2025年、すべてが終わった。——リセットボタン完了
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さよなら、ツインレイ
当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。
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「2025年、すべてが終わる」。サイレントのはじまりにそんな直感が頭に降ってきた。
そして、今回、すべてが終わった。
私はサイレントが始まるだろう少し前に『無となった私』となった。
彼といっしょにいればいるほど、私はどんどんと自分を削っていった。
それは別に「辛い」とか「耐えられない」とかを理由にして、自己分離をしたわけでもない。
ただ「いっしょにいるためには自己分離する必要性」があった。その理由は、彼との約束を果たす為に。
その無となった私は、扉の向こう側に追いやられ、それをホワイトなとちゃと名付けた。
このホワイトなとちゃを此度受け入れることになった。
『無となった私』を、受け入れた。
私のなかには「被害者の私」がいた。でも、それは「加害者の私」だった。
ホワイトなとちゃ、そして、ブラックなとちゃ。被害者の私(無の私)、加害者の私。
私は加害者であることを受け入れていった。
そして、私は、私が加害者であるとき、その向こう側にいる被害者もまた私であることも受け入れていった。
そうやって、私のなかで『被害』と『加害』が循環したとき、私のなかで「パツッ」と何かが繋がっていく。
「これでもう終わり」と感じた。
私はこれで終わるのだ。
私の長い夏休みは終わり。
私の長いモラトリアムも、思春期も、もう終わり。
私はもう大人なのに、どうしてか大人であることを受け入れられなかったのだ。
私は「ひとりですべてができるようになる」を目指していた。
でも「そろそろ、誰かと一緒に生きてもいいんだよ」と伝えていく。
ひとりで生きていけないのは未熟。誰かといっしょに生きることは未熟だと、私は私にブロックがかかっていた。
否、このブロックは、私のブロックであり、また誰かさんのブロックでもある。
私の苦しみは、あなたの苦しみ。あなたの苦しみを全て私が引き受けること。
私に苦しみを与えた人のすべてと繋がり、それは私であり、
私が苦しみを与えた存在——、すなわち、私自身もまた私である。
すべてが私のなかで完結していく。
そうやって、私は「終わる」ことを受け入れていく。
彼と私は、現実的には2021年の、あの夏に終わっていた。ああ、そういえば、今頃の時期だったような気もする。
そして、今——。ようやく4年越しに精神的に、彼と私のことが終えられる。
私のモラトリアムの現実は、2021年に終わり、精神のモラトリアムも2025年に終える。だから、2025年にすべてが終わる。
すべてが終わるとき、私のなかで「すべてがリセット」された。
それは『無』ではない。それは『ゼロ』である。
1ー1=0
私は彼に何も与えていなかったことを知る。
私は彼に、何かを与えられていると思っていたようだった。でも、私は彼に何も与えられていなかったのだ。
彼は私に何も与えられなかった、同じように私も彼に何も与えていなかった。
しかし、私は与えられていたと思っていた。
被害者のこともあった、しかし、ゼロとなった。
加害者のこともあった、しかし、ゼロとなった。
すべてがリセットされて、私のなかに存在していた『被害——加害』という相関性が消えた。
これは、無になったわけではない。被害—加害=ゼロとなり、すべてがリセットされたというのだ。
被害と加害の相関性。
これは、与え、与えられることの相関性へ組み替えられる。
あのときの私は彼に加害を与えることもなければ、与えることも出来ない未熟者だった。
そして、被害者になることもできなければ、受け取ることも出来なかった。
あのときの私はゼロスポットに立っていた。
2025年、すべてが終わる。
たしかに私は終えた。
この夏。私はすべてにおいて、リセットボタンを押した。
「失敗、失敗。仕切り直してもっかい、もっかい」
そう言ったのが誰なのかはわからないけれど、でも、仕切り直すためには大事なリセットボタン。
今度は、大人の私で。与えられる私で出会いたい。
私は、2025年8月23日、この日のために全力を尽くしたつもり。
最初から最後まで、ずっと彼がいたわけなんだが、その理由は信念があったから。
そうするっていったんだからそうする。自分との約束は守る。これが信念。
誰かとの約束は守れないかもしれない、でも、自分と約束したことは絶対に守る。
自分を裏切らない。それは誰かを裏切らないことにも繋がっている。
私を裏切らないことは、彼を裏切らないことに繋がっている。
彼もまた、私と同じような信念の保有者であることを私は知っている。
そして、こういった強い信念を持つ人は、特有の悔しいという感情がある。理想主義者とは、そのようなものだと思う。
悔しかったんだと思う。私も、彼も。
深い意味なんて何もない、ただ悔しかった。
あのとき、信念が守れなくて悔しかった。
自分の思い通りにならなくて悔しかった。
だからリベンジしてる。そのために全力を尽くしていた。