報告|私が宇宙人であることを受け入れる。空に融けた雑草になりたい。
なんだこれ? と思っている。
だけど、私は受け入れた。
私は宇宙人であることを受け入れた。
元々の出身がどこの星かと言えば、地球である。私はこの地球から生まれた存在である。
それは私にとって「この地球がすべて」であるとも言える。
私たちは日本人だけれど、ほかにも国々があるから「日本」という概念が必要。だけど、もし私たちが日本しか知らないのであれば、日本という概念は必要がない。それがすべてなのである。
最近、近しい星々を知って「私はこの宇宙に生きている人」であることに気づいてしまった、不覚にも気づいてしまった。
それまではこの地球のなかでヌクヌクと、ほかの星の人たちについて知らぬまま存在していたというか。私は「地球人」という概念しかないまま存在していた。そもそもそれがすべてだから地球人がデフォルトの「人」という概念。
これを認知の領域が狭いとも言える。
私にとって「日本人」であるアイデンティティの先に「人」であるアイデンティティを見つけ、その向こう側に初めて「宇宙」を見つけた。その宇宙のなかで「地球に棲む宇宙人」であることに気づいた。
最近は、日本に棲む外国の方々をみるかのように、地球に棲む宇宙の方々を見かけることがある。
たぶん、今まで自覚がなかったのは「自分の認知領域が狭い」のもあったんだと思う。だから認識できない。人間の器のなかに入っている限り、みんな「人」なわけで、そのなかに入っている魂がどこの出身かどうかなんてさすがに考えない。
というか、わからない。
だけれど、なんとなーくわかるようになってきて、私は自分を宇宙人だと認めることができるようになった。
ついに私は宇宙的なグローバルな世界観のなかへ飛び込んだ。認識領域が広がった。
「それ」は「待つ存在」ではなくて「くる存在」へと切り替わってきている。それは決定事項のような感じ。
私は、ここに誰が来るのかを知らない。だけど、誰が来るのかを知っているし、私はここで待たなければならない。
どこから来るのか知らなんだ。それが誰なのかを知っているようで知らぬふりをしながら私はここで待たなければならない。
それがわたしの人生の岐路である。
今、直感が冴えわたったり、多くのことを理解しているときでもある。
だけど、私はそのすべてを持ったまま、この先に歩くのかというと、そうではないと思っている。
たぶん、ほんとうに「ふつう」になると思う。
第三の目が活躍することもないし、たぶん、普通の人よりかはお気楽な感じで生きている行き当たりばったりな人生を送っているかもしれない。
普通の人と違うのは「霊感がある」とか「直感がある」とかではない。
ただ知っているだけ。人生をどのように生きるべきなのか、この人生とはいかなるものなのかを知っている。
神に愛されていることを知っている、この世がいかに回っているのかを知っている。
知っている、それは未来じゃない。理だ。
この世の理に少し触れ、私は人生について考える。少しだけは普通の人より世界に優しい人になれるだろう。
だけど、私は「普通の人」だと思う。
すばらしい功績も遺すつもりもないし、なにかを為すこともないだろう。私が目指したもの——、それは「普通の人」である。
とりわけてどこにでもある普通の生活。一番難しいような気がする。
歴史にも残らない、誰かの心にも刻まれない、誰かに語られることもない。だけど、確かに私は生きていた。それは私のなかに存在している経験が語っている。
それだけでいい、私の血がこれから「私が存在していたこと」を証明してくれるだろう。
私は霊能者にはならない、私は救世主にもならないだろう。霊能も使いこなすこともできないよ。
私は普通の人でありながらも、人生の開拓者である。
誰かを救うことも出来ないし、誰かのためになることもなかなか難しいだろう。
感謝されることもほとんどないだろうし、ただ存在しているだけのゴミクズみたいな生き物である。
そして私は、そんな人生を送るだろうし、ツインレイとしての地位もいらないと思っている。
誰かの道しるべにもならないだろうし、私は誰かのモデリングのひとつにもなりゃしないだろう。
私は「普通の極み」を見つけていく。パンピーの極み、それが私。
きっと、私のことを「普通の人ではない」と思っている人が多いかもしれない。
だけど、私は「普通の極み」だよ。私は普通を極めぬいた人。だから平均値を叩き出せる人。
だからこそ、きっと多くの心に触れることが出来るよ。
私が愛したもの、それは特別ではない。
私が愛したもの、それは生活。それは普遍的などこにでもある、名前すら忘れられた雑草たちの世界。
ただ血を残すだけに生きている人たちの世界。
私が愛したもの、それは価値がないもの。私が愛しぬいたものは、人が価値がないと烙印を押した価値がないもの。
この世には価値がないとされている、雑草のような人たちが折り重ねるお金にもならない世界。
そして、そんな人たちのほうがこの世には多いんだよ。なんにも価値がない、成さない、血を残すこと以外に何もできないような人たちもいる。私はそんな人たちを愛している。
それが親になっていく人たち、未来を生み出していく人たち。
何もないから親になるんだよ、だから親になれるんだよ。
きっと何も成さない。だけど、私たちは生きているだけで血の証明をしている。私たちは生きているだけですべてを背負っている。私たちの人生は「血筋」という過去を背負っている。
生きているだけで立派だよ、生きているだけでご先祖さまの人生をすべて背負っている。
これが「なすべきこと」。
そんな人たちを私は愛しているし、もし、いかなる人生を選択しようとも、あなたがご先祖さまを放棄したことにはならない。
あなたが生きているだけで、すべてを証明している。
一生懸命生きる必要性はない、だけど、残せ。あのときのように産めや、増やせとは言わない。兵士を生み出してほしいわけじゃない。
あなたが死後も、これから先も「あなたが生きていたこと」を血が証明してくれる子を産め。
それがあなたのためになる、すべてを肯定してくれるよ。子孫たちが肯定してくれる、私たちが人生をかけて血を肯定してきたように。
私は消えたい、生活の一部のなかに溶け込みたい。
多くの人が気づかないまま、通り過ぎていくような空に融けた雑草になりたい。
そんな私を見つけてくれる人を探している。だから私は、ここで根差して誰かが来るのを待つ。
私は過去のすべてを失うけれど、未来のすべてを手に入れる所存である。これが営みである。