私が次に出会う人と夢で話した。ツインレイステージのルールについて

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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寝ているなか、テレパスが通じた。

私が次に出会う人だと思う。

どんな人だったのか。

  • 31歳 男性
  • 俳優で私がテレビ見たことがある
  • 『家族』っていう映画かドラマやってた人

ありえないな、と。爆

夢の中でも、ありえないなと思いました。w

でもすぐに通じ合えて仲良しになれた。

たぶん家族っていうテーマを終わらせた人って感じかな。物語として。

そういえば、彼くんは「家族って何?」とか言ってたな。家にも連れ戻されてたし。(でも彼くんは、たしか、今年で30歳だから彼くんのことではないと思う。もしくは31歳の彼くんとかね。w)

彼くんのテーマもまた『家族』だったんだと思う。私もそうだしな。

テーマがあるとき、そのテーマによって生まれるドラマがあるから。

 

愛と信頼のエネルギーを取り戻していくと、テレパスが通じるらしい。繋がることへの恐れが解消される。だからテレパスは胸部で送りあっているイメージかも。脳じゃないかも。ハートでやり取りしてる。

まえにテレパスが男性に通じたことがあって、あの人だと思う。彼くんではなかった。

 

何はともあれ、夢見では3ヶ月後ぐらいに出会う・・・・・・みたいな気持ちになった。

なんだろう・・・・・・。よく分からんが、出会えるらしい。なるほど。

ちょうど6月の、母の誕生日か・・・・・・。ちなみに彼くんと出会ったのも、この時期。

 

 

 

こっちが本命ではないかと思う。テレパスが繋がる相手。

彼くん=テレパスが通じる相手

かは、謎。でも、彼くんのように感じられない。

でも、別に誰と結ばれてもいいんだよって書いておきたいなって思う。

アセンションしちゃえば、結局は宇宙に帰れるのね。それが今生か、来世かぐらいには終わると思うんだ。

ツインレイと結ばれなきゃいけないっていう縛りもないわけで、ツインレイじゃなきゃダメっていうことに意味もない。

彼くんとは別々の人生をあゆむ。これが執着の手放しだけれど、自分とは決別するってことになる。

自分と決別すると、そこには本来の自分がいるとも言える。本来の自分っていうのは、精神病みたいに狂ってる恐怖を抱えている人格のことね。

この人格から恐怖を抜いていく。恐怖が抜き終わると、テレパス可能になるような感じ。繋がれるようになる。でもそれが誰かはわからない。

彼くんでは無いと私は感じてる。

でもね、彼くんと出会ったとき、じゃあ彼は彼だったのかっていうと彼じゃなかったと思うよ。爆

最後にサイレント入った時の私は「彼くんがいなくなっちゃった。゚(゚´ω`゚)゚。ピィ-」とか言っていたので、たぶん、彼ではなかったんだと思う。

彼では無い彼を彼だと思っていた。

 

で、ツインレイは再会して結ばれるって話だけれどね。

再会しなくちゃいけないルールもないし、結ばれなきゃいけないっていうルールもない。

ただ、自分の欲求が再会したい、結ばれたいっていうところにあるものがツインレイっていう用語によって具現化されているだけ。

でも、なぜか、ルールにそわなきゃって思っちゃう。ここがもう心理ついてるよね。

再会しなくてもいいし、結ばれなくてもいいことを許せない。それは自分の欲求がそこにあるから。

先に欲求があるのに、ツインレイっていう用語によってひっくり返っちゃう。ツインレイステージっていうルールがあるから欲求があるって思い込んじゃう。

ただ純粋に欲求を大事にすればいいだけ。

ただ会いたいし、結ばれたかったっていう欲求が自分の中にある。それが具現化された途端、ルールが先にきちゃう。

  • ルールがあって束縛される自分がいる
    • 再会するルールがあるから再会する
  • 自由な自分がいてルールを創造する
    • 再会したいから再会する

束縛されている人と自由な人がいる違い。ルールがどこにくるのか。

誰かの創造にのまれるのか、自分の創造を使うのか。どっちが覚醒者となるのか。

自由な存在だから私たちにはルールが必要になっている。今回、束縛された人たちはツインレイルールに従ったんじゃないかと思う。

彼らは束縛されているんだよ、ルールに。ツインレイステージっていうルールに縛られた。だからレールを歩いている。

自由にはならなかった。なぜならば、信じ合い、愛し合うことが出来なかったから。

恐怖に打ち勝てなかったから。信じ切るにも恐怖があるし、愛し切るにも恐怖がある。恐怖を乗り越えられなかった。

 

自由な私になって、創造をする。

いや、まだ恐怖があって、それは暗闇がこわいっていうのが出てきてて、夜に家の中徘徊するのが怖くてビクビクしてるんだけどね。

でも、自由だから創造ができる。

束縛される人たちは選択をしたはず。選択っていうのは、あるものから選ぶってこと。

ルールがあって、そのルールに従うって感じ。(ツインレイステージもその一環。)

彼らはツインレイステージを選んだ。ルールの中に溺れて、その道を進んだ。支配されてるってことになる。

 

私は自由になる。ルールよりも先に私がいて、私が進む道を自分で切り開く。

どうするのかの決定を『ツインレイの概念』に奪われるのか、奪われないのかの争いだった。

自由になるか、束縛された人生になるのかの瀬戸際。

自由になった人たちは、自分を主体にして未来を構築していく。伴侶に束縛されない人生。

束縛された人たちは、また誰かをルールに当てはめていく作業をする。ハンコで押したような人たち。伴侶に束縛される人生。

 

でもね。

束縛の中にある自由なのか。

自由の中にある束縛なのか。

あんまり変わらんのだけれどね、苦しみの中にある自由と、自ら縛られたいと望むのかには違いがあるんだよ。

束縛の中にある自由は魚みたいなもんだよ。陸地じゃ生きていけないけれど、海のなかでは生きていける。

自由のなかにある束縛は、どこでも生きていけるけれど、ここで生きようかなって自分で決めている。

でも、どちらも、どこかででしか存在ができないっていう現実がある。要は気持ちの問題。

気持ちが束縛されてるのか、自由なのか。

気持ちが束縛されてると、人の気持ちも束縛するようになっちゃう。

気持ちが自由な人は、人の気持ちを解放させていく。私はこっちの人だから、人の気持ちを解放することを仕事にしてる。

 

人と共にあるのに、人を束縛せねばならないのか。それとも互いに自由であるのか。

かなり違うよ。

夫婦であるにも、束縛されていて、そこにポッと提供された自由があった人たち、いたと思うんだ。

ツインレイ男性が落ちに落ち抜いて、そこに支えるようにツインレイ女性が救世主のように現れる。

そこに自由があると思うんだよ。ないよ。

だって、束縛から逃げて得られた自由なんて、束縛の中にある自由そのものじゃない?

大事なのは『自由になる』。次に、誰に束縛されたいのか、誰ならば、それが許せるのか――、だよ。

ツインレイ男性は『束縛から逃げてはならない』んだよ。

ツインレイ女性は『自由から逃げてはならない』んだよ。

だからツインレイ女性は自由になるとき、ようやく、自由の中にある束縛が成立する。

女性は空なんだよ。どこへでも飛んでいける鳥は男性なんだよ。

その女性が檻になってしまえば、男性は逃げたくなる。逃げた先の女性もまた檻だよ。そもそも男性が逃げないことに意味がある。

逃げたくない場所が空なんだよ。

逃げないってわかれば、女性もまた自由になるんだよ。空になれる。

女性が自由になることは、空になることなんだと思うよ。それは空っぽ。だから「入れもの」として活躍できる。

 

でも空と鳥の仕組みができないようになっている。

だって、女性の愛は男性には通じないし、男性の信頼は女性には通じない一方通行な世界だから。

そこには『恐怖』がある。恐怖を乗り越えなければならなかった。

 

 

人って『可能性』について、いつから考えなくなったん?

答えがひとつだと思ってる人、多くないか?

それから正解があるって思ってる人も、多くないか?

ないよ、そんなもん( ˇωˇ )w

だから私はずっと可能性について突き詰めてるんだよ。

いくつも道はあるんだよ。でも、事実はひとつなんだよ。

パラレルワールドがあったとしても地球はひとつなんだよ。

だから事実だけを捉えればいいのに、自分がいる(自分だと思っている存在)から事実がわからなくなっちゃう。

何故か世界線が二個あって、もうひとつの世界線を進む人たちは別の世界に行くと思ってる人達もいる。

世界線が二個=地球も二個

みたいな。

いやいや、地球は一個だからね!?地球がここにひとつある。これが事実なんだよ。

世界線がいくつあろうと、地球は一個なんだよ。もし、あなたが二個の地球を目でみたならば、二個なんだよ。二個の地球を見た人間、いないでしょ。

地球がまるいか平らかの話もね。可能性の話であって事実ではないんだよ。事実はまるいねん。ほとんどの人が丸いって認識してるからだよ。

事実っていうのは流動もするねん(;´Д`)社会性の問題でもあるんだよ。

事実と可能性の違いが分からないのは、社会性が低いってことでもある。

 

私たちにとって必要なのは、可能性について出し合っていく関係性であって、正解や事実はなにかについてケンカし合うことではない。

真実は誰にもわからないんだよ。この宇宙の創造主もわからないはずだよ。だって、宇宙はどうして宇宙として生まれたのかを知らないはずだよ。

私は可能性の話をしているのであって、正解の話をしているわけじゃないんだよ。

だからさ、正解の話をする人とはウマが合わんのよ。私が不正解のとき、あなたが正解になるから。

これが善悪二元論に縛られているってこと。

自分がどう思っているのかの可能性について提示したらいいだけなんだよ。

未来は可能性で広がっているのに、正解と不正解に縛られて、今も戦争やってんじゃねえか。