宇宙の予言的な? 何かを4時間ぐらい読み続けた感想。

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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思ったこと。

この世のどの情報を信じたらいいかわからなくなる。

彼らの情報を読んで、私が感じたものはひとつ。何を信じたらいいのかわからないなってこと。

混乱した。

書いてある内容を読んで、私が正しいと思う内容と間違いだと思う内容の2種類に分類されている感じ。

そこに混乱した。混乱の次にのまれていくような感覚にもなった。

そしてSF世界が、この世界に適応するんじゃないかっていう感覚へとなって、夢心地のような気分に。現実感を失う感じ。

宇宙人に、さらわれたくないなァ・・・・とか、恐怖をあおられた。

 

それで、こう感じた。

私はこの発信者を信じるのか、信じないのか。

そもそもこれが大間違いだなと思った。

読んでいて私がどう感じたのか。

「人を信じられなくなった。」「生きるのが怖くなった。」

自分がしていることは間違いなのか、誰かは間違いなのか。みたいなそういう考え方になった。

それを感じて「読むのをやめよう」と思った。

誰かを疑う人にはなりたくないなと思った。

自立したところで、人を疑って「自分一人だけで生きる」「誰も信じない」みたいな心はよくないなって。

そういう人生は歩みたくないなって思った。

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いらないなって思った。

こういう宇宙のお話、いらない。

「誰かを疑うような心を育てる情報」に触れたくないなと思った。

これらがなんの目的をもって発信されているのかもわからない。いや、わかるよ。

だけどさ、人を疑ってひとりで生きていくよりも、

「この人とならば、いっしょに地獄にいきたいかな。もし、この人と一緒にいたら楽しいかもしれない」

って思える友達や恋人に出会えるほうが幸せじゃない?

この世は確かに地獄かもしれないけど、そんななかにも、健全な関係性がないわけじゃない。

人を疑わずとも、バカをみることがあったとしても、最終的には人を信じることによる良さってあると思うんだよな。

信じたからバカをみたんじゃなくて、

信じたからこそ楽しい時間が過ごせるようになるんじゃないかな。

 

そして、宇宙的な話を書いている人たちがいっている内容の本質の話を言葉にするのであれば「教祖の革命」「信仰の革命」って話なのかなと思った。

当人たちはそんなん一切いってないけれども。

この世で教祖としてあがめられていた人たち。救済者として呼ばれている人たち。この人たちを否定と肯定を繰り返している内容な感じ。

言葉にしにくいな。

古い形を持っている「教祖」の在り方が否定と肯定として存在していて、その古い教祖だった人たちが輪廻をし、今度は、新しい教祖を立ち上げようとしていて、その新しい教祖の形としての存在を「古い教祖は間違いだ! 本当の教祖はこっちだ!」と言ってて、新しい形の信仰に形を変えさせようとしている。

単純に言うと「信仰」なんだよな。信仰のカタチが旧来のカタチだと維持できなくなっていて、教祖たちが「魂の欠損」みたいな形でこの世に転生で生まれてきても、まだ悪あがきしていて、その悪あがきが「新しい信仰」を立ち上げようと必死にやっている。

そのやり方が「今までの前世で自分がやってきたこと」に対して「否定」と「肯定」みたいな感じにして「本当はこうしたかってん。本当はこういうことやねん。本当はこっちが正しいねん。」みたいなことを言っている。(都合のいい形に改ざんしているイメージ。だから混乱する。)

だから、この一連のやり取りみたいなもの? のほとんどが「神」とか「宗教」とか。そういったものを孕んだ内容になりやすくて、その内容はたいてい前世の記憶とかを引用する感じでやっているんじゃないかと思っている。

そこに「宇宙」っていう概念追加されてきた感じ。斬新になった、めちゃくちゃアメリカンになった。

で、その内容が「宇宙的なスピリチュアル情報発信者」みたいなものとして出回っているイメージ。

で、多くの人たちが「自分は神だ」という発信していると思うんだよ。それ自体がそもそも教祖だったときの記憶なんじゃないかなと思っている。

でも、その悪事を何度繰り返したのかも知らないが、最終的に現代でも「宗教たちあげたい」んだと思う。

人を救済したい。人を救済して、地獄に叩き落としたいんだと思う。私からすると普通に迷惑だからやめてくれ、神が減っているっていう言い分なんだけれども、そもそもそれが目的なのかもしれない。

この世に神が減るってことは「自分が神の代わりに神になれる」から。

つまり「すごい人間」になれるから。

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で、この人たちも神かかりだったことはあるんだとは思うよ。

だけど、その神かかりである自分に依存しちゃっている。だから、こういう統合失調的な——、過去生へのトランスを起こしたり、なんなら催眠療法状態を常に起こし続けているような人格が生まれてきてしまう。

単純に言えば「神かかりである人格への依存」が存在していて、そこから脱却することができないのを今も繰り返している教祖たちがわりといっぱいいるのかなと思った。

その教祖たちの霊みたいなものがこぞって憑依しているのかな、、とか感じたりもする。

これって「高慢」がある人たちなんじゃないかなァ。

 

誰かを信じられなくなるように背けるのが神の仕事なんかな、私は違うと思うぞ。

 

なとりも神かかりしているとき、一時期あったな。そういえば。

あのとき、よく「お絵描き上手だよ」って書いてて、ちょ、自画自賛すぎるwwwって思ってたんだが、可愛いからそのままにしておいていたんだ。

あたいのなかにいる神、何もできない小さなお姫さまやねん。愛おしいねん。

 

この世は葦原の世である。いかなる成長の為に必要なものも、たくさん存在しているし、すべてが揃っている。

私たちは雑草である。とりわけてどこにでも生えている雑草だけれど、上へ、上へとしか成長することができない。

そんな世界を信じたいと思っている。

この世に救済が必要がない世界を信じたい。

あなたがあなたらしく生きるのに、私による手助けはいらないと思っている。

 

だからだと思うが、私はこれから多くの直感や霊感みたいなものをすべて消失する方向性へ進むかと思う。

私はそれでいいと思っているし、そのような「普通の人生」を望んでいる。それが私の幸福。