ツインレイにとっての最後の闇の使者による世界線の創造
ツインレイは、ツインレイと出会う前にツインフレームと出会う。
そのとき、私たちは世界線の分岐をうみだし、その分岐が『最後の闇の使者』を創造することになる。その世界線に乗っかっている存在と、ツインレイは『闇』として対峙することになる。
本質的にはエディプスコンプレックスの卒業と、エディプスコンプレックスから抜け出さない世界線を選択する邪道(闇)側のツインレイたちによる最終地点に生じるツインレイの幸福的な世界線。
いわば、これは『誰も不幸にしないカタチ』へ着地するために創造した世界線に過ぎない。
闇は闇にて、不幸による幸福を創造する必要性がある。
先ずは手始めに『ツインレイの王道』の道から説明していこうと思っている。
おおまかな世界線はこうである。
私たちはツインフレームの段階で、出会いにより『善』と『悪』による分岐をしている。
このときに生じるのはエディプスコンプレックスである。
エディプスコンプレックスとは「パパと結婚したい」とか「ママと結婚する」という考えを幼少期にしていた考えを諦め、自身の持っている父親に対しての異性の理想を投影した男性を求めることにある。
ツインフレームの段階で『パパを選択する』『ママを選択する』という選択肢を手に取ったとき、私たちは性別が反転してしまうケースが存在する。
パパと結婚することを望む女の子は、ツインフレームの相手に見向きもせず、恋をすることもないだろう。男性と対等であることを望み、パパの望む『男の子』になりたいと思っている。また、パパが『女の子』を望んでいないこともある。能動的な人である。
ママといっしょにいることを望む男の子は、ツインフレームの相手と結婚をすることもあるかもしれないが『ママ』と一緒にいることを望み、ママの持つ女性性を受け継ぐことになる。ゆえに、男の子なのに女性的である。そんな状態へとなるだろう。受動的な人である。
さて、このような状態になるケースは多岐にわたるゆえに、これは一例に過ぎない。エディプスコンプレックスはその参考のひとつに過ぎない。女性性と男性性の性質が成立する一過の事例である。
さて、なぜこのような現象が起きてしまったのか——ということだ。
これは『世界線の創造』である。
この世は二元により成立しているために『誰かがパパという理想と結婚することをあきらめる』を選択したとき、『誰かはパパと結婚する』ことになるのである。
このように、私たちはツインフレームの段階で王道的な精神的な成長を遂げる過程で『天使』と『悪魔』という存在を生み出してしまう。
天使とは『男性なのに女性的であること』であり、悪魔とは『女性なのに男性的であること』である。
ツインフレームの恋愛とは
ツインフレームの恋愛とは、自身の両親による理想を追いかけるのか。それとも、自身の両親による理想を断念するのか。という過度期に当たる。そして、元来は『自身の両親による理想を経験する』ことがずいぶん長く続いてきたのではないだろうか。
それは『親と似た人と結婚する』ということだ。
私たちは『異性の親と似た人と結婚する』ことにより、善いところも悪いことろも長く続けて繰り返しの因縁を続けてきたのである。
女性であれば、男性親にやられて嫌だったことを体現を再びする男性を選び、そして、女性親の嫌なところを自身が体現をする。そんな状態となっている。
これが『結婚の典型的な負の連鎖』である。これが恋をするということでもある。
いわば、異性と恋をしないをツインフレームの段階で選択をする人は『パパが好き』なのである。しかし、そのパパは『異性』としてあらわれることがない。恋をする対象とは『パパとは違う相性が悪い存在』なのである。だから恋愛が成立しない、幻滅となる。
パパが好きだからこそ、パパと結婚したいのにどうしてかパパとは全然違うタイプを好きになってしまったり、そもそも恋愛が成立できない。だってパパはそこにいるから。
異性と恋をするツインフレームの段階で選択をする人は『パパが嫌い』なのである。そのパパが恋の相手として参上してしまうのである。ゆえに異性と恋をするツインフレームたちは恋愛が成立しない、幻滅である。
パパが嫌いだからこそ、パパと結婚したくないのにどうしてかパパと似た人と恋愛をする。
これが生まれによる育ちで備わることになる『恋のマジック』なのである。
私たちはどうがんばっても『素敵な恋愛をすること』がなかなか難しい状態になっている。本当の望みが叶えられないのである。
天使と悪魔と、ツインレイの分離と同一化
天使と悪魔の相関性はこのようになっている。
まず、ツインレイのひとつのカップルが王道的に成立したとき、選ぶことがなかった他の世界線による干渉が生じるということだ。
悪魔は女性性の成立をしている『ツインレイ女性』が嫌いである。なぜならば、大好きなパパの結婚相手である。そして、ツインレイ女性の相手のツインレイが大好きである。パパに似ていないためである。
ゆえに、悪魔は『ツインレイ女性』を嫌い、『ツインレイ男性を奪う』という構造をしている。いわゆるこれが『母親殺し』の構造に或る。
天使は大好きなママが『ツインレイ女性』である。そして『そっくりなツインレイ男性になればママを奪える』のである。ゆえに、ママのそばにべったりくっついて、パパと同一化をはかるのである。パパに似れば好きになってもらえるためにある。
いわゆるこれが『父親殺し』の構造である。
ゆえに『悪魔は分離状態』であり、『天使は同化状態』になるのである。
これだと親と結婚することになるわけだ。これがトリプルレイの結婚である。
悪魔は『大嫌いな母親を受け入れること』により、娘に戻ることができる。このとき、母親と同一化を起こすために『父親に似た人と結婚が出来るようになる』のである。
天使は『ライバルの父親を受け入れること』により、息子に戻ることができる。このとき、父親と同一化を起こすために『母親と似た人と結婚することができるようになる』のである。
王道のツインレイの男女は、天使と悪魔という世界線を想像しているがゆえに、娘と息子が生じ、そのふたつの世界線により自身のツインレイとの関係性が阻害されるような形となっている。
ゆえに『娘を娘』とし、母の立場を譲らないこと。『息子を息子』とし、夫の立場を譲らないこと。このふたつが重要なようである。
そして、悪魔と天使の立場は『本当は誰が好きなのか』に気づいていかなければならない。
悪魔は、父が嫌いといいつつもお父さんが大好きっ子で、天使は、母が嫌いといいつつもお母さんが大好きっ子なのである。
へい! みんな幸せになるために素直になろうよってことである。
父を受け入れる、母を受け入れるとは、自身の本質を受け入れることでもある。自身が受け継いでいる『女性性』『男性性』を受け入れることに繋がり、最終的には偏った性質を整えることに繋がっている。
闇の刺客を子育てするとは
私はこれを『子育て』としている。王道によるツインレイの男女により派生で生まれた闇の刺客は『子』となる。いわば、子による夫婦関係の阻害を阻むことにより、子は子で幸せになっていく道を選ぶことができる為である。
女性性の成立をしている段階で、娘からは嫌われる覚悟をし、嫌われていることを受け入れ、そして夫を奪うことを拒否することは重要なようである。もっともそこにあるのは『愛情』である。
娘がパパを大好きなことは知っているし、だけど、それでは『誰も幸せになれない』のである。だからこそ、母は娘を嫌いになっていく必要性がある。そうすることで娘は『パパを奪った罪悪感』から逃れることができる。(これは本当に無意識化にあるようなんだが、この事例が生じるとき、彼らはとても『罪悪感』に苛まれている。。。そこから解放せねばならない。)
そして、母親を受け入れることは、その後『自分自身が母になる』ことを受け入れることができるようになり、本当は羨ましかった『母の姿』になっていく。いわゆることは真似することにある。このとき、女性による超自我形成が行われているのではないかと思う。
息子はママが好きなのである。そして、男性性を忌んでいる。父親が嫌いなのである。だから、パパを排除する。
ゆえ、息子を父親にそっくりになるまで育て上げ、そこからは捨てる覚悟が必要なのである。なぜならば、息子は『パパ』ではないという同一化の解除をしなければならない。
ここでようやく、女性性として『嫌われる』ことと『嫌いになること』を受け入れていくことになる。
王道的なツインレイの道を進む人たちは『好き』で形成されている。
邪道(闇)なツインレイの道を進む天使と悪魔は『嫌い』で形成されている。
王道のツインレイは『嫌いな存在』として娘、息子としての闇の刺客が生じ、邪道(闇)なツインレイは『好きな存在』として母親と父親が闇の刺客として生じる。
邪道(闇)は天使と悪魔にわかれ『好きな存在を好き(本当は嫌い)』といえる天使と『好きな存在を嫌い』と捉える悪魔となる。
だからこそなのだと思われる。
王道のツインレイは、好きによる人生だからこそ、好きな存在を嫌いにならなければならない。
邪道(闇)のツインレイは、嫌いによる人生だからこそ、嫌いな存在を好きにならなければならない。
ここで大きな反転を受け入れていかなければならない。大きな覚悟が必要なことなのではないだろうか。
私個人的な感想としては『大事だからこそ嫌いになる』ということである。相手の人生を想うと、嫌いにならなければならないのだということだ。
闇の刺客と王道のツインレイの流れ
ツインレイの流れは主軸に『王道のツインレイ』が存在している。その王道のツインレイに即して、邪道(闇)のツインレイが存在しているとして捉えて然るべきかと思う。というよりもそのように読むのが一番わかりやすい。
王道のツインレイ | 邪道(闇)のツインレイ |
---|---|
ツインフレームによる父親への大失恋 | ツインフレームをムシ、恋愛をしない |
親とは似つかないツインレイの出会い | ツインレイ(ツインフレーム)と出会い、恋愛 |
ツインレイとサイレント期間、エディプスコンプレックスを完了させる | 王道側へ大集合して、天使と悪魔として活躍し、エディプスコンプレックスを完成させ、恋人に失恋する |
ツインレイの再会 | 親によく似たツインレイに出会う |
邪道(闇)のツインレイは『親をツインレイ』と誤認しているところがあるゆえ、本来はツインフレームをツインレイとして認識する。しかし、親にツインレイの相手をかえすことにより、王道のツインレイはツインレイの再会をむかえる。
これは『世界線による親子』による相関性の縮図のひとつである。
親と子による分離を迎えてしまった場合、親は責任をもって分離をしっかりと幸福になる世界線まで導いていく必要性がある。いわば、これが『自己責任』である。
私たちは世界線の分岐を創ってしまっても責任を負わねばならない。
最終的な闇の刺客たる天使と悪魔の完成図
なぜか、天使と悪魔の子たちが話している内容がツインフレームっぽいなァというのはこのようなことだったらしい。
世界線がまだツインフレームの段階で、私だけがツインレイだった。そして、私自身がツインレイを終わらせていくには彼らの『ツインフレーム』を終わらせ『ツインレイ』へとつなげていく。ツインフレームという子をツインレイという形に切り替えていくことにより、私たちは世界線による親子関係を終わらせ、対等なる存在へとなっていく。
最後は皆同じ場所にたどり着くけど、世界線は複数ある。んで、その複数ある『どの世界線か』は、私自身が選択しなかった世界線である。
ただ、どれも『同じこと』である。つまり、道はひとつだけだった。それを複雑化させてしまったのは、私たちの分離意識に過ぎず、また、私たちの分離意識がなければ、多様性な。いわゆる私たちが持つアイデンティティも生まれず、私たちが固有に喜ぶ幸福も違ってこないっていうこと。
私たちは『統一化』していくことが『善』として捉えているかもしれないけど、『分離』がなければ、私たちは私たちのオリジナルを手に入れることが出来ていない状態である。
しかし、本質はひとつであることには違いなく、その本質からズレていくことが人が持つ面白さなんだと思う。だけど、その面白さを持てば持つほど、幸福からは遠のいてしまっている現状がある。
その現状を神さんは少々危惧していたところはあるんじゃないだろうか。だから、私たちはこのようにして『世界線の更新』を行っている。そのさなかに或る私たちは、多くの幸福を広げていっているんだと思う。
子は親を愛しているし、親は子を愛している。だけど親が子を愛しているとき、それは嫌いになっていくことである。
そして、嫌われることを子は受け入れていくとき、子は親を愛するのである。
私たちの精神的な自立は常に悲しみと共に存在している。
心はボロボロである。その救済をしようとしているのが『ツインレイ』。かくたる存在はツインレイの相手の心を抱きに来た。
ツインソウルの闇の刺客
本記事では、ツインフレームによる『闇の刺客』についてテーマとしてとりあげているが、実際はツインフレームに出会う前にも生じている選択がある。
それが『ツインソウル』の選択である。その選択したとき、必ず『悪』と『善』による分離が生じている。