「私は彼くんがいなくても生きていけるもん、死なないもん」

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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懐かしいですね、『自立』について書きたいと、ふと思いました。

思い出したのです。

出会った頃、彼は憔悴しながら私に「自分がいなくてもなとちゃは生きていける」と言いました。

私はとってもムカついて「私は彼くんがいなくても生きていける。死なない」と言いました。

普通に考えても、彼が言っている言葉は当たり前の事実でしかありませんでした。その事実になぜ傷つくのかが分かりませんでした。

でも確かに私は自分の中に怒りを覚えたのです。そして悔しかったし、悲しかった。

 

今思えば、彼は私に必要とされたかったのだと思います。

私に必要とされることで『自分』を保とうとしていた。

 

私たちは自立の道へ進みました。

お互いがお互いを必要としない人生・・・・・・を構築する必要性がありました。

私は彼を必要とせず、彼は私に必要とされないこと。

ランナーとチェイサーで語るならば、彼は私に必要とされないために逃げなければならないし、私は彼を必要としないために、ここに留まり続けなければなりません。

私たちのスタートラインは『お互いが自立すること』であって、仕事においてでもお互いがお互いを求めないことであり、そこに依存をうまないことでした。

私は私の仕事を持ち、彼は彼の仕事を持つ。

ここに結びつきはありませんし、ここを結ばずに自立させておく必要性があるように思いました。

私は彼のやりたい事のサポーターではないからです。彼がいて私がいる訳では無いからです。

私がやりたいことを私はやりたいのだと思います。

 

つまりなんですが、私たちはお互いがお互いを求めている依存心があったのだと思います。

何かしら自分のなかにかけているピースがあって、そのピースにカチッとハマったわけなんですが、でも、それって自立しているとは言えないよね? って話でした。

彼がやりたいことが私のやりたいことではありませんし、私がやりたいことが彼のやりたいことでもありません。

ここが一致していないとき、私たちは同じ方向性を向けないと思っていたのかもしれない。

でも、まったくやりたいことが違っても、一緒にいられることもあるのではないかと思いました。

私は今、自分の周りに仲間とも呼べる共通の趣味を抱えるような友人関係があります。

でも、そこに彼が加わる必要性はありません。彼が私の仲間である必要性はないんですが、どうしてか私は彼を自分の仲間にして共有項目を欲していたような気がする。

共通要項が生まれれば、それはそれで上手くいくんですが、じゃあそのとき、片方が何かを捨ててまで仲間でいなければならないのか。

彼と私は共通要項がありません。まるで世界観が違う存在でした。

相手に合わせることは地獄とも感じられるし、合わせられなかったら、一緒にいる時間の少ない寂しいカップル・・・・・・とでもいいましょう。

自分を優先させたら共通要項がないので、まるでかかわり合いがなくなります。だからどちらかが我慢をすることでしかどうしようもなかったのかなと思いました。

それは私が彼を『仲間にしたかった』からなのだと思います。

でも、別に彼は仲間である必要性はなくて、仲間同士で必要し合うような重要なポストに彼がいなくてもいいっていうか。

仲間となって必要である、共有しあう関係性でありたかったのかもしれないなと思いました。

つまり、彼に「必要とする」「共有する」を求めたわけですが、それは違ったんだと思います。

私はずっと「仲間」を探していたわけで、パートナーを探していた訳では無いのかもしれません。

私は「彼がいなくても生きていける」と言いましたが、まさにパートナーとは「パートナーがいなくても生きていけなければならない」のだと思いました。

私たちはふたりでひとつなわけではありあせん。

私たちは個々として存在するために、相手がいて自分がいるのでは大問題なのだと思います。

他者がいるから自分が認識されますが、彼がいなくても私は私を認識していけるようにならなければならないのだということ。

私=彼=みんな

私のなかに他者という概念が生じるとき、私の中に私を認識するという力が備わります。

私はこの私の中に生じる私を認識する力を手に入れることが自立だとも思いました。

彼を必要とせずとも私は自分一人で存在することができる。

 

例えば、ドラマで相棒があるけれど、右京さんともうひとりの相棒。どっちもアイデンティティが明確に成立しているけれど、依存関係では無い。

相棒がいなければ右京さんが成立しないだなんてわけがないのである。なんなら相棒は色々な立場、役割を持つ人達が抜擢されるけれど、誰をとっても右京さんがいないと成立しないキャラではない。

つまり、自立した関係性じゃないと成立しないペアってあるのかなって思いました。

私は私の役割があって、彼には彼の役割がある。でも、ここに共通要項がなかったとしてもペアリングは成立する。

『共通要項がない』から、お互いがお互いを自立させなければ関われないわけで、私がやってきたツインレイはここにあります。

共通要項がゼロのふたりが結びつくにはどうしたらいいのか。それはもう自立するしかないんですよね。

共通要項があるならば、そこは依存が許されます。同じ職場で働くとか、同じ業種とか、支え合いが生じる。

でも、共通要項が一切ないなら、パートナーには何も期待できません。

相手は私の人生にとって不必要な存在でしかありません。

でも、そんな人と結婚しようとするのであれば、自分を全力で切り捨て、相手に合わせるか。はたまた自分を全力で自立させ、相手と対等になるか。

 

パートナーシップのなかで「共通要項が何も無い」のであれば、会話も弾みませんし、なんなら親近感も湧きません。

ですが、面白いことに恋とは、そのようなふたりでも落ちるものなのだと思います。

共通要項がなかったとしても、同じ夢がなくても、全くもって異質なる存在であったとしても、異性は恋に落ちることがある。

その恋は『依存』と『自立』のどちらかを選ぶしかありません。

片方が自分を切り捨てるか。両方が自立するか。

私は後者でした。

だから私は彼がいなくても生きていけるし、彼も私が必要としなくてもショックを受ける必要性はなくなります。

どちらも自立しきれていない男女が自立しようって話でした。

 

私たちは仲間として結婚するわけではありません。

良きパートナーになりたかった。

良きパートナーとは無関係であることです、邪魔をしない、支えない。ただ信じている。

パートナーは信頼関係が必須です。

仲間とパートナーは信頼の意味が違います。

仲間がツインフレームならば、パートナーはツインレイ。

ツインフレームは支え合うかもしれませんが、ツインレイはあなたに支えてもらおうだなんて一切思っていません。自分を信じているので。

そして支えが必要だとも思いません。

信じているから。あなたを(*^^*)

 

ツインフレームは、あなたを信じているから任せます。仲間だからです。