ツインレイの魂による統合と結合の違い

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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多くツインレイの魂が統合すると言われてきたが、私はこれ『結合(けつごう)』ではないかと考えている。

統合とは融合してしまい、統一化される。

結合は相手と結びつくが、統合はしておらず、お互いは自立した存在となる。

統合と結合の大きな違いは自立にあるのではないかと考えている。

私は地上のツインレイにて統合しようとし、楽園のツインレイにて結合したと思っている。

統合した場合、相手と自分が混ざりあってしまうため、ツインレイたちは相手の気質を自身のなかに変容させるがためにサイレント期間中には自分の人生が変わってしまうようなことが多くありそうな気がしている。

つまり、自分自身を「自分」として確立しきれていない場合、地上のツインレイの相手にのまれてしまう現象が起こり、なんなら最後には男女の性別が反転するのではないかと思っている。

ツインレイ男性が最後には女性的となり、ツインレイ女性は最後には男性的となって、男女の存在の役割が反転するカタチである。

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この統合した場合、当人が持つ依存心の克服が終わらなかったとも踏んでいいのではないか――と思われる。

依存とは同化にあるため、同化してしまうのだ。

しかし、ツインレイが依存的では無い自立した存在であるとき、地上のツインレイたちは『統合しない』のではないだろうか。

男女の統合とは『自分の肉体に依存する性別の役割を認識しない』可能性がある。

地上のツインレイたちがもし依存的ではなかった場合、私たちの中では統合されていないため、相手との意思の疎通などもはかることができない。

そもそも別の存在として認識するのではないだろうか。

ゆえに『ツインレイ』だとは地上のツインレイの段階では自己を認識しない。また運命論への傾倒を持たないのかもしれない。

ツインレイのような魂の相手とは認識しがたい存在だからである。

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しかし、楽園のツインレイの段階では『ツインレイ』として認識される。

ふたりは先ず、統合しようとする。しかし統合することが出来ないのだと思われる。

一般的な恋愛と同じように過ごすのではないかと思われる。

本来、統合されるべき期間である出会いからサイレント期間の間に、相手を他者として認識しようと努力し他者を受け入れようとする姿勢と、他者と認識出来ずに自己と同一視してしまう現象は酷似する。

どちらも強い怒りと依存を持ち、次にどのように認識しようと当人が試みたのかは水面下にあるため、現象のみで認識することは出来ない。(ゆえに他人から見てわからないとも言える)

サイレント期間に入るとき、統合ができていない為に結合を試みるようになる。

地上のツインレイは、サイレント期間に統合しようとする。

楽園のツインレイは出会いからサイレントまで統合に失敗し、サイレントから結合を試みるようになる。

結合とは繋がるが同一では無いのである。

また楽園のツインレイでは途中までに『うけい』が行われ、ツインレイのふたりに邪な思いがないかどうかの審判を行うことになる。

つまり、やたら滅多にツインレイのふたりが統合したり結合したりしているのではなく、お互いがお互いの許可を持って結合するのである。

相手のなかに邪なものが介入しているとき、私たちは私たちのなかに邪なものが介入するということである。

邪なものとは『自分では無いもの』である。また『自分として認めていないもの』も差し出すことはできない。

つまり自分が嫌いだとか自己嫌悪があるとかだと、相手に何も差し出せないとも言える。

楽園のツインレイたちは何かしらを抱えている可能性を秘めているが、この段階におけるツインレイたちは『自分を自分として認めていること』があげられる。

ツインレイでは結合の許可が出され、また自己のなかにふたつの軸を保有することになる。

いわば、自分のなかにツインレイの相手と自分が成立するのである。このふたつの二軸が成立し、ようやくツインレイの共存が成立するようになる。

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なぜツインレイが共存できないのか。なぜ結ばれることができないのかといえば、お互いが出会う動機が『自分には無い異質性』にある。

本来、私たちは異質なものに出会うとき、排除意識が生まれる。私たちは排除した存在を「ツインレイ」として迎え入れるのである。

また、この排除する意識とは自己の確立が必要であり(確立がなければ排除しようと思うほどに認識が生まれない)、排除したいものを受容する意識は人間性の問題である。

ツインレイとは自分とはまるで違う異物を愛する好意であり、自我の樹立がなければ成立しない。

また自分が成立していたとしても、自分とは相容れない、また自分とはまるで違う存在を受け入れようとは思わないのである。そんな存在を『愛する』など、もってのほかといったところだろうか。

ツインレイの結合とは共存思想にある。

それは本来、人間的には先ず大前提に依存的な性質がない(自立している必要はない)ことがあげられ、次に、依存的では無い存在のふたりが出会うことで、自立と共存を勝ち取っていく経緯にあるのではないだろうか。

つまりツインレイは依存から脱却をしても自立までにはいたっていない男女のふたりによって行われている。

自立をしているとは『共存している』ということ。

共存と自立は同一に生じるものとして考える。

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まとめると、ツインレイの統合とは融合にあり、お互いがお互いの存在に依存し合うことにより統合されると考える。

ツインレイの結合とはお互いがお互いに依存しないからこそ、相手の存在を自分のなかに成立させ、他人軸を形成させることで生じる。

結合の場合、自己のなかに異質な二分野が存在しているような状態であることから、自己の葛藤が増えてしまいやすいが、ふたつの葛藤を同じ方向性へ向かわせることが可能になる。そこに心や愛という概念から3つ目の視点を手に入れるためにある。

またこの結合では四神による統合も関係していると考えられる。

統合との大いなる違いは、ツインレイの相手を尊重し愛しているのか。それともツインレイの相手に依存しているのか――の違いにある。

統合とは聞こえはいいが、本質的には『自分が培われていない』とも言える。自分が培われていないがために他者により穴を埋めるという考え方にもなり得る。

つまり私の結論は『統合しない』であり、『結合する』のが魂としての正解だと感じている。

またこれを意識レベルで認識するとき、統合されたツインレイたちは相手がいなければ自己判断が危ぶまれるということでもある。

最終的な結論だが、魂は統合することはできないものではないか――と考えている。できて結合。

それは自分の魂を千切り、相手へ差し出し、受け取ってもらい、その魂による契約を結ぶと言ったところだろうか。

それは『好き』とか『愛している』とか。そんな風な純粋な気持ちを心のなかに最大に振り切らせ、魂を千切るという『契り』なんだと思われる。

これは『一部統合』ではあるんだが、『結合』として考える。自分の気持ちをちぎり差し出すとき、私たちは全体的に疲労困憊となり、基本的には精神疾患状態に陥ると考えられる。

ツインレイの出会いから別れまでの間にどれぐらいの量を魂が千切れるのかは当人次第。

多くちぎり過ぎると、精神疾患になるので自殺要因にもなるから注意が必要になる。(元に戻るまで私は二年近くかかったと言える( ˇωˇ ))

またこの魂をちぎって差し出す行為も、魂が大人になっている証拠でもある。子供の魂は差し出すほどのものが生み出せないかもしれない。。。

差し出された魂を受け取り差し出し合うことができて、ようやくツインレイとも言える。

自分の魂が回復するまでの間にツインレイの相手にもらった魂との共存を生み出しながら魂を回復させていくため、ツインレイとは魂をちぎってさしだした分量なだけ共存ができるとも言える。

また、ツインレイは『鏡』とも言われているし、またふたりの関係性の本心とは誰とて同じことであるため、自分が差し出したのであれば自分もその分だけ受け取れるようになる。

しかし霊が育っていない子供の魂の場合、魂をちぎれないのでツインレイは成立しない。

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相手の魂を受け取っている場合、相手のことが忘れられない。

サイレント期間にツインレイのことが忘れられない理由が『執着』になる場合は、それは依存による精神的な問題。執着ではなく『魂の授受』が行われている場合も忘れられない。

自分のなかにある魂も差し出している可能性があるため、その部分の記憶は喪失されている可能性がある。

 

魂の話と精神の話は酷似しているために『ツインレイなのか、ツインレイではないのか』の結論がでない。

ツインレイは頭のなかに記憶しているのではなく魂のなかに記憶している。(ゆえに忘れているが、まったく忘れられないという矛盾が生じる)

ツインレイの相手が頭の中からでていかない部分をすべて消去するように依存を断ち切ったあとも認識領域意外にツインレイの相手が存在してしまうのが『魂の結合』や『魂の契り』をこなしている人たちにある。

とはいえども、人は必ず執着をするものだから、先ずは執着を抜いて見る。次にツインレイかどうかを考える——でOKかなと思う。

 

ここらへんの記事が参考になるかもしれない。