アーリマン意識とルシファー意識とツインレイ

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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ちょっと笑ったかな。

 

そういや、ルシファーって高慢と傲慢だったよなって思って、ふたたびルシファー意識について調べてみた。

おなじみのシュタイナーである。ちなみにこの一件については一冊の本に認めて書いているので、よかったら探して読んでみてほしい。ちなみに私は当時、どのようなことを考えていたのかを忘れているのと、恥ずかしすぎて自分で読むことができないでいる。

 

めちゃわかりやすくまとめてくれているブログさんを掲載しておく。

簡単にだただた説明していくね。

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シュタイナーさんはこれからの時代に人間がしていくために、いくつかの意識を挿入されることになるよってことを前もって理論をたてた。(この辺がマジでこの人はしゅごい)

その意識の代表的なものが「ルシファー意識」と「アーリマン意識」と呼ばれているもの。

ルシファー意識は『霊的な誘惑にたえられるのか』というテーマ。霊的に活発化させて、自分はしゅごい! にならないかをチェック。

アーリマン意識は『物質的な誘惑にたえられるのか』というテーマ。物質的に活性化させて、自分はしゅごい! にならないかをチェック。

どちらも誘惑に耐えられたら、あんたの勝ち。自我が強く発達することになる。

ルシファー意識は『芸術・哲学・霊的叡智を提供』してくれる。

アーリマン意識は『化学や学問における智恵を提供』してくれる。

で、これの両方の力をバランスをとっているのが『キリストの衝動』である。

 

で、私自身的に、アーリマンの克服が地上のツインレイ関係だったなって思った。普通に『物質的』な人だったんだが、私は特に地位・名誉などにもあんまり興味がない人だったのもあるとは思う。

それからタワーマンションにも興味もなかった感じ。

その後、勉強しまくっていた感じだな。たぶん、アーリマンは化学や学問における智恵を提供してくれているから、その恩恵を受け取り続けていたのかもしれない。母に受験生以上に受験生って言われていたときのこと。

ずっと「霊的な存在」は見続けてきたんだが、これがルシファー意識だと思われる。このルシファー意識は『霊的意識』とされているんだが、霊能力への依存があるのかどうかだと思われる。

だからだと思うが、楽園のツインレイの彼くんとの別れのあとから爆発的に哲学し続けてきたんだなって思った。ルシファー意識だから。

キリストの衝動だけれども、これは、自分がキンピカに光ってた夢のやつだと思われる。成立したんだろうな。

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ちなみに面白い記述をシュタイナーさんは残してくれている。

病気は苦ではない。病気は、人間が自らの内でキリストの力を発展させるために障害を克服する機会なのである。

愛する者と別れるのは苦だろうか。キリストの力に貫かれた心魂は、愛はどのような物質的な障害も越えて、心魂から心魂に絆を結べることを知っている。精神の絆は引き裂かれない。誕生から死までのあいだの生、そして死から再誕までのあいだの生において、キリスト衝動をとおして精神のなかで道を見出せないものは何もない。キリスト衝動に貫かれているなら、愛する者と長い間別れたままでいるとは考えられない。キリストは、愛する者たちを結び付ける。

引用:“キリスト衝動”による苦しみの克服(人智学) | 瑞霊に倣いて

なるほど。

この記事、最初から最後までちゃんと読んでみると、あたいがいってた内容が散見されるなと思った。面白いね。

ちなみに、病気は苦だし、愛する者と別れるのも苦だよ。だけれど『苦を乗り越えること』によって、最終的には得られるものがある。そのとき、苦しみは苦しみではなくなる瞬間がやってくるよってことが言いたいのだと思われる。

最初から苦ではないわけではない。苦が苦ではないという事実を知る瞬間がやってくるだけ。したらば、それから別れや病に対しての見解がかわってくるって話。そうすると、苦しみに対しての見方が確実に変わる。

あと『心魂から心魂に絆を結べる』ってあるけれど、もしかしたら、これが私が彼くんと繋げているやつなのかも? うーん、脳内お花畑感あって嫌だな。w

でも、あたいのなかに彼くんはいるよ。

 

今回も、前回も、色々な人に出会ってきたんだが、その経緯で「アーリマン意識に呑まれた人」と「ルシファー意識に呑まれた人」を見てきたんだなって思った。

そして、ツインレイといっしょにいるときの私たちは「アーリマン意識」だし「ルシファー意識」を根付かせられる感じ。そして、そこから、その意識を脱ぎ捨てることができるのかって感じのチェックをされる。

注意していても、知らぬ間に傲慢者になっている感じ。だから逐一振り返って、我が身の心を整えながら生きるって感じになる。

 

今更数年前にたてた理論を読み返して「こんなこと考えていたのか~」と思うのは恥ずかしくて無理なんだけれど、でも、おおまかに私が考えていたこともデカイ的は外していなかったのかな? と思った。

 

この最後のキリストの衝動を持っている人たちは宇宙の創造の権利を持っているのかも。

 

 

 

これを乗り越える方法って『男を立てる』ことなのか・・・・・・? なんだこれ?

このアーリマン意識とルシファー意識の両方に感じたものが私は『慢心』だったんだよな。

この慢心を抑制するものは『異性』だったりする。

地位や名誉、何かしらを自分が持っているとき、その慢心を抑制してくれるのは、家庭の中にいる異性で、その異性を自分の名誉よりも大事にすることで慢心からは逃れられる。

社会よりも大事なものが家庭の中にあることも大事なことなんだと思うよ。

引用:社会に存在する『地位や名誉』には価値がないこと。