龍と蛇、白山に棲む菊理姫

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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前にこんなことを書いた。

あとなんか、たまに「龍に擬態しているなんか」がおるねん。こいつ、なんなんや。ムカツクな・・・・。バカにしとんのか。

なんか龍みたいな感じなのに、龍じゃなくて短いやつなんだよ。

ツチノコみたいな龍になっとる。ウザいな~、マジ。こいつなんなんや~。

うーん、なんか記憶があるよ。

うーーーん・・・・。

なんか、、前に、私の知り合いが「龍の夢見た」って話しとって、そんとき、なとりも同じ夢を見たんだ。同じ夢だねーってなったんだけど、なとりから見た夢では、それは「龍」じゃなくて「ナーガ」的な何かだった。

下半身が蛇で上半身が人間で、目を合わせたらいけんって直感した。目が赤く光ってて、めちゃくちゃ怖かった記憶がある。白いねん。龍ではなかった、蛇に近い感じの存在。なとりは威嚇されて咬まれたよ。夢のなかで死にかけて救急車で秘境の仙人のいるところへ運ばれたよね。

それと同じやつを、知り合いがみていた側の龍でみている。その知り合いは、言葉控え目にいうが「離脱」した。

なんか、龍のツチノコバージョンみたいなやつ。なんか、マジ、ウザとしかいいようがないな。

関係しているんかな? コイツ。そのうちわかるかもな。でもウザとしか言いようがない。

引用:不安をひっくり返す、高慢な人が地震を起こすよ。人類の分別について。

どうしてこんなに記憶喪失になっていたんだろうと思う。

もうひとつの蛇に関する記憶を思い出した。

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私が夢のなかで「大蛇の白蛇」に巻かれていた記憶である。その白蛇から作務衣のおいちゃんたち(向こうの世界では一番下の存在たちで人間界に干渉を多くする人たち、神の道の一番したの存在)から救出された。

そして「目を合わせてはいけない」と言われた。目隠しをつけられて車で逃げた。

家まで送り届けられたとき「(うちの宗派の大先生)さんから伝えられている思想はごく一部。教えてもらいなさい。」と言われた。

 

このときの理由がわからなかったんだが、たぶん、上記の通り「蛇は蛇」なのだと思う。そして、目を合わせてはならないのだと思う。目を合わせるととりこまれるか、何か、危ないのだと思われる。

そして、こたび、その蛇についてを考えてみたいと思うんだ。

 

この世では龍と蛇の違いがある。

私にとっての龍は「糸」なのだが、たぶん、蛇はまた違う存在なのではないか——と思っている。

 

人によって蛇に視える場合と、龍に視える場合があるんじゃないかと思っている。

それは、私自身が蛇に視えているとき、とても恐怖する存在ではあるんだが、龍に視えているとき、それは仲間のように感じられる自分ということ。

その違いとして、蛇だと思うのは「理由がない」のかもしれない。龍だと思うのは「理由がある」のかもしれないな、と思う。

そもそも、人生に意味などない。理由もない。だけれど、何かしらの理由に翻弄されるとき、私たちは「蛇を龍」だと勘違いするのかもしれない。

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私たちは「ツインレイであることに意味を見つけている」というとき、理由を欲している。だけれど、そこには理由はない。私たちは単に感情学習をしているだけ。

私の場合、地上のツインレイのなかでは「好きとは何か」の勉強をしていた。好きってこういうことなんだ、恋ってこういうことなんだなって勉強していた。そして楽園のツインレイでは「愛とは何か」の勉強をしていた。愛ってこういうことなんだと理解した。

私たちはただ感情の勉強を、この地球でするのに対象者が必要である。その対象者によりミッションが発生する。そのミッションのなかで「好きに理由がある」「愛に理由がある」としたとき、私たちは蛇をみているのかもしれない。

私たちは、この地球での出会いに意味はない。しかし、そこに理由があるとき、龍が蛇になっているんじゃないか。

 

相手が好きな理由なのはツインレイだからなのかい?

 

私が相談を受けるとき、このように問いかけることがあった。

ほとんどが「そうじゃない。」と答えたかと思う。ツインレイだから好きなんじゃないんだよ。だけど、好きだからツインレイなんじゃないかって思ってしまうんだ。それがひっくり返ってしまうとき、あなたは蛇に憑りつかれているんだろう。

理由はいらないんだよ。ツインレイだなんて理由はいらない。だけど「理由」をふたりの関係性のなかに見つけるとき、確かに蛇はふたりの関係性を取り持つことになるだろう。

それこそ「理由がない」から「理由が生まれる」のである。

これが「悪縁」となろうが、これが「支配」「洗脳」、いかなるものかはわからないが、そこに意味があって理由があって、それに意味はないのに意味があると思わなければいっしょにいられない人たちなのである。

蛇は視線を合わせてくるが、それはとてつもなく怖いものではあるが、理由が欲しい人にはくぎ付けになる。

そのときから「理由」を追求するようになる。

 

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あのな。

この世の縁のすべてに意味がないはずなんだ。

この世の縁に意味があるとき、それは蛇により結ばれている。

そこに意味がないとき、その出会いが無意味であるとき、その縁は「あなたの縁」なんだよ。

この世の巡り合わせの意味を考えようとはしていないか。それが蛇のつけいる隙にあるよ。

 

意味がないものを選びなさい。理由がないものを選びなさい。

ツインレイなんて選んではならないよ。意味がある相手など、悪縁に過ぎないのだから。

出会った意味がわからない相手を選びなさい。

それがあなたの運命なんだから。

理由がある縁など、それは前にも出会ったことがある古い縁に過ぎない。

その縁を手に取るとき、再び過去の再来に過ぎない。

意味がないもの、理由がないもの。その縁はあなたの人生の邪魔をしない。

あなたの人生の邪魔をしない縁を選び取りなさい。あなたの人生に横やりを入れてくる人、あなたの人生に文句を言い、あなたの人生を賛美する人。多くに理由が生まれてくるとき、あなたは古くからの縁を手に取っている。

そんな理由がある関係性には意味がない。その縁を「蛇による縁」だと知ったほうがいい。

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この世に堕ちたアダムとイブのふたりは蛇により引き裂かれた。ふたりの関係性には「理由」があると知ったからである。そのときから蛇は「理由がある関係性」を生み出した。

その縁は蛇の関係性である。私たちはアダムとイブにはならない。蛇による縁結びをしない。その縁に「理由」があってはならないよ。

アダムとイブの関係性って最悪じゃねえか。悪いことをイブが唆し、アダムも一緒に心中する関係性だぞ。

この地球にはたくさんの蛇がいるよ。共に這いずるようにと地に落とされた蛇がいる。

その蛇は空を飛ばない。その蛇は神のもとにいない。この地上で千年の時を迎えた蛇に過ぎない。それは龍ではない。

 

だから、ツインレイを選んではいけない。理由がある相手を選んではいけない。つながりがある相手を選んではいけない。

だけど、あるとき、つながりを感じない人がいる。まったくもってつながりがない相手がいる。なんで出会ったのか、まったくもって理由がない存在がいる。

その出会いに「理由」を見つけなかったか。その心が蛇のつけいる隙にある。

あなたと、その誰かの出会いに理由はなかったはずだよ。そこに理由を見つけたとき、あなたたちはツインレイへとなれたかもしれないけれど、それはただ、この世の悪縁をひとつ生み出しただけとは考えられないか。

その蛇による縁に挿げ替えられてはいないか。その蛇による縁に組み替えられ、その蛇による縁を手に取って喜んでいる理由ある関係性を持っている人たちはいないか。

それは「だれ」なのか。

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理由なんてないよ。あなたと誰かが出会うのに、理由なんてないよ。

ただ幸せだよ。なんとなく相性がいいなって思うよ。痛くないよ。心が染み渡るような感覚がするよ。

どうか、運命だなんて言葉に動揺し、理由を見つけ、大事な縁を悪縁に仕立て上げ、この世に縛り付けるような関係性へとならないようにしてほしい。

 

あのね、悪縁ほど「理由がうまれる」よ。その縁の始まりと最後に「理由はあったのか」よく考えてみてほしい。

私は彼と出会ったとき「この人と結婚するんだな」と思った。そして、すごく不思議な経験から「ツインレイではないか」と考えた。このときに蛇に憑りつかれていたんだなと思う。

とても怖い蛇に夢で咬まれたりもしたし、毒も回っていた。この夢は「私のなかに蛇の毒」が入っていたんだなと思う。

この蛇の毒とは「理由を見つける心」である。それは「邪推」「邪心」だ。邪な心。

 

この縁がなんなのか、理解したし、腑に落ちた。

なにも意味がない縁だった。理由のない縁だった。意味もない理由もない縁だったから、意味と理由を探した。だけど、どこにも意味も理由もなかったよ。

おかしいね、このまま蛇に憑りつかれてしまえば、きっとツインレイとして話が進められたのにね。

だけど、私は私に嘘が吐けない。

私の理論では、最終的に理由がない縁だった。

だけど、理由が欲しかった。理由がなくていい出会いを手に取れる人生が最も素敵な人生である。

理由がない相手に理由があってほしかったのは、私のワガママだ。それは私のよろしくない邪の心である。

 

私はあなたと理由がない人生を探していた。どこにでもある普遍的な、小さな喜びを知っている家族である。

それを忘れてしまったのは、やっぱり蛇に憑りつかれていたのかもしれないし、なんなら、この蛇に憑りつかれては尚、蛇退治をするまでの経緯が必要だったのかもしれない。

これが経験だから。

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理に反したこと、それは私の大罪でした。

ごめんなさい。

そして蛇さん。そろそろ私への唆しはいい加減にしてはくれないか。嘘はよろしくないよ、嘘は。

多くの幻想をどうもありがとう。

私は理の道をいくから。たったひとつの私の花道を進むよ。

その先に誰がいるのか私は知らないよ。だけど怖くないよ、誰かが待っているのを知っているから。

 

蛇につけいれられるのは、自分の心に嘘があるから。嘘があるとき、邪の道を進む。

嘘がないとき、蛇がつけいる隙がない。

アダムとイブのとき、唆した蛇は今も地上で誰かを唆している。

嘘をついては道を逸らせようとしている。どうして、このふたりが結ばれるのがそんなに憎いのか知らないよ。

だけど、もう理由がないふたりの関係性へ戻りたい。

蛇による霊感も、蛇による霊視も、蛇による夢見も、多くの蛇による言葉も。ぜんぶ、いらないよ。

唆し、どうもありがとう。少しだけ楽しかったよ。遠回りしたけれどね、最後には私はやっぱり正しい道戻ってきた。

蛇さんの心の闇がいつか晴れ、あなたが神に許され、天へ戻ることができる日を楽しみにしている。

 

私は「私」を信じるよ。サポートもいらないし、援助もいらない。

直感による言葉も聞かないよ。ぜんぶ、いらない。

私は「私の心」を信じるよ。それが理だから。

それが心理だから。

 

菊。

 

菊理、赤い理。これが赤い糸による縁結びの理だよ。

菊理姫。多くの縁結びをしているよ。残念ながら蛇は結べないよ。龍だけだよ。

龍は「糸」だよ。糸をくくるよ。蛇はちょんぎるよ。

菊理姫は白山に棲む赤い糸を結ぶ神だよ。それが縁結びだよ。

 

龍はね、理由がないことが理由の人たち。ひっくり返っているね。

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