善悪を統合していく。

2025年4月7日

| Ⓒ なとり

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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前回の記事で、私のなかにある悪意が具現化された。

そこからレイキしつつ「悪意をお返し申し上げます」って唱え続けていった。

すると、私の中にある悪意が抜けていく感覚もあるんだが、徐々に善と悪という分離していたももが結合していき、統合していく感覚を脳の中で得た。

すると、私のなかにある悪意と言われた姿が見えてきた。

全然、悪意じゃないんだよね。

普通にすごく親切な人だったけれど、歪んだメガネからは『誰かへの悪意』に感じられるんだろうなと思った。

例えば、女性に寄り添った言葉があったとして、でも、別に男性を避難している訳では無いんだけれど、男性からは女性への寄り添いの言葉が男性への非難に聞こえるっていう仕組み。

そもそも会話の的が外れているんだけれど、それがバイアスにかかえると正常判断ができないっぽい。

で、なぜか私が悪い人に仕立てあげられたっていう意味わからんことが起きたりした。

私の中に『悪意』が生まれた瞬間だった。

でも全然いい子がそこにいて、私の中にいた悪意は社会からの悪意という決めつけによって生まれたんだなって思う。

 

それが終わったら、次に「ごめんなさい、許してください」の連呼が聞こえる。

膝ってすごく『溜まる』よね、他人の感情が。

それを抜きつつ「許しています」と伝えていくけれど、全然、はなれない。

ので「許している私を信じてください」と伝えていった。

 

何を信じるべきかを人は間違えているのかもしれないなと思った。

私は悪人として信仰されてたんだなーって思った。迷惑やな(´-`).。oO(

人が悪意を持って生きているのか、人が善意を持って生きているのかさえ、人は見間違うことがある。

でもさ、そこを信じるのをやめちゃったら、人間関係は破綻し続けるよなって思う。

信じたらバカをみた経験だって私もある。私の中にある善意を悪意だと思って糾弾してきた人たちに善意など振りまかなきゃよかったと思うよ。

でもさ、しゃーないじゃん。

それがデフォルトなんだから。

私が善意で生きているのはデフォルトなのに、普通を否定されたら、どうしようもないよ。

彼らは私が生きる精神的な『普通』を理解できないんだとは思う。だって自分の中に悪意があるから、人の中にも悪意があると思うんだよな。

私はそれが見抜けない。だって私の中に悪意がなかったから、だからわかんなかった。

でも、今はわかるよ。人の悪意。どうして悪意が生まれたのかも少しはわかるよ。

だって、私の中に決めつけて『悪意がある』と言われて、私の中に悪意が生まれたんだもん。

みんなそうなのかな? とも思うよ。

悪意がないものをあるって言われて育ったら、そら、悪意が生まれるよなって思う。同じように誰かへ悪意を向けるようになる。

でも、そこに悪意は無い。

つまり、私の中に悪意は無いよ。あるのは私の普通だけ。

私の普通が信じられないのは、当人の問題だと思うんだよな。

 

たいてい水に流して生きている私のことが信じられないのも、自分が水に流せてないだけだと思う。

自分がした失敗を許してないだけ。

それを人に謝ることで許してもらえて、すべてが無かったことになるとは思わない。

どう生きるか、そんだけだと思うよ。

私は彼らの謝罪にも、私への悪意の決めつけも、どっちにも意味が無い。

自己完結ができているかどうかなんだと思う。

ないもんは無い。

でも、行動も発言も、そこにはある。

悪意があると決めつけた経験も、悪意があると人を糾弾した経験も、そこには残るんだよ。自分の中に。

それが許せないのは自分で、私じゃないよ?

だから謝罪には意味が無い。