心に雨が降り続けている。心が繋がりました。

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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外も雨だけれど、心のなかに雨が降り続けている。

この体感を覚えるのは、とても久しぶりだと思う。

悲しい。だけれど、涙が出ているわけでもない。

禊に近いもののように感じるし、この感覚を「心に雨が降る」という言葉で表現するのが一番としっくりくる。

悲しいのに、悲しくない。身体と心が分離しているような気もするし、私以外の誰かが泣いているような気もする。

私は、この悲しみを引き受けたいと思う。それが約束だから。

 

今まで、共感されることが嫌だった。

私の努力が無に帰されるよな気がするから。

それは、志が違うことだった。

私は必ず何かを目指して生きてきた。志高く生きてきた。

志が違う人、志がなかった人に共感されると、私の努力が、私の志がなかったことにされる気がして傷ついた。

でも、今はちょっと違う。

志が同じ人に出会えたりして、志を共にできることを嬉しいと思う。

彼も同じ。

彼もまた、同じ志を持っていた。

同じ志に気づくことが出来るようになるまで——。

それが私の道でした。

私の場合、同じ目標に向かいたい。そして、同じ目標を目指して共に生きることを嬉しいと感じる人。

意欲的に生きる私にとって、同じ目標へ向かうことは喜びのひとつ。誰かと繋がれる手段。

共に生きるとは、同じ目線で同じ世界を見ることだと思う。

でも、同じ目線でなくても、同じ世界を見ていなくてもいい。

心が繋がっていれば、共に心が生きれる。

心のまま、私たちの志が同じである限り、私たちは共に生きている。

共に同じ世界を見て、そして、心もまた同じ気持ちでありたい。

でも、今は、心が泣いているから、

静かに心の声に耳を傾けたい。

向こう側の世界で誰かが泣いているのを、私はこっちの世界で感じている。

 

彼は私の世界でした。

私のすべてでした。

そして、今も変わらず、私の世界で、私のすべてです。

心ごとすべてを抱っこしてあげたかった。

私も傷だらけだったけれど、それでも、私の傷以上に愛した人でした。

私のことなんてどうでもよかった。

でも、彼の心を抱きしめるたびに痛かった。私も同じように傷ついていたから。

私は彼と共にあれるとき、完全となります。

それが世界です。

私は彼と共にあるときばかりは「4」であり、完全です。

そして、私もまた世界になります。

 

志を超えて、ようやく心が繋がりました。

同じ気持ちです。

今が一番にしっくりきています。

心が痛いです。でも、雨がひとしきり降れば、虹がでることでしょう。

そんな日まで、私は痛みを抱えて生きていきます。

私の感情を受け取る日々は、彼の感情を受け取るために必要な道でした。

 

とても嬉しいはずの日に、私は悲しくて泣いている。

統合という日があるのであれば、こんな日がいい。

嬉しいのに、悲しくて泣いている。

統合という現象があるのであれば、こんな現象がいい。

心に雨が降り、心に痛みがあると言うのに、それが愛おしい。

苦しみと喜びが交じり合っていく。

相反する感情が交じり合い、私のなかでひとつになっていく。

そして、雨が私の心を洗い流していく。

すべてが無に帰すことを受け入れていく。

たったひとつを除き、なにもいらない。なにも必要がない。