レイキで空間を初めて浄化するって話。
今までずっと『自分のこと』についてレイキしつづけてきて、最後に『無』に到達した。
何も思わない、何も感じない――である。
この段階に差し掛かった翌日。
確かに何も感じないので、今までとは違う自分に違和感がある。
そんななか『もの』に意識が向かった。
私は洗濯物関係が一切、手をつけることに嫌悪感を感じて拒絶しているんだが、その理由が判明した。
我が家の洗濯物は父がほしている。
父は洗濯物をイヤイヤ干しているのである(自分で自分の仕事を増やしてイライラしている人)。
表面的にはでてこないが、イヤイヤ干しているのがヒシヒシと伝わってくるのが私の洗濯物である。
なぜか、洗濯物を取り込もうとするときも、母も私も、愚痴っぽくなる。
洗濯物を畳むのも嫌な気持ちになるし、私は洗濯物をタンスの中にしまうことすらイライラして数日溜め込んだりすらする。
理由は父のイライラエネルギーが洗濯物に残っているのである。
ふと、空間浄化のレイキを思い出した。
全体的に洗濯物がある山に向けて浄化した。
ので、洗濯物にレイキをかける。しばらくしてから、普通に洗濯物を取り込むことができた。
つまりなんだが、洗濯物にイライラエネルギーが溜まりこんでいるのである。
今まで全く気づかなかった理由は、自分のエネルギーのほうを浄化していたからだと思われる。自分のことが終われば必然的に『空間』『もの』に意識が向かうのだなと思った。
ちなみに空間浄化、過去一回もやったことがない。初めて。
他にも食べ物とかも、イライラエネルギーによってあまり良くないものに切り替わっている可能性があるなと思った。
もしかして、私の便秘は、そのイライラエネルギーのせい? とか思ったりも。
とりあえず、初めて空間浄化というものを使った。
今まで空間浄化の感覚が分からなかったんだが、今ようやく「あ、そうそう。これこれ」みたいな感じで浄化している。
たぶん、自己統合しきって『無』にならないと、空間やモノのエネルギーは読めないと思われる。認識が行き着かない。
だって自分が自分のよくないエネルギーに包まれてるんだから、空間も自分と同じエネルギーなら違いが分からないのである。
自分が無というフラットにならないと、自分の生活空間のエネルギーは同化しすぎて読めないと思われる。
それでも私にレイキの伝授してくれた先生の部屋は、すごい浄化された空間だっていうことはわかった。
それは私と先生の違いだと思われる。
先生自身も他者介入の余地がない、エネルギーレベルで。
感覚的に言うとお障りはいけんって思った。一瞬で跳ね返されてアウトする0(:3 _ )~
会っただけで「すげえ」思った。レイキの先生らしい先生だと思う。
ほかの先生がどんな先生なのかはほぼ知らんのだが、レイキをちゃんとやっている先生は、そういう感じだと思う。
今回、空間浄化の意味をマスターしたよって感じかな。というか、『もの』への浄化かな。
自分が終わったら、次に空間や自分のものとか。自分を取り巻く環境に意識が向かう。
人の精神発達とおなじかな。
まずは自分、次に自分の環境や他者。