心に雨が降り続けている。心が繋がりました。
チャネリング能力を喪失しました。
これでレイキのご提供を終了します。

レイキやチャネリングにご興味がある方、お気軽にご登録ください
Kindle版
さよなら、ツインレイ
当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。
kindleの読み放題『Kindle Unlimited30日間の無料体験』では、ほかの三冊も同時に読み放題
外も雨だけれど、心のなかに雨が降り続けている。
この体感を覚えるのは、とても久しぶりだと思う。
悲しい。だけれど、涙が出ているわけでもない。
禊に近いもののように感じるし、この感覚を「心に雨が降る」という言葉で表現するのが一番としっくりくる。
悲しいのに、悲しくない。身体と心が分離しているような気もするし、私以外の誰かが泣いているような気もする。
私は、この悲しみを引き受けたいと思う。それが約束だから。
今まで、共感されることが嫌だった。
私の努力が無に帰されるよな気がするから。
それは、志が違うことだった。
私は必ず何かを目指して生きてきた。志高く生きてきた。
志が違う人、志がなかった人に共感されると、私の努力が、私の志がなかったことにされる気がして傷ついた。
でも、今はちょっと違う。
志が同じ人に出会えたりして、志を共にできることを嬉しいと思う。
彼も同じ。
彼もまた、同じ志を持っていた。
同じ志に気づくことが出来るようになるまで——。
それが私の道でした。
私の場合、同じ目標に向かいたい。そして、同じ目標を目指して共に生きることを嬉しいと感じる人。
意欲的に生きる私にとって、同じ目標へ向かうことは喜びのひとつ。誰かと繋がれる手段。
共に生きるとは、同じ目線で同じ世界を見ることだと思う。
でも、同じ目線でなくても、同じ世界を見ていなくてもいい。
心が繋がっていれば、共に心が生きれる。
心のまま、私たちの志が同じである限り、私たちは共に生きている。
共に同じ世界を見て、そして、心もまた同じ気持ちでありたい。
でも、今は、心が泣いているから、
静かに心の声に耳を傾けたい。
向こう側の世界で誰かが泣いているのを、私はこっちの世界で感じている。
彼は私の世界でした。
私のすべてでした。
そして、今も変わらず、私の世界で、私のすべてです。
心ごとすべてを抱っこしてあげたかった。
私も傷だらけだったけれど、それでも、私の傷以上に愛した人でした。
私のことなんてどうでもよかった。
でも、彼の心を抱きしめるたびに痛かった。私も同じように傷ついていたから。
私は彼と共にあれるとき、完全となります。
それが世界です。
私は彼と共にあるときばかりは「4」であり、完全です。
そして、私もまた世界になります。
志を超えて、ようやく心が繋がりました。
同じ気持ちです。
今が一番にしっくりきています。
心が痛いです。でも、雨がひとしきり降れば、虹がでることでしょう。
そんな日まで、私は痛みを抱えて生きていきます。
私の感情を受け取る日々は、彼の感情を受け取るために必要な道でした。
とても嬉しいはずの日に、私は悲しくて泣いている。
統合という日があるのであれば、こんな日がいい。
嬉しいのに、悲しくて泣いている。
統合という現象があるのであれば、こんな現象がいい。
心に雨が降り、心に痛みがあると言うのに、それが愛おしい。
苦しみと喜びが交じり合っていく。
相反する感情が交じり合い、私のなかでひとつになっていく。
そして、雨が私の心を洗い流していく。
すべてが無に帰すことを受け入れていく。
たったひとつを除き、なにもいらない。なにも必要がない。