ツインレイのサイレント期間『闇と誾の話』

| Ⓒ なとり

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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闇とは『光がまったくない状態』である。その状態のなかで行われる悪いことがある。

人の目がつかないからといって行われる不正取引なども、闇の売買とも言われる。

誾とは『正当である』とか『穏やかに是非を論じる』とかの意味がある。いわゆる、門のなかに入り、そのなかで是非を論じ続けることも出来る。

サイレント期間は、鬼門のようだと思う。その鬼門の期間では、光の入らない闇の世界である。しかし、闇の世界に入らず『是非を論じていた人』もいる。

サイレント期間を「何をしても許される期間(闇)」と捉えた人もいれば「是非を論じていた期間(誾)」とした人もいる。

 

私はサイレント期間に突入する前に心の扉が開いた。

4.バーミヤンの道の前で一気に彼への不信感が理由もなくこみあげてくる

5.抑圧しまくる(彼くんは悪くない!)

6.心のドアがバキッと割れて開く(音でバキッと聞こえる)

7.自分のホワイトなとちゃがバタッと倒れて、扉の奥に連れていかれる
同時に奥からブラッキーなとちゃがやってきて扉が閉じる

引用:「失敗失敗、仕切りなおしてもう一回」は何だったのか(サイレント突入の前後の詳細から記憶が戻るまでの経緯)

こんな感じで、自分の心が開いたとき、私は『門が開いた』のかもしれない。

「言」と「音」の字の成り立ち

神への誓い

神からのお返事
図の説明:言という文字の成り立ち
図の説明:音という文字の成り立ち

『言』という文字は神に誓いをたて『音』という文字は神からの返事をもらっているという字の成り立ちとなっている。
引用:ツインレイによる音姫の契約と『言』と『音』について

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サイレント期間の初段階『誾(ぎん)』

この段階では、私たちは『神に誓いを立てました!』という段階である。

この神に誓いを立てた段階のサイレント期間で私たちは自問自答を始める。「自分は正しかったのか」「自分は間違っていたんじゃないか」と、自分と葛藤を始める。そして、自分なりに自立して理論を立てはじめるのが主流ではないかと思っている。

この誾の段階では『言』から『音』へと切り替えていく段階にある。とりあえず、ツインレイのことに関して「自分は間違ってはいない」「自分の決断は正しい」と、自分的には正しいという結論を出していかなければならない。

これはもう色々な角度から考えさせられていくがゆえに、このブログは物凄い量の思考が入ってしまったんだが「自分の決断はいかなるものだったのか」の是非を解いていく期間が、この誾の期間にある。

この期間で、最終的な結論として「自分は正しい」のみならず「相手も正しい」を理解し、また「相手を受け入れること」なども行っていく。

誾では『穏やかな議論』であり、決して好戦的ではないと思われる。(が、極めて好戦的な態度をとられながら、そのなかで議論をせねばならない期間とも言える。)

また、双方にとって『正しい』を見つけ出す期間なので「自分の意見が絶対的に正しい」とか「相手をぶち殺す!」みたいな姿勢で臨むターンではない。ほかにも「相手の意見を丸のみにする」というわけでもない。

つまりなんだが『自己』というものが明確に確立していなければ、相手の意見を自分の意見と思い込み、自分とは違う意見である相手をぶちのめしたくなるというわけだ。

これが『誾』なのか『闇』なのか——である。この誾の期間に『闇化』する人もいる。闇を相手にぶつけては勝利し喜んでいるほうが実際は誾が成立せず、自己のパワーバランスを崩してしまうことになる。(つまり偏った思想となってしまう。)

サイレント期間の次段階『闇(やみ)』


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夜明け前が一番暗いとはまさに事のこと。誾の段階では、神との誓いについて悶々と考えなければならない。それこそ、本当に『悶々と問答』していく。

誾の段階で、多く『自分の闇』を直面することになる。自分がどれだけ偏った存在だったのか——を知り、その偏りを調節していくことで、徐々に『闇』という段階へ突き進んでいく。

誾の段階では、まだ夜ではあるが、夜明け前とは言えない。一番くらい夜明け前へと向かう段階であり、誾の段階では『闇』を持ち出さなければならないのである。

自分自身の中にある闇を受け入れる人もいれば、人に自分の闇を押し付ける人もいる。まァ、いろんな人がいるなと思うが、自分の心の闇を受け入れていく段階で、最終的には『誾』へと落ち着くのである。

この『誾』と『闇』は、同時に行われていく。

誾は闇である。言と音は同時に存在し、これを『諳んじる』ともいうのかな? と思う。それは「そらんじる」なんだが、暗唱する、暗記する——とか。空で言葉を話すことができるといったことでもある。

自分が『言』により神に祝詞としてあげたお願い事を、一切合切、自分で守り切ることができるような存在になれたとき、ここ「これを約束として守る」とかのメモがなくても「息をするようにできる」ようになったときが『音』である。

つまり『音』とは、言により誓った内容が「一切合切できました!」ってときに『音』が成立する。

この音が成立するまで、私たちは門のなかで誾しては闇と向き合う——ということを続けていく。

誾とは『誰も悪くない』という考え方であり、闇とは『誰かが悪い』という考え方でもある。そして、言(自分との約束)を守るとは闇に飲まれないことであり、そのためには穏やか~に議論をしなければならないのである。

そして、音が完成するとき『門が開く』のである。開くって文字のなかには『鳥居』が入っているんだが、つまり「神により開かれる」のである。

なぜ私たちが闇の中にいるのかといえば、それは『音が完成していないから』である。それは神との約束を守れていないから——だ。

神との約束って何?っていうと「自分との約束」である。他人との約束ではなくて、自分が自分に誓った約束があって、その自分との約束を守ることが『神との約束』である。

自分との約束を守り切ったとき、言ではなく音となる。

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夜明け前がいちばん闇深い

夜明け前が一番暗いと言われているが、はやり『闇』となり、右も左もわからない状態になるだろう。そのときの道しるべとなるのが『音』なのだと思う。

自分がどのようにすればいいのかがわからない。

ツインレイのサイレント期間の最後には「どうしたらいいのかさっぱりわからない」状態って感じだ。

右にも左にも、どっちにすればいいのかがまるでわからない。右に進んだ先に正解があるのか、左に進んだ先に正解があるのかもわからない。どう生きればいいのかが分からないのが『闇』である。

ツインレイの相手がここにいない、どうしたら、再会できるのかもわからない。どこが待ち合わせ場所なのかもわからない。どのようにしたらいいのか。まるでわからないのが夜明け前。

だけれど、闇の世界のなかで私たちが道しるべとするのが『音』なのだと思う。それはもうちゃんと誾の段階で諳んじるようにすらできるようになっている。そのようにする! と言葉にすることがなくてもそのように振舞うことができるとなったとき、私たちは『音』となっている自分のなかにある心を持っている。

その心が闇のなかでの道しるべとなる。

私たちは、この世界でどのように生きるべきかの道しるべを持っていない。だからこそ、私たちは人生のなかで『自分に誓う』のである。どのような人に自分がなるのか——を。

その誓いが道しるべとなるとき、私たちは『音』を持っている。

そして、闇の世界であり、右も左もわからない世界を『自分が決めたこと』を自分のルールとして息をするように実行することができ、それが道となる。

そうやって私たちは『鳴る』ことができる。音をだし歩いては先に進んできている。

自分が決めたことを守る以前に『息をするようにできるようになったとき』、が一番に深い闇の中にいる。どうしたらいいのかわからないけれど、自分の心で決めたことだけは守り抜くこと。