在する苦しみであり、存在そのものが押し寄せてきては自分を重圧し、私は消滅したいと思うほどには、自分が息苦しい。
この身体は、この存在は、たったひとりという概念のくせして重くのしかかり苦しい。
人が抱えているものは、たったひとりの人生だと思う。そのたったひとりの人生を生きることはとても苦しいこと。
もし、この苦しみから逃れることができるのであれば、それは「死」である。
みんな逃げ出したい、この苦しみから。
自分の存在から、人生から逃げ出したい。
あわよくば、人に押し付けたい。
生きるって息を留めるってことなのかなァ。それは「自分の心をここに留める」こと。
そしてそれが私の中にある鏡なんだろう。
その心が初めて感じていることは苦みである。
人生とは苦いものである。それはお茶の味。
苦い。苦いけれど、美味い。人間のうまみとは茶にある。
そして、その苦みは、自分の心をここに留めたときに感じる感覚。
苦しいんじゃない、苦い。この人生を生きること自体が苦い。笑っちゃうね。
だけどいつか、お茶の苦味を美味しいと思うだけの大人になる日がやってくるだろう。
そのときまで、私はこの苦しみと、またこの人生の苦味を感じて生きていくことにしよう。
私がこの人生を苦しいと思うのは心の味覚が子供なんだろうから。
美味しいと思える日までお茶を飲み続けてみようと思う。
私は軽くはならなかった。私は重くなり苦しくなった。
生きる実感を初めてした。初めて「心」を経験した。
そして人生を感じるよ、苦いなって。美味しくないなって。これのどこが美味しいんだろうって思うよ。
何度も心のなかで「さよなら」って聞こえてくる。
さよなら。
今までありがとう、いつかの私。
あなたが人生の苦しみから私を守ってくれていた。
そして、心の苦味を教えてくれた。
ありがとう。