前世の記憶『沖縄のノロだったこと』

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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私のお弟子さんが沖縄出身なのですが、ノロやユタの話を聞くことがありました。

で、今回もラインでノロとかユタの話をしていたんですが、なぜかすごく私は、その話に対して拒絶がありました。

今回は「沖縄」で自分のなかを探ってみたら、やっぱり何かしらの拒絶があるようで、お弟子さんと話しながら自分のなかを見ていきました。

すると、私は「沖縄のノロだった自分」の前世を否定していたみたい。

で、とりま肯定したら、色々と感じられたことがありました。

お弟子さんに見せてもらった沖縄の写真に泣いてしまい、懐かしい感覚がしたりして。

これは、自分のなかにある『体感』を言語化しただけだけで、ホントかどうかは謎だけど、とりま、書いておく。

 

感情だと「さびしい」「かなしい」ぐらいの体感しかないんだけど、それでも、自然と一体化できる力? があった。

自然のなかにいると、自然に守られているという感覚があって自然に愛されているし、自然を愛しているという感覚から満たされ、幸福感に溢れているような体感があること。自然との一体化。これが出来たから、さびしかったし、かなしかったけど、全然、つらくなかったよ! みたいな感じだった。

めっちゃ孤独だった。でも自然と一体化できたからさびしくなかったし、幸せいっぱいだった。

コンプレックスがあって、それがユタの人のなかでも、やっぱり神かかりの人はまったく別次元だったから、それについては憧れがあった感じ。嫉妬もあったのかな~というような感じ。(ので、私のその感情がお弟子さんとこにも残っているはずで、お弟子さんの肉体に私のコンプレックス根性が根付いている可能性が。)

前世が巫女さんだったっていうことで、タブン、ずっと独身だった可能性があって、今生は結婚がしたいと言うのが本心だと思われる。

 

あと、ほぼ明確に「そうだ」と感じたのが、私とお弟子さんが血縁ってこと。

お弟子さんに確認したら、ノロの家系の方らしく、おそらく、私はお弟子さんの家系のノロだったんじゃないかという感覚。これについては核心があった。

私の記憶や体感もそこまではっきりとわかるわけじゃない。わかるのは「私の感情」程度。

謎にお弟子さんとシンクロしまくっていることがあって、それはこれが原因だったのかな? とも思った。

お弟子さんがいる(肉体)+私がいる(霊体)=記憶がよみがえる

っていう方程式だったように思う。肉体の遺伝子と霊体が揃うと、記憶がかえる。

お弟子さんは肉体の中にある私の記憶の部分と折り合いをつける必要性があるし、私は前世の記憶と折り合いをつける必要性があるんだろうな~と思いました。だから、お弟子さんと前世の話をシェアする必要性があった。

そうすると、その前世の記憶が記憶バンクにかえれるというか、これを成仏というのかもしれない。

 

そのあと、お弟子さんとこのお墓の写真を見せてもらったんですがニヤニヤしてしまった。

それから、心から言葉が出てきたのが「うちの神さま、小さくて可愛いね」だった。ちなみに全然小さくない。すごく大きいお墓のような気がする。

ちなみに写真に神さまも視えない。でも、もしかしたら映ってるのかもしれない?

昔も同じように言った気がする。でも、もしかしたら、今の私の霊がそう言ったのかもしれない。モヤモヤするな~。

もしかしたら、家系についている神さんの姿が小さい神さんだったのかもしれない。ノロとして、お仕えしていた神さんが小さい神さんだったのかも。

わからん、この辺は。たまに変なこというな~ぐらいで受け止めとこ。

とにかく、うちの神さまは小さくて可愛いねん。それだけわかっていれば、いいんだろう。

前世の私のノロとしての能力だが、神かかりにはなれんかった。ただ自然との一体化だけは出来た。神さんも見えて無かったと思う。ただ、それは「みえていなかった」わけではないのかもしれない・・・・。

なんか、ここがよくわからないんだけど、見えていたのか、見えていなかったのかが、グチャグチャってなってて、、ああ、そうなのよ。その部分の記憶が全部『抹消』されている。

見えていたよ。でも、その記憶は全部、私のなかから抹消されている。だから「見えていない」になっている。

神かかりにはなれていない。でも、小さな神さんの姿は視えていたよ。みえるたびに幸せだった、感情だけは覚えてる。

神を視たいと思ったこともあったし、だからこそ神道の道にいたんだけど、前世で視えていたことがあったからなんだなァ・・・・・・。

神さんの器にはなれなかった。なんかそれがすごく心残りだったというか、それでたぶん、今生も修行していたような気がする。神さんの器に成れるように・・・・・・・。

 

今生が前世の続きになってしまっていた。

私が今生を生きることが出来ていない証拠だと思う。

だから私は、前世と決別しないといけないんだろうな。

でも、前世に巫女さんだったことは、なかったことにはならないよ。

私は前世を生きていた。これからは現世を生きる。

 

 

 

核心はあったけれど、確証はないかな。

個人的な感覚だけれど、私は、これでいいかなって思った。

前世のことは実際『前世のこと』だとも思ってる。それが明確に前世だという確証も、正直いらない。

私のなかに「そういう感情」とか「そういう視点」とか。そういうものが「あるんだ」ってことのほうが大事なんだと思います。前世に囚われてもならない。

前世