男性性エネルギーと女性性エネルギーを使い込む(性エネルギー交流?)

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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概念だけ。

男性性エネルギーを女性が持つ=創造を持つ母

女性性エネルギーを男性が持つ=受容を持つ父

出会いの時点で、異性性によるエネルギーを受け取る。その時点から、創造と受容が発揮され始める。

未熟 成熟
創造
男性性
攻撃性 芸術/子を宿す
受容
女性
従属性 みんな/家族

創造エネルギーは、男性性エネルギーであり、女性が持つことで芸術性・子を宿すという状態になる。

受容エネルギーは、女性性エネルギーであり、男性が持つことで、多くの人や家族を受け入れる受容となる。

が、男性性と女性性のエネルギーが分離し、融合することがない時、攻撃性(男性)と従属性(女性)となる。これが私のシャドウだった。

また、このとき、DVっていう構造が生まれる。

つまり、性エネルギーの分離が起きているとき、DV構造がうまれやすく、これをエディプスコンプレックスと呼ぶ。

男性(父親)に対して恐れがあり、恐れを手放せていないとき、男性性エネルギーが循環しないゆえ、攻撃性が生まれる。

女性(母親)からの自立ができていないとき、女性性エネルギーが循環しないゆえ、従属になる。

循環しないとは、親への感情が解消されておらず、未だに未解消の感情があり、それがシャドウとなる。

つまり、ツインレイの出会いからサイレントまでに、女性は攻撃性の抑制。男性は従属からの解放を必要とする。その為にはサイレント中に自分が持つシャドウ(攻撃性と従属)と向き合う必要性があり、自分の中にある攻撃性と従属性を受け入れていく(シャドウが自分の中にあるひとつの側面性であることを認める)。

 

サイレントの開始の時点で、女性は攻撃性の抑制をする必要性があり、男性は従属による抑制をすることになるが、男性が必要とするのは、排他意識である。

つまり、女性にとって、男性性エネルギーは攻撃性、女性性エネルギーは従属となる。が、男性にとっては、男性性エネルギーは排除意識であり、女性性エネルギーは我慢となる。

男性性 女性性
男性 排除(攻撃) 我慢
女性 攻撃(排除) 従属

(男の子は暴力で排除して、女の子はムシで攻撃する。男の子は相手に我慢させたいし、女の子は相手を従属させたい。親の真似事してる。排除っていうか『無視』っていう攻撃を意味してる。)

ツインレイたちは、男性性の繋がりが生まれるとき、排除意識と攻撃意識。

女性性の繋がりが生まれるとき、我慢と従属。

他にも、男性による排除と我慢による関係性は回避依存。女性による攻撃と従属は共依存。

つまり、このシャドウ的な繋がりが生まれる際、私たちは未熟と言える。また、どこに自分の問題があるのか? を考えてみる必要性がある。

排除、我慢、攻撃、従属。未熟である子供の考え方を排除してきた親により生み出された感情を解消してあげる必要がある。

また、この概念がシャドウを形成するが、分離させた場合、結合させれば良いのだが、分離とは対立する他者との不幸な経験により分離する。

つまり、そこにあるものはある。あるものならば、分離することで切り離し、人格を維持する。

または人格破綻者として生きる。のどちらかでしかない。

私は前者だったので、人格破綻者がシャドウとなる。(過剰攻撃と過剰従属されることになる)

また、分離人格をも投影する為、攻撃者は自己の中にあり、従属性も自己の中にある。

分離人格が多ければ多いほど、子供が生まれた時点での、子供が持つ負債が多くなる。(私の場合、彼と別れた時点で精神の分離が甚だしいゆえ、子が自閉症となったっぽい。)

また、分離人格が多いことは、親として不足となる。(つまりシャドウが子育てする。子供に攻撃し、従わせ、排除し、我慢させる)

ここで再びアダルトチルドレンが生まれる。不幸の連鎖が生まれる。

 

ツインレイが性エネルギー交流した結果、何が出てくるのかはわからない。恋愛もおなじ。

ツインレイのふたりは『創造』と『受容力』となるが、依存が2人の中にある限り、攻撃性や従属やら、無視やらというネガティブなシャドウの側面も浮き彫りになる。

ネガティブな側面を、そのまま、相手にぶつけることがDVやヒステリー等につながっている。

だけれど、サイレント中に『シャドウの統合』を行うことが出来れば、性エネルギーを上手く使いこなせるようにもなる。

 

めっちゃ簡単に言うと、ツインレイは出会った時点で性エネルギー交流をしている。おせっせしてるなら確実にしてる。性欲が沸き立ったなら、してる。

で、自分の中にある性エネルギーによるシャドウを浮き彫りにされる為、回避依存、共依存、DV、性被害というようなシャドウによる問題も浮き彫りにされる。

サイレントまでの間に、女性がツインレイへ攻撃性が出ちゃったならば、父への恨みがすごいから、解消しなさいよってことだったりする。

私の場合は、分離しきってしまったからシャドウを形成する。いやでも統合せざる得ない状態に追い込まれるが、攻撃性の我慢が出来ずに攻撃し尽くす人もいて。そういう人はインナーチャイルドの見直しが必須になるが、分離させていないからインナーチャイルドを自覚するのに他者を通してではなく、自分と向き合うしかない。

分離させている人は、相手からやってくるから、人と向き合う必要性がある。

分離は人と向き合うことで理解し、抑制がない人は自分と向き合うことで理解する。(また、逆転の視点もある)

最終的には『創造』という『子供を作る』ということが出来る母になり、『受容』という『新しい我が子を迎える』ことが出来る父になる。

創造のない母は、子供に依存し、需要のない父は、子供を排除する。悲しいニュースはたくさんある。

自分がいかに父と母という正常な概念を持つかによって、私たちは子を健全に育てることが出来る。

親に依存された子供は精神が死に、排除された子供は肉体が死に至る。(ひっくり返ると、自死へと至る)

昨今では精神の死が多くて、社会的に活動ができない人が増えていると思う。

自分が健全であること、健全ではないことに着眼していかないと、結局は子供を自分と同じような目に合わせることになる。

シャドウが反射しちゃうから。

良くも分離させることに成功させても、子供は自閉傾向が高くなる。

つまり、結合させる他ないし、シャドウを受け入れて鎮魂する以外はないわけである。

 

さて、シャドウだが。

こちらを統合することは自己防衛力や生きる力(攻撃)や人に合わせる力(従属)になる。子供に向けるものではないが、必要である。

シャドウが分離していると、自己防衛ができないし、生きる気力がなくなり、人に合わせられなくなる。

シャドウが結合することにより、ポジティブな使い方が出来るようになる。

 

簡単にすべてをまとめるなら、エネルギーってそれぞれ使い方があって、使い方間違えてると不幸になるんだけれど、ポジティブな使い方を知らない人にとって、どうやったらいいのかなんてわからないんだよ。

親もまた同じように使い方を知らないから、子供を不幸にしてしまう。

知らないって罪やねん。だから人の話を聞いたり、憧れる人を真似てみたりしながら、プラスの使い方が出来るように人間性を鍛える必要性がある。

つまり、最終的には「人として、それってどうなん?」っていう問いかけ続けていくと、自分って人間として風上にも置けない存在だってことに気づく人は自制していく。

自制ができる人って頭いいねん。知識があるとか無いとかではなく、自分がどうあるべきかを解いて考えて、なりたい自分を形成していく。

あなたはヒステリーになりたかった?

誰に攻撃して警察に呼ばれる人間になりたかった?

誰かに嫌われている人間になりたかった?

誰かのせいにし続けている人になりたかった?

なりたくなくね???

だってかっこわるいじゃん。

っていう考え方があるかどうかなんだよな。これが人間性であって理性でもある。

理性って自己抑制をも意味するけれど、本懐では『理に触れること』だとも思う。理にかなってるってこと。

人間性を育てようとし、人間であろうとする人たちは、世の理にかなってるねん(´・ε・`)

ただ、それらが『賢いかどうか』は別の話。知性の話ではないから。

でも、そういう人たちが知性を身につけたならば、知識は知恵となり、自分を助け、また、誰かを助けられる人になる。な? 理にかなっとる。

エネルギーの使い方が理に叶うんだよ。

じゃあ、理ってなんだい≡⊂( ^-^)⊃

男と女だと思うんだよなー。

女は創造し、男はそれを受け入れる。

受け入れてくれる男を夫として、母は子を成す。

生まれた子を父として受け入れる。

循環であり、営み( ˇωˇ )