自分のことを受け入れると「真」と「手放し」に分類されるよ。

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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ツインレイのことが過去形となって「どうでもよくなった」わけである。

 

どうでもよくないんだよ。

どうでもよくないから、記事を書き続けてきた。

どうでもよくないから、考え続けてきた。

「どうでもよくない!」と思っている本音は、私を私と向き合わせる力になった。

実際のところ、ツインレイのことはどうでもよかった。でも、私は私のことがどうでもよくなかった。

私が苦しんでいる、このことについて「どうでもいい」だなんて思えなかった。

ツインレイのことじゃない、私は私のことで悩み続け考え続けてきた。

ツインレイのことを手放すんじゃない、私は私のことを受け入れることが必要だった。苦しんでいる私を。

私はツインレイにより派生した「自分」を受け入れることが、ツインレイの手放しに繋がっていた。

 

私はツインレイの手放しではなく、私を受け入れただけ。

そうしたら、ツインレイのことはどうでもよくなってしまった。

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私たちは、ツインレイによって「自分に戻る」ことになるけれど、ツインレイの手放しは最終的にはそうなったけれど、本質的な部分でやっていることは「自分を受け入れること」だった。

自分自身を受け入れたら、どんどんとツインレイは手放されていった。

過去の私を受け入れたら、過去のツインレイが手放された。

今の私を受け入れたら、今のツインレイが手放された。

未来の私を受け入れたら、未来のツインレイが手放された。

ぜんぶ私のことだった。ただ、結果的に「手放し」と呼ばれているけれど、本質的には「自分を受け入れること」が大事みたい。

 

自分がどのような過去を背負っているのか。

自分が今どのよな立場になっているのか。

自分がこのまま進めば、どのような未来なのか。

そのすべてを受け入れたとき、私たちは「私たち自身」に立ち戻ることになる。

 

すべてがフラットになって、すべてがまっさらな白地図の上に私たちは立つ。

ただ受け入れるだけ。色々な自分を。受け入れたら受け入れた分だけ、余分なものが手放されていく。

私は思考し続けていたけど、それが私だったし、それを手放すつもりもないし、そんな自分を受け入れている。

だから「余分なものだけ」手放され、「真の自分だけ」が残るようになる。

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最終的には「真」だけが残る。いらないものは手放される。それは自分を受け入れる作業のなかで分別されていく。

すべてにおいて受け入れたらいい。環境も、自分のことも。すべてにおいて「自分を形成しているもの」である。

最後には「真」だけが残る。これが「私」である。

何もないなか、私だけが残っている。

 

自分を受け入れる経緯は、みんな違う。

だけど、受け入れた分だけ、手放しと真に分類されることは万人共通。

真として残った部分だけを持って生きていけるとき、私たちは魂の生き方を望む。

 

欲しいと思う自分の未来はやってこない。欲そのものだから。

だけど、欲しいと思っている自分を受け入れている人には、新しい未来がやってくる。欲があるから。

 

 

 

どうでもよくないのに、どうでもいいの箱に入れてしまった人たちは誰?

大事なものを手放してしまった人たちは誰?