人格統合の本と、蜘蛛の私を助けてもらった恩義を返し始めています。

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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人格統合が成され、もう読まないと思っていた本を今一度借りて読み始めている。

人格統合 VOL.1
Amazon:人格統合|伊藤美海

人格統合という本。2巻編成。10年ぐらい前だと思うが、図書館で借りて読んだのである。タイトル通り、多重人格者の人格が統合されていく経緯なのかなと思って手に取って読んだんだが、思ってたんと違ったという印象がある。

心理学棚にあったものなのだが、読んだら違った・・・・・・みたいな。これが人格統合という本との出会い。

一番最初に出版された本は『ネガティブを愛する生き方』という本だが、読んでいない。図書館の棚には並んでいた記憶はあるが、手には取らなかった。

ハウツー本みたいなものは読まない人だったから、当時、タイトルからハウツー本として認識して借りていなかったような気がする。全然違った件。

ネガティブを愛する生き方 光と闇の法則 | 伊藤 美海 |本 | 通販 | Amazon
Amazon:ネガティブを愛する生き方 光と闇の法則 | 伊藤 美海

本質的な部分はこちらのネガティブを愛する生き方に書かれていて、人格統合の経緯はすべて人格統合のほうに書いているみたい。

どうして私が今一度、この本を手に取ったのか。その理由は、自分がやってきたことはこれだったんだなってことを理解したから。

まだ、読みなおしを初めたばかりなんだけれど「やっぱりそうだ。私がやってきた自己統合は、この人格統合だ。」とプロローグで理解するが、ものすごい腹痛がこみあげてくる。何かが反応している。

当時、この本を何も知らずに読んだ私は、私のなかに存在している副人格たちが反応を示し、号泣を繰り返しては頭痛になった記憶がある。そんなこんなで、ものすごい印象深い本だったんだが、正直、十年前の書物の内容など覚えているはずもない。

ので、再び借りてきて、理解した。

とはいえど、まだ序盤しか読んでいない。腹痛が酷いので、少しずつ自分を癒しながら順繰りに読んでいかないといけない感じ。

 

 

 

蜘蛛の糸だなと思っている。

私を助けてくれた人が何人かいる。それは予期せぬ形で、私の心に寄り添って救ってくれた人たちがいるってこと。

私の大好きな芥川龍之介の蜘蛛の糸のお話。

お釈迦さまが、カンダタが地獄で蠢いているのを見て、最悪なる大罪人であるカンダタにも一度だけいいことをした記憶があることを思い出すの。たった一度だけ蜘蛛を踏みつぶさなかったこと。

お釈迦さまは極楽のハスの池から一筋の蜘蛛の糸を降ろすことになる。見事カンダタはその糸を掴むんだけれど、蜘蛛の糸が切れるのを恐れ、蜘蛛の糸に気づいた人たちがのぼってくるのを足蹴にしたとき糸が切れ、カンダタは再び地獄に落ちることになった。

私は色々な人に助けてもらった。それは、どんなに私を懲らしめる極悪人の人格だったとしても、私のなかの誰かを助けてもらった記憶がある。

蜘蛛は害虫である。私のなかにも煙たがられていた人格がいた。

今、レイキができる。その沿線でチャネリングができる。人格統合に関するスキルもある。

私は、私を助けてくれた極悪人を助けないのか?

私はお釈迦さまではない。でも、チャネリングが出来る。

私は小さな蜘蛛だったと思う。小さな細い糸の繋がり。それにすがりたい人がいる。

芥川龍之介のお話では蜘蛛の糸が切れてしまう。それはカンダタが救われるつもりはなかったんだと思う。

感謝をコソコソと返していこうと思いました。

私を助けてくれた人を助けます。それがどんなに悪い人であったとしても、私にとっていいことをしたならば、それには報いるべきだと思った。

私は私のなかにある善悪で動くべきだ。

 

ちいさなことでいいんだと思う。ただ、相手の為に寄り添う言葉をかけるだけで、その心が救われることがある。

徳を積むってすごくささやかなこと。徳を積むことがなかなか難しい理由は、本当にささやかすぎてわからない。

その小さな一滴分ぐらいは、私も無償で働こうと思いました。

でもさ、カンダタみたいに再び地獄に落ちる人もいると思うよ。w

それって個人の自由だもん。私が誰かを助けようと思うのも自由だし。

 

私は地を這う蜘蛛だった。お釈迦さまの夢は何度も見てきたが、なるほど。私は蜘蛛だった。

カンダタではないんだと思う。私は踏みつぶされる蜘蛛だった。

私を踏みつぶした人もいれば、踏みつぶさなかった人もいる。その部分で解釈すればいいんだと思った。

そう『蜘蛛の目線』で。何度か踏みつぶさないでくれた人がいた。それだけが私のなかにある事実かもしれん。

それを私は信じているんだと思う。でも、信じても人は救われねえ。自分で救ってやれよって言われているとこ。

なるほど。・・・・なるほど。

助けてやりたいんだったら自分でやれ、神を頼るな、神を信じるな。自分でやれ。

なるほど。・・・・・・なるほど。

人格統合をして放たれていた蜘蛛たちがこぞって戻ってきた気分。あれやこれやと報告されている・・・・・。

で、主人格のなとりが「どうしようかな」って判断を仰がれていた。

ほかの人格たちには嫌なことをしてくるけれど、ひとつの人格だけは助けてもらった恩義がある。ザワザワ・・・・・