心がポキッと折れることがアセンションに関わっている。

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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今まで頑張ってきたことが実らなかったとき、そんなときに私たちの心がポキッと折れるようなことが起きる。

私にも何度か繰り返された、この『心が折れる』という現象。

あれ、これってアセンションに繋がっているんじゃないかな? と思ったので、それについて書いていきたいと思う。

アセンションとは、自分の意識が上昇すると言われていることなんだけれど、このアセンションについて私は「自分の上昇した意識が宇宙にかえること」として定義している。

あー、アセンション終わったんだなと思った。

過酷な日々だったなーと思いながらも、アセンション後の私は一般人化したって話。

アセンションの目的とか理由とかも、色々調べてみたんだけれど、最終的にしっくりきたのは『帰ること』だった。

ずっと「お父ちゃんとこに帰りたい゚(゚´ω`゚)゚。ピー」ってしていた私が切り離されて無事、宇宙に帰還したのだなと理解している。

引用:アセンションが終わったと思われる件について

なぜ、このような現象が起きるのか——というと、この地球に魂が大量に入ってきてしまい、宇宙にかえれなくなったということ。

人はアセンションするには『死ぬ』しかない。ので、アセンションする人は今まで全員死んで来たんだけれど、昨今のアセンション企画は「生きながらに死ぬこと」を意味しているようで、自分の一部を切り離しては宇宙意識に繋げておくことを意味しているようだ。

では、この現象についてだが『宇宙意識』と『人間意識』の分離を行わなければならない。

このうち『宇宙意識を切り離す』にはどうしたらいいのか——である。

 

それは「心がポキッと折れる」ような瞬間にやってくる。

私たちがもし、自分じゃどうしようもない現象を目の前にしたとき、なんだかもう気持ちが折れてしまうような現象が起きるのである。

その心が折れたときの私たち。なんだか心が死んでいるとは思いませんか。

心が折れている状態にまで追い詰められることになっている人たちの心がポキッと折れた瞬間、私たちの心はすべてを受け入れなければならない状態に追い詰められている。

それは目の前の出来事、目の前の現象、目の前に起こりえる自分の力やコントロールすることができない状態。

もし、人間がなんでもかんでも管理ができると言うのであれば、それは大きな勘違いである。

私たちは自分の人生でさえ、舵取りがすることができない存在である。

そんな存在でありながらも、私たちは常に生きているけれど、なんだかんだ自分でコントロールしてきた、自分の想うとおりにしてきた——だなんていう自信や自意識はがあるとき、私たちのなかには並々ならぬ芯が生まれている。

私たちのなかにある宇宙意識へ繋がるには「心が死ぬ」必要性がある。

あなたがどれだけ努力をして積み上げてきたものも、すべて破壊される必要性がある。その破壊を迎合するとき、私たちの心は折れている。

嵐を迎い入れた高い杉の木が、翌日には折れている。そんな感じじゃないかなと思う。

その心は一度は死んでいる。私たちは自信を失い、自分の生き方を見失い、自分がどうあるべきなのかさえわからなくなるのだ。

どうしてそんな事態になるのか。それは、私たちが「自分は何かをコントロールできる」と思っている事である。

それが他人なのか、それが天災なのか。それがあなたにとっての大失恋なのか。それがあなたにとって命よりも大切な、今まで構築し続けてきた『何か』なのかはわからないけれど、私たちは何かをコントロールし、何かを所有している——という意識が生まれているとき、私たちの心は一度殺されることになる。

私たちがどれだけちっぽけな存在で、何かをしようにも、私たちが何かをコントロールすることさえできた存在だったのか。人間として、私たちは『人間』をやれているのかを問われるのである。

そして、人間としてやれていない部分をポキッと切り離して殺しては、宇宙意識として宇宙に還すのである。

 

宇宙意識とは「コントロールできる」と思っている自意識でしかないのかもしれない。

そして、そのコントロールすることができない事実を目前に、私たちは『心が折れる』のである。

私がこのブログで『運命の引き寄せ』のようなことを目論んでいるのであれば、それは私のコントロール欲求である。

運命を我が物として自分でコントロールできるとは、なんともおこがましい心ではないか。

引き寄せの法則、創造主という思想。あなたがもし「自分の人生を思い通りにしたい」と想うとき、手に取るようなものがあったのであれば、それは人間以上の力を持っていると言える。

あなたが誰かを支配しようとしているとき、あなたが誰かを自分の元へつなぎとめようとするとき。

そんなとき、私たちは心が折れるまでトコトンやらされるのである。

それが宇宙意識として「ここ」に存在しているからこそ、人間としてコントロールできるものは何一つないのだと、そんな神の創造を理解することなのかもしれない。

スピリチュアルという分野そのものが宇宙に対して「人間以上の力をつかうこと」を目論んでいる。

いいや、人間は人間だからこそ良いのである。人間が人間の役割を徹して何が悪いのだろうか。宇宙人にならなくてもいいし、私たちはどこからみても『人間』なのである。

しかし、この宇宙意識を切り離すとき「人間であること」を受け入れられないでいる魂たちは、トコトン抗って、今現在も、色々な宇宙人が存在しているという話も出てきているけれど、でも、それ以前に私たちは、この地球では人間をやっているのである。

この物凄く当たり前のことさえ、私たちはコントロールしたくなるのである。人間ではなく宇宙人だとコントロールしたい。

 

今現在、私たちはアセンション企画を進めている。

それは、私たち自身が生きたまま、あなたのなかの『宇宙にかえるべき意識』を切り離しては地球を地球人へ還す作業である。

あなたのなかにある、宇宙の意識を切り離す作業が起こりえるとき、私たちはコントロールできないような出来事を引き寄せては自分の無力さに打ちひしがれることになるだろう。

それがどれだけおこがましい心であるのかを理解するだろう。

あなたは「自分のこと」しかコントロールできないのである。そして、自分のことすらコントロールできない存在なのである。

私たちはいかなるコントロールする歯止めを壊していくとき、心がへし折られては、あなたのなかにある無に繋がっていくだろう。

あなたのなかに「コントロールできないもの」が広がっている事実に気づくだろう。

それはあなたよりも大きなものでなければならないし、あなたよりも偉大でなければならない。

そして、心が折れ切ったなかに『無という宇宙』が広がり、その無に還る私たちは、より人間らしい存在へとなっていくことになる。

 

宇宙とは無であり、何かを囁いてくれることも、あなた個人に何かをしてくれるわけでもない。

私たちがどれだけおこがましい人間性であるかに気づかせてくれることはあったとしても、あなた個人に何かのプレゼントを与えてくれるわけでもない。

あなたが『より人間らしい人生』を送ることを宇宙は望んでいる。少なからず、宇宙は、地球に「宇宙人としての人間」など望んでいない。

ただ、あなたが「人間にかえるだけ」である。それはあなたが「無にかえるだけ」でもある。

そのときのあなたが「死んでいるのか」「生きているのか」は、また別の話だし、生きている人たちはぽっきりと心が折れた人たちで、そこに広大なる無が広がり、私たちがどれだけおこがましい人間として生きてきたのかに気づくのである。

すべては改心である。そして、心のなかに吹き荒れる嵐によって積み上げられてきたものを破壊し、あなたのなかにある傲慢さを破壊し、あなたを「人間」へとかえすこと。

その為にあなたの心を折る必要性がある。