コラム│価値のないツインレイと価値のあるツインレイ
これこそが二元論だと感じられます。
ツインレイの相手は、自分にとってまるで価値のない存在でしかありません。
なぜならば、ツインレイ自身が捨てたものを全てもっているのがツインレイの相手だからです。
鏡の法則のなかで、ツインレイたちは「自分はこれは持っておく」「こっちはもたない」という取捨選択をし続けています。
ごく当たり前のことですが、価値のあるものは持っておきたいですが、価値のないものは捨てたいですよね。
ツインレイも同じように自分の気質のなかで『いらない』と思ったものを捨てていき、ツインレイの相手が持っているような状態になっています。
つまり、ツインレイの相手は自分にとっていらないものを持っている人たち——ということになります。
ツインレイの相手はまるで価値のない存在です。
それがツインレイの構造です。
だから、ツインレイはツインレイを愛します。
愛さなければ、価値のないものを大事にすることが出来ません。
しかし、よく見てみると、ツインレイの相手は価値のないものをとても大事に持っています。
自身にとってはまるで価値がないものであったものが、まるで宝物のようにされている姿にツインレイの多くの人が驚くことになったのではないでしょうか。
ツインレイの相手は、自分自身が捨てたものをすべて宝物にして大事に育て上げていました。
捨てたものは確かにいらないものだったようですが、ツインレイの相手にとってはとても大事なものとなっており、そしてどうやら価値がないわけではないようです。
それは、とても素敵なものになって見えて敵いません。
本当はこの世界にいらないものなんてありませんでした。
だけど、鏡の法則性から『それぞれがそれぞれしか』持つことが出来ませんでした。
だから、すべてを欲張って持つことはできなかったんです。
ツインレイの相手は、確かにいらないもののはずなのに、宝物になって帰ってくる。それがツインレイです。
しかし、そのなかでもネガティブツインレイという存在は『自分しか価値がない』状態になっています。
自分しか価値がないので、ツインレイの相手が持っているものを価値があるとは思いません。
ツインレイの相手が持っているものを、そのまま『価値がない』と捨てることになります。
ポジティブ寄りのツインレイと、ネガティブ寄りのツインレイの大きな違いはここにあります。
自分にとって価値があるのか、自分にとって価値がないのかという視点で、物事を判断することがないのがポジティブ寄りのツインレイたちなんです。
自分以外の人たちを受け入れたり、自分以外の人たちを受容し、また尊重してきたツインレイたちは、自身のなかに心を育てることが出来ました。
その心はツインレイの相手を受け入れる心です。
その心はまっすぐにツインレイを受け止め、本来ならば『価値がない』と思ってしまいがちな世界の彼らを受け入れていくことになります。
そんなとき、ツインレイの相手が抱えているものは宝物となってツインレイの相手を支えている事でしょう。
しかし、誰も受け入れず、誰も受容せず、誰も尊重することのなかったツインレイたちは、自身のなかに心を育てることが出来ませんでした。
その心はツインレイの相手を拒絶する心となりました。
その心は、ツインレイを拒絶し、本来ならば『愛する』という姿勢で受け入れるべきツインレイを『価値がない』と認識して捨てていくことになります。
そんなとき、ツインレイの相手が抱えているものは人の心を巣食う闇となってツインレイの相手を過去に縛り付けていく事になるでしょう。
ツインレイはこのように相手を受け入れる力によってともに存在することができる力を育てていました。
そして、それは『価値がないと思っていたものが価値があるものになって返ってきた』という充足感を感じることが出来ます。
世界が違う、みえている視点が違う、考え方も違う。そんなふたりですが、本来は同じ魂であるために『自分』という認識が持てるという共通点は、何ひとつない状態で出会うことになります。
ふたりの切磋琢磨は、そのうち、支え合うような形となり、いつかはふたりで生きていけるようになるための肥やしとなっています。
この基盤があるからこそ、ツインレイの二人はツインレイステージを先に進めていく事が出来ます。