許しとは『いるだけ』

2024年12月11日

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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許せなかったから愛しました。

それは自分の心が狭かったのだと思います(っ ´-` c)

許せないのは自分の心が狭いから。

狭いのであれば拡張すればいいじゃない。そんな期間でした。

すべては私の心が狭かっただけ。だから許せないことがいっぱいあった。

でも別にそれでいいんじゃね・・・・・・? ってことが大量に増えました。

 

東では運命の出会いの自慢をしている人がいた。

西では妄想を語っている人がいた。

南では何もしていない人がいた。

北ではあくせく働いている人がいた。

中央にはレイキの能力を誇示している人がいた。

どこにも『人』がいた。

いろんな人がいた(っ ´-` c)

それだけ。

 

私には意地悪な姉がいた。

私には過保護すぎる父がいた。

私にはヒステリーの母がいた。

いた。そんだけ。

特に問題はない。そこにいただけだから。

 

つまりは『いただけ』なのである。

そこにいただけ。

 

彼くんという存在がいた。

自分の事のように愛した存在がいた。

『いただけ』で、何かしていたわけではない。

いただけ、そこに(っ ´-` c)

 

許せなかったのである。

そこに、姉がいて、父がいて、母がいることが許せない。

私のなかに誰かがいることが許せない。

何故ならば、私の心の許容範囲が狭すぎて『自分』しか入らない。

家族をいれると、ギュウギュウになってしまい、仕方がなかった私は自分を追い出して、みんなを許して入れた。

みんな入れたけれど、私は自分の心の中に入れなかった。

だから私はここにいなかった。

私はみんなを許し続けた。私は私の中に入れないけれど、みんなに私の中に入ることを許した。

許しという愛。

 

今回、彼くんが私の心に入ってきた。

彼くんを入れるためにいっぱい許した。入場許可をいっぱい発行した。

そうしたら、彼くんは私と一緒に私の中に入ってきた。

どうしてか、彼くんは私の手を引いて、私の中に入ってきたのである。

彼くんは「なとちゃと一緒じゃないと入らないよ( `ᾥ’ )」と言ったので、私は私を受けいれた。

そのために、心を拡張する必要性があったんだけれど、彼くんが私のスペースを心の中に作ってくれた。

狭かった心を拡張させて、私の中に「みんな」が入った。

今度はなとちゃもいっしょである(*’ω’ *)

彼くんが私の特等席を私の中に作ってくれた。

みんな、ここにいるだけ。

いるだけ。私もいるだけ。

 

誰かを許せなかったのは、私のなかに私がいなかったからである。

私が私の中にいるから、みんなを許せる。

私の中に入っていいよって言える。ここにいていいよって言える。私がここにいるからである。

 

あなたのなかにあなたがいるなら、みんなを許せるよ。

あなたがあなたのなかにいないなら、誰かを許さないといけないよ。

あなたを自分の心の中に入れてあげるのを、許してあげようね。そうしたら、みんなを許せるよ。

 

いるだけ。そんだけ。

いることに意味は無い。ただ、いるだけ。

なるほど、いるだけ。

影響もない、いるだけ。

これが『許し』である。

いるだけ、これが許し。

・・・・・・いるだけ。

 

つまり、あなたがそこにいる。

これが『地球からの許し』ですね。

あなたがそこにいることを許します、でもなくて。

そこにいるだけ=許し

あなたが存在している限り、許しの概念がずっと適応されている。

つまりは、あなたがいる=許し、って意味。

いるだけで許しの概念だから、人間的知覚では許し、許されているのである。

許しましょう・・・・・・とかでもない。

そもそも、あなたの存在自体が『許しの概念』ってこと。

人間は『許し』ってこと。

許せないっていうのは、あなたのなかで存在が許されていない部分があるから。

だから、あなたのなかにあなたを入れてあげましょう。すべてが許せるようになるよ。

あなたは『許し』という人間許可証明だされて地球に存在しているんだから。

誰かに許される必要も無いし、許す必要も無い。そもそも『許し』という概念の元に存在しているのが人間だから。

でも、許せないのが人であって、そこに葛藤が生まれる。ひいては狭量なおかげで自分の中にしっぽり自分が入っていないためである。

 

で、自分を許しきってしまうと、人が何していようが「いるだけ」である。

自慢している人がいる。いるだけ、なんとも思わん。

傲慢な人がいる。いるだけ、なんとも思わん。

問題ない。そこにいるだけで何もしていないからである。

何もしていないのに、なんか悪いことしているように見える時がある。

理由は自分が狭量な人間だから、そこに悪を見つけてしまうのである。

すべては自分の心が狭いからこそなせる技。

何もしていない人が何か悪いことをしていると思い込むのである。心が狭いから・・・・・・。

 

数年前の私は、心が狭かったなと今振り返っているとこ。

だから『許しまくっていた』んだなと思う。

本来の人の姿は『許す』という概念すらないと思われる。

許しましょう=異常ってこと。

人は人を許さずとも生きていける存在である。誰かを許さねばならないのは、自分の中に自分を許していないからである。

許し