胎児人格が存在への罪悪感になることでスターシード化する。
胎児の記憶について先日書きました。
まだこれ、可愛いもんだなと思います。
堕胎経験に関するナイーブな話題です。
個人的にも感情移入的に書けないので情報として重要箇所だけ書いておきます。
まだ触れられたくねえとか、そういう方は読まん方がいいと思います。
ただ、堕胎経験がある人は胎児人格とは確実に向き合うテーマになってます。
よく自分はスターシードなんだって言っている方々の精神の根源にあるものですが、それが胎児人格に繋がっているっていう話です。
胎児にも記憶があったりもして、それが私の胎児記憶にあたります。
ですが、胎児人格っていうものがあって、この世に生まれてくる前の人格です。
この人格は『地球に存在する』という概念があります。
胎児とは私たちが初めて地球に存在し始めた瞬間なんですが、胎児記憶としてママに「産みたくない」とか思われていると、そもそも地球には存在してはならないと考えます。
この地球に存在してはならないんですが、この地球に存在している事実を肯定するのにつじつま性を合わせてみると「自分は宇宙人なんだ」っていうのが手軽にネットで手に入る情報となりました。
いわゆるスターシードの共同幻想にマッチする共同意識は『胎児の自分を否定された経験』なんですよね。
これはお母さんから生まれた事実を否定することでもあって『自分には胎児記憶が無い』という形にするにはどうしたらいいのか。後天的に生まれた後に幼児の体に入った――という説がマッチする。
つまり、スターシード関係は、胎児の時に「産みたくない」と母が思っていた結果だったり、親に「産まなきゃよかった」と言われたりした経験が、自分はこの地球の存在へではないっていう思想が救いになるということ。
スターシードの方ってなんでそんなに地球が嫌いなんだろう?って思ってたんですが、母が嫌いなんだと思います。
そして、この世の地球に存在している自分が嫌い。
つまり、地球の存在とは胎児の自分なんですが、胎児の自分を否定している存在への同一化があるってことですね。母への同化です。このとき、自分の存在に罪悪感が生じる。
母への同化が失われると、胎児人格は自分の存在を脅かすものや存在否定する人を大嫌いになると思います。
母が嫌いなあなたをも、私は愛しています。これが無条件の愛。その上にあるものは、私の存在を否定する人を許します。これが神の許し。
スターシード化していない胎児人格に対して母人格が「子供を産みたくない」という気持ちを持っているケースがある。
母と子の一体人格とも言える。
産みたくない親から産まれてきたので、子供を産みたくない。この意識も胎児への自己否定ということになる。
胎児人格の自己否定は『妊娠したくない』である。産みたくないのである。
胎児人格による自己否定を肯定すると、スターシードになる。子供を産むことが許される。
胎児人格を空想にて肯定するからだが、それはまやかしである。
自己否定を維持したままにすると、子供が産めない。胎児人格を否定したままだから、このとき、堕胎経験などが起きやすい。
また、胎児に対しての否定と肯定が錯綜する。母体側が胎児を肯定できたとき(産もうと思う、胎児を肯定する意識がある)、周囲の反対が起きる。反対により、胎児は下ろされる。(妊娠したことに対して罵倒されます罠)
胎児人格は母に肯定されるが、産めない母は罪悪感を抱える。
しかし、母体が胎児を否定したとき(下ろすと決める)、周囲の肯定が起きる。母の肯定の元、胎児は下ろされる。
胎児人格は母に否定され、ここにいることに罪悪感を感じる。母も同じように罪悪を抱える。
現象は同じなんだが、母体の意識は違う。胎児人格がどのように感じるのかも別になる。
胎児人格が母を許すかどうかも違うし、母が胎児人格へどのように思っているのかも違う。
これが胎児と母の関係性。
胎児の罪悪感は堕胎経験へと繋がるし、母の罪悪感は出産への大きな不安を抱えることになる。同時におせっせへの不安である。する度に不安になる。
胎児人格は出産に関わっていることが多くて、胎児人格を否定している人が子供産むためには「スターシードでぇーす≡⊂( ^-^)⊃」にならないと産めない。
子供を産むために必要な思想ってこと。
だけれど、子供へ存在否定を継承することになる。
スターシードじゃなくても、あなたはここに存在してもいいはずだ。