ロゴスとパトスの統合。一を聞いて十を知るのか、はたまた井の中の蛙なのか。

2025年4月18日

| Ⓒ なとり

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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図の説明:パトス・エトス・ロゴスの相関性

引用:ロゴス・パトス・エトスの相関性から「信頼」について考える。

これで書いているものは、ロゴスという論理性とパトスという直感性はエトスという信頼によって接続されているっていう話。

このなかにあるロゴスとパトス。一を聞いて十を知るに通じているような気がしている。

パトスは既に十を知っているが、相手に十与えても全貌を理解されることはないから、ロゴスによって説明されることは、一から九までの段階を示唆しているように思う。

つまりパトスが結論を意味するなら、ロゴスは結論への説得力のようなもの。

ロゴスが発達している人の話はやっぱり説得力がある。しかしパトスという結論を先ずは一先ずの信頼を置かなければならない。

 

色々なやり方がある。女性性である直感性を導くにはこれ。

男性性→女性性

  • ロゴス(論理性)・・・・・・問題が持つ値
  • エトス(信頼)・・・・・・方程式
  • パトス(直感性)・・・・・・回答という結論

女性性→男性性

  • パトス(直感性)・・・・・・直感で得られる回答
  • エトス(信頼)・・・・・・回答を一先ず信じる
  • ロゴス(論理性)・・・・・・直感を肯定し理論を展開する

ここから男性は女性を見るとき、回答が得られ、女性が男性を見るとき、肯定されるということ。

欲求として男性は他者に回答を求め、女性は肯定されたい欲求みたいなものがあるのかなと思う。

ただ、このエネルギーの方向性が真逆であることから男女の会話は噛み合わないし、与え合うものや欲しいものが違う。

 

なんとなく、ロゴスとパトスが繋がることは、一を聞いて十を知るみたいなものかなと思った。

そのためにはある程度の知見が必要で、情報を大量に偏らず、いくつかの専門として持っておく必要性がある。

方程式を複数持っていること。

スピリチュアルでいえば、倫理観や哲学、心理学、医学などの方向性から切り替えて思考することでよりスピリチュアルに現実性が生まれるなど、一を聞いて十を知るにはいくつかの方程式が必要だな、と。

例えばスピリチュアルで倫理観が失われると、現実性が失われて、地に足のつかないアドバイザーとかが生まれる。

 

私がやり続けてきたのはツインレイという定義(直感というエトス)に対して、ロゴスによる論理性でツインレイを証明するっていう作業を永遠と続けていた。

そこにあるのは女性性である直感への信頼だが、信じるべき女性性が妄想に陥っている場合、妄想を肯定してしまうため、ロゴスはひたすら肯定と否定の理論を立て続ける必要があり、パターンをいくつも生み出して検証する。(自己否定は自己信頼により生まれているが、自己肯定のみになる人は自信が無いとも言える)

最後はエネルギーの反転が起きると、男性性である論理性を信じ、構築していく理論により解を得ることが出来るようになる。

その解が女性性であり、またパトスである。この時、直感が得られるとも言える。

論理を立て続け解を得続ければ、直感が働くようにもなる。そのとき、誠実な女性が導き出される。

 

どっちにしたって、一を聞いて十を知る人になることを意味するのかな、と。

 

また、このロゴスだが、否定と肯定やら専門やらと存在するわけなんだが、女性はロゴスよりもパトスを信じている為にロゴスの使い方としてひとつの肯定的なもののみにしか着眼し切れない。

このときまでに自己信頼や自信を培うことに失敗すると、シャドウの統合が失敗しやすくなり、中年期に置いて妄想に取り憑かれやすい。自己否定をする視点を取りこぼしてしまう為にある。

 

ここから結婚相手についてだが、

男性は幾人もの付き合いのなかで、複数の女性のなかからひとりを選び取る気質がある。誰を選ぶのかに時間がかかる。

女性はたったひとりを直感的に認識する気質がある。

つまり男性の方が女性への気づきが遅く、女性の方が男性への気づきが早いと言える。

男性は失ってようやく大事な人に気づき、また女性は最初から気づいている状態が生まれる。

真逆の視点に反転するとき、女性は複数のなかから経験から選び、男性はたったひとりに気づくようになる。

このとき、女性の中には複数の男性ビジョンが存在し、男性の中にはたったひとりの女性ビジョンが生まれている。

ロゴスは複数に分散されるが、パトスはひとつに統合された視点を持つからである。

 

私たちが求められていることは、複数の中でひとりを選ぶこと。そして直感的にたったひとりに気づくことの二点である。

この二点における回答が同一人物であるとき、私たちのパトスとロゴスはエネルギーが循環されていると考えられる。

このときの私たちは両性具有的な思考を持ち、また、結論を違えず、中心には男性性と女性性における信頼関係があるものとする。

 

ただ少しこの定義で気になるのは、女性性=パトス、男性性=ロゴスとして定義しきっているもの。

基本的には相違ないものだが、この定義は私自身が持つ偏見のもとに生じた分離であり、男性性と女性性の定義による偏見が成立しなければ成り立たない話である。

つまり、バイアスは悪だとされるわけなんだが、バイアスがなければ、ロゴスとパトスの統合をはかることは出来なかった。

 

では、この真逆として成立するものだが、ロゴスがひとつの解である女性の言葉を盲目的に信じる。

パトスがロゴスを支配する。直感の方が論理性よりも優位だと思い込む。

簡単に言えば、女性がなんにも考えず「こうだ!」っていう考え方を男性が「そうだね」と鵜呑みにするとき、そこにはロゴスが存在しない。(つまり男性としての女性への抑制が使えていない)

どのような状態なのかを理解した上での「そうだね」と、何も考えていない「そうだね」を同列で扱うことはできないはずだ。

この状態を井の中の蛙となる可能性がある。

わかっていないのにわかっていると思いこんでいる様。

一を聞いて十を知るとは現実性が伴うものだが、井の中の蛙は現実性が伴わない。

現実性が伴わないから、人はスピリチュアル難民となるのである。