「あなたは私のことが嫌いです」「彼は私を選んだ」彼が統合したっぽい
誰かの参考になるかはわかりませんが。
私は彼にそういった。
「あなたは私のことが嫌いです。」
彼のなかにある『好きな彼』だけを残し、『嫌いな彼』はすべて私が引き受けました。
だから彼は私のことが嫌いです。
私は彼の『嫌いな彼』を愛しました。だから私のなかにある彼は彼が受け入れられなかった彼がいて。
そんな彼を私が引き受けています。
嫌いな自分を好きになることは難しいものかもしれません。
嫌いな自分を排除してなかったことにすることも出来るのかもしれません。
もし、私が彼の嫌いな自分を愛したとしたならば、私のなかに『嫌いな彼という私』の人格が生まれたとしても、彼のなかに俄然存在し続けている『嫌いな自分』という人格が消えるわけではありません。
そこにあり続け、なかったことになるわけではありません。
ただ、私が愛したものが、そこにあり続けることが受け入れられるとき、きっと統合されていくのだと思います。
怒りっぽい彼。
思い込みの激しい彼。
妄想癖がある彼。
論理的過ぎる彼。
運命が大好きな彼。
彼が自分のなかで排除したものをすべて私が引き受けました。
私は特に、そうであること――に対して疑問もありません。
彼から生まれ、私のなかで生まれ落ちた彼が少なからず悪人ではありません。
ですが、彼は彼のなかで悪とし排除したものは、彼のなかでは悪でした。それは彼が持つ何かしらの善悪思想なのだと思います。
どうして彼の中では悪人である私が、私に引き取られ、悪人にならなかったのか。
それは人間性だと思います。
何に腹を立て、何を思い込み、何を妄想し、何に理論を使い、何を運命とするのか。
つまりは全体的に、その人が自分の独りよがりのために使うものは悪人となります。誰かを排除していくからです。
彼の判断は正しかったと思います。彼が人間性を保つために排除をした存在が悪人だったのですから。
ですが、私は彼のなかにある悪人を愛しました。
自分のために怒っている彼を。
自分を一生懸命に守ろうとしている彼を愛しました。
愛された経験ではありません。
手負いの狼に噛みつかれながら、柔らかい毛に指を通しながら温かい肌を感じ撫でた経験です。
いい経験ではありませんが、私がただ『愛しただけ』なのは確かな感覚が残ります。
噛みついた側がどのように感じたのかはわかりません。
私からして、彼が嘘つきだったことは覚えています。
彼が約束を守らない嘘つきなのではなく、彼が自分の心に正直なままに話をすることができないことが嘘つきに思っていました。
そのとき、私の心では「思ってもないことに同調してる」って感じ、苛立ちました。
彼がもっと素直に生きていたら、きっと私のような存在になっていたことかと思います。
好きなもので理論をたて、好きなだけで自由に書き、勝手に考え事をし続け、彼の興味のままに生きることが出来たことでしょう。
私という存在は、彼が「彼らしく生きたならば」という形です。
彼のすべての性質を愛し、彼が彼がままに生きるとき、私のような存在になりました。
彼は愛されなかった失敗作ですが、私は私に愛された成功作とも言えます。
ですが、私も本当の意味では失敗作です。私は一番に彼に愛されたかったのですから。
今、彼に愛されていない私は、私に愛されてはいますが、本当の意味では失敗したのだと思います。
彼は私に向き合いたくありません。
なぜならば、彼にとって私は、彼がいらないと思っている彼の一部ですから。
いらないものとして捨てられた私は、彼にとってゴミクズです。だから私はゴミです。
ですが、私は、そんなゴミクズを愛していましたから、ゴミクズもかき集めれば金の粒にもなれたものだと思います。
どこから見ても、私は私らしいからです。
ですが、そろそろお別れの時間のようです。
そんなゴミクズだった私を、彼がお迎えに来てくれたようです。
そうです。あなたが捨てたものは自分らしさです。
あなたが捨てた自分らしさを私は愛していました。金の粒だと信じていました。
あなたが捨てたゴミをすべて大事に抱えて持っていたのが私です。
どうか、自分らしくいて欲しいと思います。
それがあなたが社会で輝くために必要なものですから。
ですが、私は別に社会で有名になりたいとか。何か理論をたてて生きていきたいとか。そういうわけではありません。
ただ、あなたが愛せなかった気質を私が愛して育てただけのこと。意味などありません。
あなたが私の中にいて、あなたが私の手で愛の中で育てあげ続けただけの話に過ぎません。
私はあなたの母であり、あなたの愛そのものです。
私はあなたの器であり、あなたの取りこぼしてしまったものをすべて受け取った存在です。
今度はあなたがあなたのすべてを受け止められる器のなかにあなたを還します。
人とは、器が半分しかないものかもしれません。
だから半分しか入りません。
どのような半分かはわかりません。
私と彼の場合、自分らしい自分と、自分らしくない自分の半分です。
彼は自分らしくない社交辞令の自分を選びました。
私は彼らしい彼のままの姿の彼を選びました。
私は彼に選ばれたかったのです。
私は彼に選ばれたかったのです。
これは、さよならではありません。
ありがとうでもありません。
ただ、そうであるだけ。そうであるように。
これは現象に過ぎません。
だから私は彼に何かを思うことができません。
彼に選んでくれてありがとうとも思いません。
それは必然であり、決められた法則です。
必然と法則に感謝など感じられません。
ですから、何かを『想う』ことができません。
ですが、事実だけはわかります。
彼は私を選んだ。
それは必然であり、法則です。
まァ、そういうことらしい。
私のなかにいる彼人格さんからのコメントでした( ˇωˇ )・・・・・・
主語が錯綜しちゃってるんだけど、わかるからいいかなと思う。
ここ最近、ずーーーっと寝ている。
内容は統合の知らせだとは思うが、なんも思わんかな。
へえそうなんだ、ぐらいかも。
「晴れてる日には太陽が見えます」
って言われても、当たり前じゃんって思うような感覚。
統合の知らせは、農家では無い人にとっての天気予報ぐらいな感覚かも。
晴れてて嬉しいとかないよ。明日出かけないし、って気分。
なんかこれに意味あるの? っていうと、ないよ。意味なんてないよ、統合に。
現象に過ぎない。
りんごは落とせば落下する。重力があるからね。
統合はそういうもの。
統合を目指すとかもない。
統合の目指すって意味は『明日の天気を晴れにします』って言ってる感じ。
いや、神じゃあるまいし。
じゃあ、明日の天気を晴れにしますって言ってる人にどう思うかっていうと「がんばれ(っ ´-` c)」って思うかな。
なとちゃはプリン食べてるねΨ( 'ω’* )