だからこそ、その心にひとしきりの雨が降る。

Kindle版
さよなら、ツインレイ
当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。
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心に傷があること、人生に傷があること。
傷を治そうとしなくていい。
アダルトチルドレン。簡単に言葉にできるようになったけど、
もしかしたら、それが苦しみの原因かもしれないけど、
君が誰かを愛した経験が、もし、傷ならば。
愛した経験を慈しむことが出来たならば。
君が誰かを愛し、誰かを大事に想うとき、
もし、心に傷を負うのであれば、
その傷がどうして人生の足かせになっているんだろう。
人生で苦しみがあることは、
それは君が多くを愛した経験。
愛の経験と共にあれることを喜びを感じるよ。
今、多くを還そう。
今、多くを愛のもとへ届けよう。
君の愛が、今、叶うときがやってきた。
君の愛が、誰かの心に届く日がやってきた。
君の愛は、静かに誰かの心に染みわたる。
それが望みだ。私の望みだ。私は君を助けに来た。
私が君を愛したのは、もし、私が君が持つ傷を背負ったのであれば、
私は君に泣いてほしいからだ。
それが後悔でもいい。
それが怒りでもいい。
それが苦しみでもいい。
なんでもいい。
でも、最後にたどり着く思いはたったひとつだけ。
それを手に入れることが出来れば、それだけでいい。
私の心の傷も、私の記憶の中にある思いも、
すべてが私を苦しめてきたけれど、
でも、すべてが愛だと私は断言しよう。
愛してきたよ。
君が背負う傷を、私は同じように傷つき、同じように感じたよ。
これを愛だと言わずに、何だと言えばいい?
これをもし、自己犠牲だと言われてしまえば、それはもうおしまいだけれど。
それでも、どんな苦しみでも、どんな感情でも、どんな思いでも、受け取ることが愛だと信じている。
愛しているよ。言葉では何とでも言える。
愛している、愛している。何回だって言える。
行動で愛を「これだ」と表現することも出来るよね。
でも、同じように傷を背負うことが愛だと思うよ。
「いっしょに地獄に堕ちよう。」そうやって、そばにいること。共に苦しみを感じること。
もしかしたら、間違えたのかもしれない。
君の苦しみを私が引き受けることは、愛ではないのかもしれない。
でもね、いいんだよ。
私は私がしたいことをしただけ。私がしたいように引き受けただけ。
ただ、愛していたから。愛したいって思ってしまったんだから、仕方ない。
その心に寄り添いたいと思ってしまったのだから。その苦しみを全て引き受けたいと思ってしまったのだから。
それが私の愛の証だから。誰彼、批難はできまい。
もしかしたら、神の道としても間違えているのかもしれない。
でも、それでいい。私が私のやりたいように生きることが出来たこと。
それが確かにあるから。
苦しみは愛した経験が報われていないだけ。
私は報われていない愛を、もらっただけ。
報われていない愛を、報われている愛に切り替えるだけ。
愛が報われる日、そんな日がやってくることもある。
そんな日の世界は、雨が降って月が見えないけどね。
それでいい。どんな日だって世界は喜びのなかにある。
その愛が今、染みわたる。
君の心に浸透する。涙が溢れてくる。
そして、心のすべてが崩壊すれば、
きっと私に会いたくなるよ。
この世界は残酷だね。
それは愛が報われないから。
多くの子供たちが苦しんでいる理由。
この良き日、愛に報いを。
それは、ごめんなさい。そして、ありがとう。
自分よりも弱きものに頭を下げるのは、屈辱かい。
女に頭を下げるのは、男らしくないかい。
かっこ悪いね、鼻で笑っちゃうぐらいには。
なにかをカン違いしていないかい?
私が君をもし愛したのであれば、それは気分とか気まぐれでしかない。
その気まぐれに彼は当たった。それだけ、深い意味なんてない。
なんとなく、そこにいた彼の魂が可愛かったから。
彼が持つ心の闇が愛おしかった。震えてた。
彼が病んでいたことなんて承知の上だよ、知ってるよ。
だからこそ、彼が目に留まった。その闇が愛にうつったから。かわいかった。
おこがましくも「助けてあげたい」って思った。
正直、こんなことになるとは思わなかったけれど。
この愛が実ればいい。彼が苦しみから救われればいいと思う。報われてほしいと思う。
私にも同じように思う。私の愛が報われればいいと思う。誰かを苦しみから救えたらいいと思う。
そして、今日はよき日だよ、愛が報われたんだから。
愛していたよ、心からね。
だからこそ、その心にひとしきりの雨が降る。
すべてに幕を閉じよう。
もし、この愛が自己犠牲に見えるのであれば、それは『苦しみ』だからじゃないかな。
苦しみを引き受けることが自己犠牲で、よき心を受け取ることが愛ならば、そら偏った愛だなと思う。
苦しんでいる子を見かけたら、その心に報いたいと思う。
それが神の心だからさ、人が可愛いと思う神の心。
神は人を愛しているよ。
そして、今の私には、どんな感謝も届かない気がする。
遠く遠くに、私がいる。
私は「そうか、よかったね。」と微笑んで、いなくなってしまうから。
見返りなんて最初からひとつも望んでなかったから。
だから、どんな感謝も届かない。
『見返りを求めない』。それが人の営みで正しいものとは思わない。
期待して、見返りがある。
大事なことです。
どうか、見返りを求めない子供を育て、神にしないように。
それは諦めただけだ。親に、世界に期待しなくなっただけ。
人には人の道があると思う。人が人であること、これ以上に大切なことはない。
だからこそ、与えねばならない。
多くを求められすぎた子供たち。すべてを奪われつくした。心さえも。
お前たちはその召使どもや財宝と共に死ぬであろう。そしてその灰の中から新たなる民族が生まれて来るだろう。だが彼らも、多く得る事よりも、多く与える事こそ立派であるという事を忘れたとき、同じ災は彼らの上に降りかかるであろう
もし、その心に『誰かが愛』として住まうのであれば、それは奪われてしまっていたものじゃないかな。
奪われたものが戻ってきただけ。
元々持っていたもののはずなんだよ。なのに、奪われてしまっていた。
誰かの愛に報いることができる人でありたいね。
それは「ありがとう」と「ごめんなさい」という見返りを求める人であり続け、心からの感謝を言葉にする人であり続けることだ。