私の魂が叫んでいる——魂の犠牲は必要なのか。

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Kindle版
さよなら、ツインレイ
当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。
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ふと、自分の中にある「彼との復縁」について考えてみるんだけれど、そのなかで「新しい縁」にも、気が向かいながら。
ぐらぐらと揺らつく私がいるんだけれどね。
ふと思い出したことがある。
それはDVを受けた女性は、シェルターに保護されても、再びDVをする男性のもとへ立ち戻ってしまうということ。
これを何度も何度も繰り返して、ボロボロになって、ようやく七回目とか、それぐらいで離別を決めることができるのだと言う。
このことを思い出して、ああ、いけんな。過去を振り返ってはいけないんだなって思った。
過去に立ち戻り、彼を選んではきっといけないんだろうなと思った。私の理性がそのように訴えている。前へ進みなさい、と。
運命という言葉を現実の苦しみから逃げるための手段の言葉に使ってはいけない。
でも、本当にそれは「逃げている」のか。
彼と離別した苦しみ。それは確かに私を覚醒させた。
確かに私は、あの後から第三の目が開き、並列的な思考を使えるようになった。冴えている、そんな感覚をしている。それからずっと書き続けている。
彼は私へ覚醒へのトリガーを持っていた。それぐらいの大きな苦しみや打撃を与える存在だった。
それは、確かな愛情を傾け、その愛情の破綻による苦しみが私の覚醒への扉ではあったけれど、それでも愛情を向けたことはなかったことにできない。
それでも愛することがどれぐらい苦しいことだったか。
その苦しみをなかったことにもできないし、愛したこともなかったことにはできない。
執着を生んでしまったことも確かで、私は今でも、残像を追いかけているような無様な状態のような気がする。
ここから立ち上がるために、私は何度も彼から離れていく決意を繰り返し、繰り返し行っている。
これが苦しくないわけがない。だけれど、それも一時のこと。
喉元過ぎれば熱さを忘れてしまった私は、とても薄情な人間なのかもしれない。
もしかしたら、私は「未来」を信じることが出来ていないのも知れないと思った。
未来にある縁が、どれほどに素晴らしいものかを私は未だ知ることが出来ていないからなのかもしれない。
過去の彼へ依存をしてしまう理由は、私の未来を信じられていないせいなのかもしれない。
でも本当にそれだけなのか? 本当にそれだけなんだろうか。
魂がもし叫ぶのだとしたならば、今、私は今叫んでいる。
声にならない声で叫んでいる。ねぇ、聞こえてる?
魂が痛み続けている。
だから、私は今「生きる」を実感している。
それは魂が叫んでいるから。
苦しいって叫んでいるから。痛いって泣いているから。
もし、苦しむことが生きることなのであれば、きっとそうなのだろう。
だけれど、どうして、私の魂は燃やされているんだろう。
燃やされた魂から、苦しみが生まれ、その苦しみは生命力へと変換されている。
これが私たちの生きる力なのだろうか。これが本当に私たちの活力なのだろうか。
どこかおかしくはないか。
どこかでまた、魔女狩りが行われている。
人の生命力が足りないから。
ところで「誰の」生命力が足りていないの?
魂の犠牲。それは必要なのか。