エネルギー体の解釈を再定義してみる。
色々な情報を読んでみて「なるほど」と頭でっかちになることは出来るんだが、個人的な感覚ではなかなか違和感を覚えるものが多いなァという感覚が拭えない。
それは私の体感を軸にしてシュタイナーさんの考え方に結びつけていくことをちゃんとやってないのかな? とも思った。
ちゃんとレイキで『捉えている』のに、全くもって自分のなかに取り込まれていないようなイメージ。なので、今一度、自己定義してみようかなと思う。
個体分離化というエーテル体バラバラ事件
個体分離化が起きているのは、エーテル体である。同時に、エーテル体が統一され、統合されている無傷な状態が分離個体化となる。
エーテル体の上にはアストラル体、メンタル体、コーザル体があるんだが、ばらばらにエネルギー体が動いているってわけでもない。
上の層になればなるだけ自意識にまで落ちてこない理解があるんだけれど、でもそれって下の層のエネルギー体がぐちゃぐちゃだったり、ばらばらだったり、汚れてたら、そもそも魂の情報なんて落ちてこないんだよっていう話。
その最たるものがエーテル体。肉体に1番近いエネルギー体。
ここがばらばらになってしまうこと。
エーテル体の上にはアストラル体があるんだけれど、ここはもう時間的概念がないから『本質じみたもの』として定義していいと思うんだけれど、エーテル体には時間的概念がある。
アストラル体がアイデンティティっていうならば、アイデンティティってどうやって構築されるのか? がエーテル体になる。
それは、今の連続性により未来が構築されているってこと。これがエーテル体。
アストラル体からすれば、エーテル体は『時間という概念』なんだよね。アイデンティティは今という連続性がすべて繋がる時に生じるもの――として定義する。
つまり、エーテル体がバラバラだとアイデンティティは確立しない。何を意味しているかっていうと、記憶喪失になってるとアイデンティティは拡散してしまうよってことなんだよな。
私は先日、初恋についてを思い出している。
それまでずっと、傲慢だった初恋を忘れていたのである。これよこれ。
自分のなかで忘れられている記憶があって、自分の人生に対して時間の一貫性が持てないとき、アイデンティティが拡散されてしまうわけである。
この時間が一貫しているかどうかだが、当人にはわからない。
忘れていることを分かってたら、それは忘れているとは言わない。それは肉体における痴呆症になるわけなんだが、エーテル体では忘れていることを忘れているのである。
これが時間的概念による自分という存在に一貫性がないってこと。
これが『個体分離化』。個体が分離している。どこか記憶が欠損していて、エーテル体がバラバラになっている。時間が一通ではないことを意味している。
レイキでエーテル体にできること
レイキではアストラル体にアクセスして『アイデンティティが拡散しているわけなんですが、どこかに記憶がトンでませんかね?』っていう問いかけをすることで『ここに分離しているエーテル体があります』と教えてもらい、エーテル体がなぜ分離してしまったのかの理由を解除してエーテル体の時間を繋ぎ直す作業を行っている。
これが『分離人格』と私が呼んでいるもので、レイキでは、あなたがどこかに置き去りにした感情や苦しみを迎えに行く作業をやっていく。
迎えに行って今使っているエーテル体に統合させていくのである。
これができると『アイデンティティ』が自己統合されることで見えてくるのである。
そしてこのアイデンティティが拡散することによって、何が自分でどれが自分なのかがわかるようになる。
このエーテル体の統合が成立することは、自分のなかのうるさい感覚やわずらしい感覚などが全消去される。
自分のなかで喋ってる誰かがいたり、考え始めると誰かが喋ってたり、ほかにもぼーっとしてると勝手に思い出される記憶があるならば、それはエーテル体の分離があるってこと。
これを全統合すると、めっちゃ静かになる。エーテル体が目指すところは『めっちゃ静か』にある。
アストラル体による人間関係
アストラル体はアイデンティティを意味しているんだが、私たちはエーテル体が欠損しているとき、アイデンティティもいくつかにばらばらになってしまう。
これがアイデンティティの拡散である。
同時にアイデンティティってどうやって構築されているのか? っていうと『自分はこうなる』っていう意志の元に構築していっている。
その意志がアイデンティティを構築しているのもあって、個人的にはアストラル体は意志そのもの、決定そのものを意味していると思う。
人生のなかで決断を連続的に行っている私たちは、その決定により『自分』を構築していく。
その自分とは、他者の削ぎ落としによって構築しているともいえるし、選択するとはほかにも道があったとも言えることでもある。
二個のうち、一個を選んだ。だから他の道を断ち切って自分の選んだ人生を生きている。そうやって『ひとつ』を選び続けた結果、アストラル体が統合された本質的な自我形成を行うわけである。
このアストラル体って『他者』が関係していて、アストラル体を浄化するためにはまずエーテル体が自己統合されている必要性があるのである。
だって自分のアイデンティティが定義されて、なお、そこに誰かという概念が介入してしまっているってことが自己定義されていなければわからないから。
エーテル体がバラバラだと自分という一貫性が持てない。だからエーテル体を一体化させることで、ようやくアストラル体で『他者の排除』が可能なのである。
アストラル体は意志の元に生きているんだが、それでもエーテル体のばらばらになった分離人格に乗っ取られて、アストラル体があさっての方向に向かう時、アストラル体が傷つくことになる。
アイデンティティとアイデンティティのぶつかり合いは『ありえない』んだけれど、アイデンティティが迫害されているかのような感覚を覚えるわけである。
つまりエーテル体はアストラル体を守るために分離しているとも言える。そもそもアストラル体が分離してしまうと、自己防衛意識が強くなり、自分を守らなければという強い意志を持ち始める。
自分を守るとはアストラル体を守っているが故にである。
しかし守れば守るだけ、アストラル体は分離する。エーテル体が『個体化』として強い勢力を持つとアストラル体も分離して、多重人格化を起こすのである。
アストラル体はアイデンティティを管轄しているように、よりアイデンティティを分離させてアストラル体を構築するのである。
光と影のアストラル体
アストラル体では人格がふたつに分類されることがあげられる。もちろんほかにもアイデンティティが複数化されることもあるが、アストラル体では基本的には二分される。
それは自分が取捨選択により生じた光と影の人生である。
この取捨選択を自ら選び続けた人にとっては影が生じるものだが、もし、その取捨選択に意思がなければ、もしくはエーテル体による自己防衛によりアストラル体を構築したのであれば、彼らが保有する人格は相入れることの無い光と闇という人格である。
光と影は意志の元に構築され、無意識のもとに闇を生じさせ、自ずとオートで統合される。(つまり闇が発生するからその闇が影だと認識されれば意志により勝手に気づくことになる。意志があるから真逆にも意志が存在する)
しかし、光と闇は意志のない元に構築され、意識の元に意志を構築させる必要性があるため、自らの意志を持っての統合を求められる。(つまり光と闇による拒絶が激しく、影を持つ人への拒絶をうみ、争いを求める)
意志により取捨選択されたものの多くが、アストラル体で分離人格として成立し、アイデンティティを保有しているが、どれも一貫してのことでもある。
それが『メンタル体』である。
メンタル体という目標
メンタル体には自分が今生において何をするのかの目標のようなものが詰まっている。
そのメンタル体は、エーテル体、アストラル体を従えているわけなんだが、結局、エーテル体もアストラル体も、メンタル体が持つ望みを叶えるために動き続けている。
それが如何なる分離体系であろうが、アストラル体が光と闇なのか、光と影なのか。この世で妄想を繰り広げていようが、詐欺まがいのことをしていようが、犯罪者であろうが、つまりはメンタル体が求めるところへ常に導かれているのである。
その導きに対して引きずられてしまい、ボロボロになっているエーテル体やアストラル体の人もいるし、メンタル体の望みを叶えるべく、意志を持って生きている人もいる。
メンタル体がいかなる目標かがわからないのは、エーテル体とアストラル体がバラバラだからであり、エーテル体とアストラル体が一貫性を持つとき、私たちはメンタル体を目標に掲げた人生を送るようになるのである。
だが、メンタル体がどうしたいのかと、この世のあなたがどうしたいのかの意見が不一致の時もある。
メンタル体は結婚したいのに、肉体のあなたは仕事がしたい。そんなときにメンタル体が「今、ここで結婚するから」という決定を下した時、あなたは仕事をやめなければならないという苦境に陥り、最悪な人生へと向かうのである。
単純に主観の話であって、あなたはずっとあなたの思う人生を生きているんだよってメンタル体は言ってるんだけれど、エーテル体もアストラル体もバラバラだと自分の望みがわかってないから「そんな人生、望んではいない」と思い込み、他責へと走るわけである。
でもずっとメンタル体は自分の思う通りの人生を生きているのである。それがあなたの望みだから。
だけれど、その道に反発するとき、私たちは『傷つく』のである。エーテル体が傷つく。
私の場合だと、30代後半に結婚する予定なのに、20代に恋愛することは傷つくだけってこと。
なぜ傷つくのかっていうと、そこにエーテル体がバラバラになってアストラル体が分離しているからである。
分離は『自分以外の人生を歩むこと』でもあり、自分の中には絶対的に一貫性のあるメンタル体人生があり、余分な人生とは多重の人生とも言える。
つまり別に30代後半で結婚するならそれまで結婚する必要性なくない? でもさ、他の真逆人格たちは違う人生を送りたいって言ってるから、そっちの人生を歩むようにしてもいいんじゃない? ま、メンタル体には関係ないけどね( ˇωˇ )みたいなことが起きる。
エーテル体とアストラル体のバラバラ事件が、私に恋多き二十代の人生を送らせるわけである。どのすべての恋愛は上手くいくはずもなく、傷つくのである。
何故ならば、メンタル体が望んでいるわけではないためである。望んでいるのは傷ついている分離したエーテル体と、アイデンティティの拡散した闇の人格が真逆の人生を好むのである。
メンタル体の情報を引き下ろすには
私の場合、メンタル体にアクセスしはじめたのは、ニートになったとき。
私の人生、前半はニートしながら勉強するっていう目的があったんだが、不安(エーテル体の分離)から働いて稼ごうとしたわけである。
ゆえに働くことはほぼ全部壊滅的に上手くいかないってなる。
メンタル体とは『真逆』が闇である。闇は傷つくのである。その傷つきが癒されていくと、メンタル体に繋がりやすくもなる。
が、アストラル体が意志を持って決意することで人生はメンタル体に繋がりやすくなる。
傷つくことや不安や恐怖に立ち向かうのが意志であり、エーテル体に振り回されないのが意志である。
つまり過去の傷を恐れずに生きることがアストラル体のひとつの強さでもある。
私が恋愛していたのは結婚できなかったらどうしようっていう不安だし、それはエーテル体の破損とアストラル体の闇に乗っ取られたがゆえに恋愛中毒になるわけだが、でも、あるときから『結婚出来る確信』が生まれた。これがメンタル体への接続。
あと大量の精神安定剤を断薬するに至った理由も子供を産む可能性があるって思ったからで、その可能性はメンタル体に接続されたことにある。
で、ニートで勉強するっていうのもレイキやるにも、バカだと教えられないのでバカじゃいけないってことで教養から何から何までまずは単語の吸収していたっぽい。
すべてはメンタル体の望みのためにである。
メンタル体が教えてくれること
時期設定とかちゃんと教えてくれる。
私は来年に『全てが終わる』わけなんだが、これもう今ならばわかるけれど、メンタル体情報だなと思っている。
あと来年にレイキのティーチャーをとるっていうのも、自分の目標のひとつだったんだけれど、これも一応、メンタル体情報だと思われる。
単純に、メンタル体には望みとかあるんだけれど、それを時間的概念にまで落とすと時期設定がわかる。
メンタル体に繋がれててもエーテル体がボロボロだと、エーテル体はメンタル体の情報に時期設定ができない。
だからメンタル体までアクセスできてもエーテル体が分離してるとよくわからない情報になったりする。
人生で結婚することはわかってるけどいつかはわからん感じになる。
ただエーテル体の主軸人格に常にアクセスし続けることができれば、たいていはメンタル体に繋げられる。
それは意思があること。アストラル体が意志によって決断してるとき、メンタル体が教えてくれるものが増える。
でもバラバラのエーテル体が表意してるときの場合は、メンタル体からの情報がわかんないから迷妄しちゃう。どうしたらいいかわからなくなる。
過去の傷に振り回されてしまう。
つまり今という概念に繋がっているエーテル体、意志のあるアストラル体、メンタル体という構造に直結する時、人はいかなる傷を背負っていようが迷いは無い人生になる。
メンタル体がいかにエーテル体が辛いと感じる人生を選択しようが、アストラル体の意志により生きている限り、迷うことは無い。
コーザル体
まだ不明。到達してないっぽいし。
でも「適性がない人を導きなさい」とは言われている。これがコーザル体かなと思っている。
今は少しはわかる。
メンタル体に繋がれておらず『適性がない』人を適性にする仕事がハイヤーセルフの指示だと思う。
自分の性格や性質に合う人生があって、そこからはずれてしまったり、自分がどうしたらいいのかがわからなくなってしまったり、闇に飲まれて迷子になっていたり。
そういう人をメンタル体にまで繋げてあげて、そこから自分に適性のあるメンタル体の望みの人生に戻してあげること。
これが私のコーザル体の使命だと思うわ。
そう考えると、私がメンヘラにまで至ってクズ化して、アイデンティティの拡散を起こしていたことも、全くもって無駄では無い。
というか、アイデンティティが拡散している人生から再起復活したことは、コーザル体の使命のために必要だったんだなーって感じ。
その結果、今ここでレイキにであって伝授を通して最低でもメンタル体まで導けるだけのものが自分の中にはある。
メンタル体とコーザル体はちょっくら別次元だとは思われるが、それはまたメンタル体が浄化されてようやく理解できるものだとは思う。
使命っていうものがコーザル体には入っているんかもしれんが、みんな、生きてる。それだけで使命の方向には進んでるんだよ。
ただエーテル体が分離してると、よくわかんないだけ。でもある瞬間、使命をやってたりすることがあるタイミングがある。
それがコーザルまで直通するときなんだが、それが常日頃じゃなくても、あるときは使命をこなしてる。
それが人間ってこと。その瞬間が多い人と少ない人がいる。使命は生きてりゃ気づかずともやってるもんだと思う。
命の使い方。それが上手い人はやっぱり使命力があると思う。時間の無駄遣いをしていないってこと。
好きにしたらいいと思う。人には自由が許されているんだから。それが神に愛されているってことだと思うしな。
神に愛されたらいいと思うよ。それは自由に生きること。全ての人が持つ権利だと思う。
でも、その権利を奪われるのがメンタル体ってこと。思い込みで自由を失う。