満月の日に感謝の気持ちを振り返ることは手放しに繋がってる。

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さよなら、ツインレイ
当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。
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感謝を取り戻してきたのもあって、今、色々なことに感謝かよみがえってきている。
感謝って最大の手放しなんだろうなって実感中。
感謝の言葉って大事だけれど、私は感謝の言葉を武器にする人も知ってるし、自己防衛のために使っている人も知ってる。
その言葉を聞くたびに私は傷ついてきた。
自分の思い通りではない、否定された気分、否定される気がする。だから感謝の言葉を伝えれば、自分は悪くないを保てる。みたいな。
感謝の言葉を道具のように使って、本当の意味での感謝を忘れてしまった人達がいるんだなって思った。
これは私の中で、本当に驚いたことだった。
心の中では「それ以上喋るな」みたいな攻撃性を持ちながら、発言では「話してくれて、ありがとう」とか言われるの。
すごく気持ち悪い。思ってないこと言ってる人と話すと、ぐちゃぐちゃしてくる。
他にも自分がしていることの正当化のために、自分は嫌な気分になっても感謝がいえる『できた人』を演じる為の感謝の言葉とか。
それって感謝してないよね。
ありがとうの数が多い人ほど、その傾向がある気がする。思ってもいない感謝を述べて、自分を守ったり、他人を攻撃してみたりしながら、肯定以外は受け付けない。
否定が受け付けられない。
これはもう思考の偏りと、否定されると傷ついて耐えられないんだろうなって思う。
私は人を傷つける感謝を感謝とは認めない。
言葉と心が不一致で、なんなら真逆な人たちがいる。私は思う、感謝は相手の心を満たすものだと。
感謝を告げられても、全く嬉しくない。私はあなたを肯定するだけのイエスマンじゃない。私は道具じゃない。
大抵、自分を肯定してくれるだけのイエスマンを求めている人は、心とは裏腹の感謝で人を攻撃するんだろう。
自己肯定感が低いから、否定を攻撃に感じられる。
それがもしあなたへの愛であったとしても、愛を受け取れずに、突き放している状態。
感謝はもちろん第四チャクラだと思うんだけれど、私は初めて受け取る感謝は「生まれてきてくれてありがとう」っていう第二チャクラなんだと思う。
初めての自己肯定感は、ここにあるんじゃないかと思う。
私たちは生まれてきて、初めて受け取る感謝を受け取っていないことがしばしばある。
私もまた「生まれてきてくれてありがとう」なんて言われたことないし、「産んでくれてありがとう」なんて、言われたことがないから思ったこともない。
第二チャクラに率先して「生まれてきてくれてありがとう」って声をかけをしながら、満たされていく感覚を覚えてる。
そうやっていくと、どんどんと手放しが起きてくる。
誰かと私の縁にも感謝が生まれてくる。
もし、否定に苦しむなら、自分で自分に「ありがとう」って声をかけてあげる必要性があるんだと思う。
他人は自分を肯定してくれる道具ではないし、否定から攻撃を感じて、やり返す為に、感謝の認知を歪めていいわけでもない。
感謝は、相手のことも自分のことも肯定する、両者のための言葉だと思う。
満月の日は、感謝の日らしい。
私は今回『ご縁に感謝』かな。ご縁に感謝してみると、手放しが起きていることがわかる。
どんどんと縁が手放されていく。
ありがとうって、相手を拒絶して突き放す言葉としても使えるけれど、心からの感謝は縁の手放しに使えるんだなって思った。こっちが本当の使い方じゃないかな。
どちらも『離別』だなって思った。さよならって意味。
私はありがとうって拒絶の言葉を聞いた時は離れようと思う。だって、相手は「愛さないで、関わらないで」って言ってるんだろうから。いらないって言われたんだと思う。
彼もそう。
彼は私に感謝という拒絶を使った。それは「さよなら」って意味だったんだなって。自分を否定してくるやつはいらないって意味なんだと思う。
イエスマンじゃない私はいらない。
だから、私もここで心からの感謝で手放しだなって思った。
今までありがとう。それから、さよなら。
私は彼を肯定するだけの道具ではないから。
遠回しに私は否定されていたのだ。その事実に触れながら。