今、起きている世界の二極化とアセンション。自分にできることは何か?

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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今、インターネットが普及して、世界各国で何が起きているのかがわかるようになり、これこそ、人の意識の拡大を意味するものだったのかもしれないなと感じている。

私たちは私たちの精神領域に起きていることこそが自分の世界である。

しかし、この地球はひとつでしかない。その地球に私たちは「ひとつの世界」を構築しているが、ひとつの世界は、私たち全員により構築された世界の集合体と呼べる。

図の説明:自分の意識の拡大

私の意識の拡大は、鷲宮家のなとりさんがいますので、なとりさんは「鷲宮」という苗字を名乗ります。次にさいたま県に属しているなとりさんがいるので、埼玉県の県庁で書類提出があります。日本になとりさんは住んでいるので、日本語をしゃべっていますし、国籍も日本です。日本国憲法に則って生きています。地球になとりさんは住んでいるので、地球人です。

となっている。意識は常に、個から発せられるために「なとりと名付けられた肉体がなとりさん」というところは発端になる。

なとりさんは、意識の拡大をしました。インターネットの普及やメディアが活発化したところで地球の裏側まで何が起きているのかを知ることが出来るようになりました。

これが意識の拡大なんだが、では、地球の裏側で何が起きているのかを自分で確認することは出来ない、それは本当に事実なのか——。いわば、それが「事実だと思えば事実」なのだと思われるんだが、事実だと思わなければ事実ではないのかもしれないなと思った。私がどのように捉えるかの話でしかないんだけれども。

でも、これって「私はこの世には戦争はない!」と『今』言ったら、ヤバい人だと思う。メディアで戦争が放送されているし、それが事実だというのが周知の事実だし。これが「社会性」である。いわゆる、私たちが世間一般で「正しい」とされていることに従うことが「社会性」である。

これが『地球の意識』であり、社会性が地球の意識レベルにまでやってきたよってことなのだと思われる。それは、私たちが地球にまで自分の意識を転用させることができる。

たとえばなんだが、私が日本人だとして、でもそもそも隣国の存在を知らなかった存在だったら、意識は他国には飛ばないわけである。認識したから意識がそこに向かうわけだ。

認識していないものへ意識を飛ばすことは出来ない。もし、認識していないものへ意識を飛ばすことができる人がいたとしたら、それは『創造』ってことになる。

もっと実例にまで持ち込んでみる。

ここで「戦争を否定する」としたらどうなるのか? というと、私たちのなかに『戦争を認識している自分』『戦争を否定している自分』が分離する。分離して「戦争を認識している自分を否定する」っていう構造が生まれる。そもそも認識している時点で否定しようが何しようが、そこには「ある」わけで、あるものを否定したところで、それは消えるのかといえば消えない。

地球の意識に転用すると、戦争している地域がある。戦争している地域を否定する地域(私の場合、日本)がいる。っていう状態になる。じゃァ、戦争批判を受けている地域は、日本に対してどのように感じるのか。

自分の精神=地球の無意識構造 って感じだろうか。

逆転していくと、私たち自身のなかに「誰かが争っていることに対して文句がある」ことがある。人と人が争うことにたいして嫌悪があることかな。これが地球規模の無意識にまで繋がっている人が「争いへの不満」があれば、地球の無意識は、争いを生み、争いへの不満を生む国を生むことになる。私は意識が日本に属するから『日本が争いへの不満がある国になる』ってことになる。

私たちは今インターネットやメディアの普及で、世界に何が起きているのかを目の当たりにしている時点で、ほとんどの人が地球ベクトルの無意識にまでアクセスしている。

このアクセスしている部分の末端が私たちである。私たち自身の精神状態=地球の無意識状態であり、地球が何かしら今モメているのは、私たちのなかに争いの意識があるからだよね? ってことになる。

戦争はんたーい! ってしている国は、戦争している国を必要とすることにもなるから、戦争が生まれる構造って感じかな。

 

で、今、起きていることが、「争いの領域を抜ける人」「争いの領域に留まる人」の二極化が起きている。

もともと私たちの地球にはひとつの集合無意識があったとする。そのなかに『争いの意識』と『争いのない意識』の人と人種が二種に分類されたわけである。

つまり、地球にある集合無意識がふたつ生じるようになった。

今んとこ、争いの領域と平和の領域の二種の集合無意識が生まれるようになった理由は、私たちのなかでアセンションした人たちがいるから。争いの領域から平和の領域へ抜けていく人たちがいた。で、新しいネットワークを作っている。

そうすると、私たちは「争いの集合無意識」と「平和の集合無意識」の2種類の集合無意識を持った地球に住むことになる。これが二極化現象なのかなと今は理解している。

今は、争いの集合無意識が主体で地球を牛耳っている状態となっているんだけれど、平和の集合無意識を地球の主体にしたならば? ってことをやってんのかな? と思っている。

図の説明:アセンションするのにふたつが出来上がっている

一回、争いの世界と、平和の世界として集合無意識を構築することになる。この分離を明々白々にやるよって話なのだと思う。だけれど、ひとつの地球に属しているから、争いの集合無意識の人もそこにいるし、平和の集合無意識の人もいっしょにいる。

で、この争いの集合無意識のなかに存在している人たちのなかでも、平和の集合無意識のほうへ向かう人もでてくる。

今回、集合無意識をふたつにしてしまうのだな~と。で、なので、メディアとかでも争いの集合無意識の話とかも出てくるし、それらがなくなるってわけでもないと思われる。現実的に地球はひとつでしかなくて、集合無意識をふたつに別けたってだけだし。

なので、アセンション組は「争いの意識」側に向かう人たちと関わって切磋琢磨しなければならないし、それは自らの中にある闇であるという話になっている。

これは、自分の無意識の中にある闇を光が受け入れることをも意味しているし、最終的には、平和の世界のほうが争いの世界の方を凌駕して「色々安泰」になるのかな~と思っている。でも、そのためにはこの地球にいる人たちがアセンションしなきゃいけないんだけれど、アセンションがなかなか難しいから、争いがこれからは明確に勃発しやすいのだとは思われる。

アセンション中に「争いたくない」と感じた人がいたと思う。そう思ったならば、真逆に「争いたい」と感じる人もいるんだ。それを世界が体現しちゃっている。アセンション側は争いたくないって思っている理由は、根っこに争いたい欲求が存在していることに気づいていくことになる。これが光が闇を受け入れることに繋がっている。

結構、個人レベルでの争いがあったと思うんだけれど、個人レベルが世界レベルにまで通じていることもなんとなく体感している人もいるとは思うんだけれど。でも、個人レベルで貢献することも出来るってことなんだろうなとは思っている。でも、自分一人じゃハナクソみたいなものだとは思う。でも、ハナクソもいっぱい集まれば、金塊にまでなるってことだ。

だから、今、必要なのは「個人レベルのことと向き合うことが世界レベルにまで繋がっていること」なのかな~と。戦争がなんであるのか、それを否定するのではなく、自分の中にある否定する根源には肯定があるってことに気づいていくことのほうが必要なんだと思う。

争いはいけないって言葉にするのは、根源に、争いの意識があるからなんだ。争ってはいけないとか言って、争いを吹っ掛けている人たちも多くいるって感じ。否定は肯定ってこと。

否定は肯定なんだ。否定した瞬間、自分のなかにも肯定している何かがある。それが『闇』。だって表面では見えないから。

じゃァ、争いの意識を認めてしまったら、それは争いが生まれるんじゃ・・・・・・って思うかもしれない。でも、本当の意味での自己統合を果たすことが出来れば、自分のなかに認めることで、ここにある争いたい欲求があることを認識するだけで、私たちは満足するようになる。

すごく単純なことなんだ。認めることが出来ないから、現実が荒れている。ここにある闘争欲求を認めることが出来れば、私たちの欲求は満たされる。

つまりは認めてもらいたいだけ。ここに逃走欲求があることを認めてもらいたい。認めてくれないから現実が荒れている。

世界で起きている戦争が、私たちには関係ないだなんてことはない。もちろん、色々な影響を受けているけれど、少なからず、世界で起きている、目の前で起きていないことが「ない」だなんてことはない。

そこに情報がきている時点で、そこには「ある」わけだ。あるのだと認識されたら、なぜ、そこにあるのかを思考せねばならない。

日本人の多くの人が「関係ない」って思っている気がする。関係ないなんてことはないよ。確かに直接的には関係がないかもしれないんだけれど、関係がないってことは関係があるんだよ。

自分には関係がないって思ったことは、自分には関係があることで、ただ目を逸らしているだけかもしれない。

 

今日も、みんなの心が平穏でありますように。

 

p.s.

ちょっと電気関係が8月危ないな~と思って準備しようかなって思ったんだ。ソーラーパネル。でも、いらんなと思った。by.埼玉