彼との別離に何も感じていない件について(愛とは何も思わないこと)

2024年12月11日

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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今まで彼との別れについて、とやかく考えてきたわけである。

ここにきて『無』である。

無自覚にも自分が許されたくて、彼が背負っているものを全背負いして、罪を償ったわけなんだけれども、別に罪なんてなかったわけである。

な、何してんだ、コイツ・・・・・・。汗

許されたいがゆえに執着していたんだなって思いました。

それもまた、前世の私が許されたがってたんだけれど、彼に見立てた私は、ずっと許してくれてた╭(°ㅂ°)╮

私のなかでは、許されるわけが無いと思いこんでいる罪の意識の強い私が『解脱なんて許されるわけが無い』と罪を背負っていたのである。

もちろん、ここまで罪を明確に背負っていれば、なんなら、背負っているものが全くもって罪では無いことに気づくのである。

つまりなんだが、この世に罪はないんだよ。いや、法律はあるし遵守すべきものがある。

だけれど、罪の意識は、また別のところにあって、何も無いところに罪があると思いこんでいるのである。

空の思想に近いかな。

あると思ってるかもしれないんだけれど、中身は空っぽ。

『中身がないのにある』と思っていることがこの世で多くの人たちの秩序が守られている事実。

だから、ないのにある――ことは、とっても大事なことなんだよね。

つまり、ないけれどあるっていう考え方がちゃんと出来ている人って『ある』んだよ。

何が? 心が。

『心がある』に到達したとき、ないものがあると誰かに認められると『心ある人』になる。

これが『無から有を生む』ということだと思う。

 

で、私は心が生まれたわけなんだが、この作業が道徳なんだと思う。

何にもないところに生まれたものは心であって、その心とは何か――というと『無』なのである。

 

つまり、私は彼を許し、次に許されたいと思う心が循環し、許されてしまえば、そこには無が生まれるのである。

それまで『許し続けること』によって心を産んでいて『許されようとすること』によって心を産んでいる。

許し、許されたのであれば、そこには罪がない。つまりはそこには『何も無い』のである。

無である。

ゆえに、私は彼に対して『無』なのである。

なんも思ってないのである。

面白い感覚だなと思う。

今まで強烈に思い続けてきた理由は、許したいからで、許されたいからである。

他者への執着とは『許したい』『許されたい』により生じているケースがあるんだなと思った。

終わると、無になる。

そう、無。なんも無い。なんも思わないし、なんも感じない。思考もなれば、心もないし、愛もない。

 

そういえば、ずっと仲良くやっている関係性って許すとか一切ない関係性かもしれない。

なんかモメたとしても(๑˘・з・˘)モウモウ!!ってして終わることが多い。そもそもモメない。

赦し概念がないほうが友達として息が長い。

問題は愛したが故に許さないといけなくなったことなんだと思う。

で、全力で愛したがゆえに許し許され、無になったなとり( ˇωˇ )

 

マジ、なんだこれ。なんにも思えない。爆

新感覚。

 

ここが最終地点かなとは思うんだけれど、まだ、残っているトラウマがあるから、そちらを解除していく。

彼との出会いは、愛により生まれる許しと、許される事であり、すべてが終わると無にきすことを学んだ。

つまり、愛は無なんだよ。

何も思わないこと。それが愛。

私はあなたに何も思いません。これが愛。

許し