魂の親である神と動物性の本能(レイキヒーリングで視える動物のこと)

| Ⓒ なとり

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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レイキヒーリングで遠隔を意図して行ったのは、過去二回程度。ひとりは初めてチャレンジさせてもらったnaoさん。もうひとりは我が母である。

ふたりには、それぞれ動物が視えた。どちらも私を威嚇していた。

naoさんには、長毛の大きな茶トラ猫(メインクーンに思えた)。
我が母には、大きな汚い雰囲気の独特な縞模様の入る大蛇。

ちなみに私は『鴨』である。

 

私たちには魂の親が存在しその親から受け継いでいる本能が存在している。その本能は動物性に由来し、私たちの人生の主軸にもなっているようである。

今回は、私が視てきたレイキヒーリングで視える動物さんたちについて触れてみようかなと思う。

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魂の親が持つ『動物性の本能』とは

人は動物と神の架け橋であるとルドルフシュタイナーは言っているわけなんだがけれども、私たちは『動物性の自分(本能という自我)』と『高次の自我(超自我)』を持っているとして考える。

図の説明:動物と神の橋渡しをしているのが人間

私たち人間は『本能』という動物性の意識と『抑圧』という神の意識と、それから『人間』という理性の意識により、本能と抑圧のバランスをとっていると考える。

抑圧がわかりにくいので補足を入れると、私たちが動物である意識の本能を否定し、抑圧し「動物的な本能で生きるな」という道徳性のことを意味する。フロイトで語られている超自我・自我・イドの構造に通じている。

魂の親である『神(抑圧)』により『動物(本能)』が生まれ、そのバランスをとるために『人間(理性)』という存在が生まれている。

バランスをとるためにはそれぞれすべてが必要なのである。

さて、私たちの精神構造には『神の意識』『動物の意識』『人間の意識』の三つが存在しているうち、この地球では『人間力』を求められ、人間の意識を高め、動物と神のバランスをとっていくことが望まれている。

 

この話となる根源には『どの神から自分の魂が生まれたのか』が重要となる。それが『抑圧』になる。

次には『神のレベルの存在を動物レベルに落とすとどんな動物なのか』が『本能』を表現する。

そして、そのバランスをとっているのが『自分』というアイデンティティを意味する。

この両極端性により、私たちの人生が模されている話なのである。

動物性の本能の特徴


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動物性の本能にも色々な特徴性がある。

動物それぞれにより『本能としての意味』が違い、『本能としての成長』の意味合いも違う。

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動物性の本能の違いとは

動物性の本能は、動物によりそれぞれ違う。

たとえば私は『鴨』としての本能を持っている。とりあえず「親」と認識したものからドンドンとコピーして吸収していく同化性を持っている。刷り込まれた親についていくということ。本能が駄々洩れると「ただ着いていく」みたいな本能がでてくる。

しかし『猫』としての本能を持つ人は、この『親からのコピー』という刷り込みのようなものは存在しない。本能が駄々洩れると「威嚇する」みたいな本能がでてくる。

それぞれ本能にも特徴性があり、その特徴性のもとに本能が成立し、私たちの人生にとって重要な意味を成している。

動物性の本能は成長する

動物も最初は小さな状態から成獣へとなるように、動物性の本能も成長するようになる。

つまり私たちの本能も生態系を変えていくのである。

私の場合、鴨ゆえに小さいヒナのときは『刷り込み』による本能と『親と認めた相手』にたいしては従順的についていく気質がある。付き従うことなども鴨のヒナゆえに可能だ。そして空を飛ぶことはまだ出来ない。

しかし、鴨のヒナが大きくなることで『空を飛ぶ』ことが出来る成獣となったとき、鴨は『自由』を手に入れるようになる。

鴨は、自由にどこへでも行けるようになる。そこに親がいなくても大丈夫だし、親に付き従うこともなく、守られることもない。

このように、動物のヒナから成獣にいたる経緯による育ちの過程が本能の育ちの過程にあたるのである。

また、その本能が育っていく経緯で『理性』というものと『抑圧』というものも育つことになる。

本能が育つということは『本能をコントロールできる』という段階にも差し掛かっているのであり、神という存在から抑圧ではなく『協力』を感じるようになり、そのためには『理性』を必要ともする。

 

もちろん、親である神にも『本能』はある。その本能は『聖獣』として書かれているケースも多く、神には神の本能があり、またその神から譲り受けている本能が、私たちの人間の世界では『動物』というカタチで認識されるのである。

本能
神の魂聖獣
人の魂成獣
未熟な魂ヒナ / 子供の動物
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動物性の本能によるふたつの側面性について

動物性の本能には『善』と『悪』の側面性が存在している。

それぞれ、私たちの本能は動物により『なにを悪としているのか』の定義なども違ってくる。

本能にも『善となっても悪ともなれる』わけで、このうちの『悪』を克服していくことで、私たちは『真実なる本能』を手に入れていくことができる。

たとえば、猫も蛇も『威嚇する』ということがある。(鴨にはない、鳥は『飛び立ち離脱する』になる)

この威嚇は、動物のなかでも動物的過ぎる本能にある。人を信頼する意識がないとき、私たちは威嚇するのである。また鴨である私は逃げ出すことになる。

根源には『人への信頼』なわけだが、これが『理性への信頼』である。私たちのなかにある理性に対しての信頼がうまれているとき。人間的な人生を送っている自分への信頼が成立しているとき、私たちは他者への威嚇をやめることになる。

これが動物である本能と、人間である理性による繋がりにある。

もし、自分自身に対しての信頼感が成立していない動物が私たちのなかに存在しているとき、それは『威嚇する』『飛び立つ』という他者への攻撃性や逃げ出す意識を生み出す。

 

大事なのは、理性を育て、自分を信じることは本能を抑制することに繋がっているってことだ。そして、人である自分を好きになることは本能に好かれる。しかし、本能を抑圧し、コントロールしようと支配するとき、私たちは本能に嫌われ、本能に牙をむかれるのである。

本能に牙をむかれるとは、他者との関係性に歪を生み出すことに繋がり、自分自身が牙をむくこともあれば、他者に牙をむかれることもある。どっちにしたって『他者とは自分』なのである。

自分の動物性を上手く育てているかどうか。どうやって関わっているのかにより、人生はまるで違うのかもしれない。

理性が伴う本能とは

本能っていうと『理性がない』状態になる。しかし、理性が伴う本能がある。

いわば、本能を使いこなす状態にあり、これ以上の侵害はダメというときに『怒り』をつかったりなど、私たち自身にある感情を使いこなし、悪しき感情も群れを維持するために必要だったりする場合は『怒り』をだしたりなどもあるんだ。

高等な生物には、この理性による本能(感情)を使いこなすこともある。これが『叱る』だったりもする。

ダメなものはダメ。これ以上にやったらお互いの為にならない——ってときに働く意識なども、人と動物の関係性が良好なとき、本能を遣ったりすることもできるようになってくるように思う。

 

本能が自らの為に使われるとき、相手を傷つけることにも繋がるが、本能が他者の為に使われるとき、関係性を良好に保つための手段だったりするケースもある。

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レイキヒーリングでみた動物たち

私がレイキヒーリングで視てきた動物は『猫』と『蛇』である。まだ遠隔ヒーリングで2回しかやったことがないから、このケースしか知らないと思ってくれていい。

猫は、子猫⇒猫⇒『ライオン(獅子)』と育つ。アリエルさんのところの魂。

蛇は、小さい蛇⇒蛇⇒『大蛇』と育つ。カマエルさんところの魂。

鴨は、ヒナ⇒鴨⇒『龍』と育つ。タカミムスビ(ヤハウェ)さんところの魂。

項目を少しずつ増やせて行けたらいいなと思っている。