エーテル体とアストラル体、メンタル体の癒しについて

2024年11月29日

| Ⓒ なとり

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エーテル体もアストラル体も、二極化しやすい。次にあるメンタル体は夢とかの領域で、その後にあるエネルギー体は二極化を超えた領域となる。

つまり光と影(闇)という概念や、好き嫌いという概念は、基本的には人間の領域におけるエーテル体とアストラル体に由来するようだ。

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エーテル体

エーテル体は感情などに関係しているようで、エーテル体自体は感情に纏わる二極的なテーマとも言える。

  • 好き――嫌い
  • 快感――不快
  • 共感
  • 恋愛の性的官能

というようなことが、エーテル体の課題にあげられる。

さて、エーテル体に関することで、すごくわかりやすいのが「好き嫌い」なわけだが、同時にもっと、このブログを読む方々に共感が得られる体感がある。

恋愛である。

単純に「大好きなのに一緒の空間にいるだけで気になってたまらなくて疲れる」ということである。

これはエーテル体が近づきすぎることにより生じる事例である。

夢の領域である「好きな人とピトッと魂が繋がっているような感覚」を覚えたことがある人がいると思う。

それがメンタル体がくっついている現象である。このとき、エーテル体とアストラル体は過剰に接近し、エーテル体は結びつき、アストラル体も結びつくことになる。

近づきすぎる関係性は過敏に離れたいと感じるようになる。

ある程度、私たちは一定の距離を保っているものだが、近づきすぎることにより、過剰反応を起こすようになるのである。

エーテル体は好きだから近くにいたい。でも近づきすぎるとしんどいのである。そんなとき、私たちは強烈な反応を示し、感情を爆発させては距離を置くようなことすらあるのである。

これがエーテル体の課題である。

エーテル体で緊張が入る相手もいる。安心ができない相手との恋愛は爆発するような別れを経験する。

 

感情がテーマになるエーテル体は女性の課題とも言えると思う。

エーテル体と恋愛

エーテル体では恋愛が確実にテーマになるんだが、実際これが『課題』になることもある。

理由はわからんが、エーテル体にも相性がある。

肉体にも私たちに相性があるように、エーテル体にもアストラル体にも相性がある。

エーテル体の相性では、もちろん『安心』がある方がいいわけだが、エーテル体の恋愛として緊張が強い相手の方は好きの気持ちが強いとも言える。

しかし、緊張が強い相手との恋愛は、上記の通り、爆発的な別れを経験するようになる。

このエーテル体の相性として、緊張する相手とはエーテル体の傷つきが関係している。

メンタル体による結び付きが関係している人達の多くが、エーテル体による接触で「トラウマの浮き彫り」を経験するようになる。

エーテル体が抱えている問題をひたすらトラウマを浮き彫り化させ、浮き彫りにさせたトラウマを解消するように促している。

つまり、エーテル体が緊張する相手とはトラウマを浮き彫りにさせる相手だからこそ緊張するのである。このふたりが恋に落ちる必然性が理解できる。

エーテル体が持っている緊張がほぐれていく(トラウマが解消される)と、恋愛においてのトラウマも徐々に解消され、最終的には身体の過緊張がほぐれるということだ。

エーテル体は肉体の75%程度の不調を抱えているという。つまり、エーテル体が癒し切れると不調がなくなる。

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エーテル体をレイキで癒してきて

感情に対して癒し続けてきたが、エーテル体が癒されると身体の過緊張が消え、ぽかぽかしてくる。

今も背中や腰あたりがぽかぽかしているし、朝起きた時は腹部がぽかぽかしていた。

不調としては足先に「悲しみ」があって、解除すると巻爪の痛みがきえたり。

長年の不調である足裏のイボも完治。吹き出物の完治――というような状態になってきているかな。あと便秘関係も改善されつつある。

エーテル体は『分離している』ケースがあって、その分離を統合していくと、統合された分だけ癒しの課題がふってくる。

このエーテル体が癒されていない時、強い執着を見せたり、傷つきやすかったり、忘れられないことがあったりする。

アストラル体

アストラル体は願望に関することなんだが、この領域は『光と闇』というようなテーマにある。

  • 自分の中にある隠された自分
  • 誰にも言えない自分
  • 自分とは真逆の性質
  • 自分が絶対的に選ばない人生
  • 自分の盲点
  • ああはなりたくないと思う誰か

というように、自分のなかで隠している自分や、意図して隠しているわけではないが、選ばなかった自分が組み込まれているゾーンである。

このときの私たちは『自分が光』だと思い込んでいるような気がする。

統合するべきは、自分が光であるからこそ生み出される闇や影である。

アストラル体の課題は願望にあり、なりたい自分になろうとしていく意識によって具現化される。

しかし、現実的になりたい自分になれているとは言えない現実に向き合えないとき闇が生じる。

 

私たちは自分で自分の人生を選択し続けている。

そんなとき、選ばない自分がうまれてくる。この選択が多ければ多いほど、アストラル体は強く反応する。

アストラル体は「自分が自分で自分の人生の選択をする」という意識によって具現化されるシャドウである。

つまり、誰かに自分に人生を選択させられたとか、お前のせいで自分の人生はうんたらくんたらと他責に走ることでアストラル体は自分を見失うようになっている。

自分の人生を自分で責任をもって生きる。

そのとき、私たちは自分の人生を光として生き、真逆の選択を影としていくのである。

他責となっているとき、私たちは光の人生を生きることが出来ずに影の人生を生きるようになる。

つまり、望みの人生と真逆の人生といったところだろうか。

 

アストラル体は「意志を持って生きること」に意味があり、意志により影を統合していくことになる。

そして、アストラル体の光と影が統合しきるとき、私たちは私たちの本当の望みを知ることが出来る。

それはアストラル体が願望体だからである。

すべてにおいて自分の意志であるとき、私たちは私たちの人生の辻褄を合わせることが出来る。

しかし、自責が成立しないとき、自分の人生の辻褄を合わせることが出来ない。だから、自分の本当の望みがわからないのである。

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メンタル体の恋愛と迷妄

このブログで取り上げているピー⊂(`・ω・´)⊃ーという恋愛は、メンタル体による結びつきにより生じている恋愛模様である。

  • 肉体
  • 第二身体――エーテル体(感情)
  • 第三身体――アストラル体(意志)
  • 第四身体――メンタル体(夢)

というように、メンタル体は人間が人間であるがゆえに二極化しているものを統合させている領域である。

このメンタル体が結びつくとき、私たちは魂の反応のようなものを感じると思う。

魂と魂がピトッとくっついているような夢や感覚を、ふたり同時に感じたりなどのことが生じる。

このときの私たちはひとつの小さなワンネス経験をしているのである。

 

私たちはメンタル体による結びつきを終えていく時、本当の自立を迎えていると言える。

メンタル体は夢などの領域を担当している。

夢の中で恋愛の相手に依存しているとき、大抵よく都合のいい異性と恋愛をしたり、またはトラウマを何度も見ることになるだろう。

ゆえに私は「夢の中の彼」とは、何度も別れを告げ、自立しようとしていく。

エーテル体、アストラル体が自立することが出来ていない時、夢の中の彼からも自立していくことができない。

目標としては、メンタル体が結びついているのだから、メンタル体が自立し、分離することが目標である。

しかし、エーテル体によるトラウマが癒されていない、アストラル体が自責として成立していないとき、メンタル体は妄想を発揮させる。

メンタル体は眠っている時に活躍をしているが、日中に起きている世界にまで夢の中をもちこんで来るようになる。

それはエーテル体の傷つきと、アストラル体の人生への責任が伴わないが故にひっくり返って現実が夢のなかに入ってしまうのである。

メンタル体の問題は、妄想を現実だと思い込む迷妄にある。

エーテル体が感情において正常な判断を欠き、アストラル体が人生の指針において正常な判断を欠いている。

『事実では無いものを事実だと思い込む』のは、このふたつのエネルギー体がそれぞれの役割をになっていない為にある。

 

今回のメンタル体の結びつきによる恋愛をした方にとっては、ひとつの指針として「夢の中の相手と離別できたのか」があげられる。

私はひとつまだ『連絡を入れては無視られるトラウマ』が残っているので、今もまだここにメンタル体の自立が出来ていないことがあげられる。

「終わりのサインとして夢を見ます」とありますが、それはメンタル体の自立が終わったあとの話になります。

終わっていないときのメンタル体のサインは、トラウマか願望であり、もし再会をしたとしても、エーテル体とアストラル体の課題が終わっていないので相手とは離別となります。(メンタル体が自立しきらなかったということ。だから現実では物理的に反発が起こり分離する)

メンタル体の依存から脱却

エーテル体とアストラル体が正常ではない時、たいていメンタル体も正常ではない。

エーテル体とアストラル体が正常になっている時、メンタル体の統合者には分離等の現象は起こらない。

エーテル体は感情の浄化。

アストラル体は自己責任の成立。

しかし、感情を人に押付けて、自己責任を他責にしている人達はメンタル体が自立することはない。

なんでメンタル体が結びついたのかの理由が分からない人もいるんだが、真逆の原理にあって感情の押し付けと人生の他責という意識から闇による結合を起こすのだと思われる。

このケースは『二人は結ばれている』。

裏に別の何かを『隠す(アストラル体)』ことにより、結ばれている。このとき、エーテル体も二極化しているが、明確に分離(または解離)している。

ある種、地獄の運命共同体になってるなと思った。

つまり、人格が解離している(ヒステリー)&人間的に隠さねばならないものを持っている場合、闇による結合を起こして結ばれている。

メンタル体は依存を起こし、現実と精神の差がわからなくなる。

たいてい皆、ピー(`∩ ω・´)⊃ーを語っている。精神と現実の差がわからなくなる。

妄想と現実の違いを理解できない。

 

妄想と現実の違いを理解していく人たちは、メンタル体の自立をしていく。

自立したとき、夢の中での異性ともさよならをするだろう。(私はした)

単純に依存が強いのはエーテル体とアストラル体に分離があるからで、その分離の分だけの傷を背負う力量がある(自分の人生を生きる)人たちはメンタル体が否が応でも自立していく。

でも、分離を背負うことが出来ない、現実逃避が甚だしい等の問題を抱え続けている人たちは依存が断ち切れずに妄想に浸ってる。

単純に、夢の中で生きてる。おやすみ( ˇωˇ )

メンタル体の依存から脱却できないと、周りの人から「恥ずかしい人」って思われているだけだから、あんまり弊害はないと思われる。

黒歴史も大事だと思うよ(。⊿°」∠)モッモッ

で、このメンタル体の繋がりにより、色々浮き彫りになった人たちはほぼ全員、厨二病になる刑を受ける。

統合者は全員、黒歴史を背負ってなんぼである。そして黒歴史を背負っている人達にも「あたいもそんなときもあったな」と、生暖かい目で見守ってくれているものである。

またこれが恥ずかしいのである。

これがメンタル体により得られる徳である『思い込み』を担当している。

自分が正しいと思って生きるも良し。二十代の若さゆえだよ( ˇωˇ )

そういえば、あたいも彼くんに「もうちょっと若いんだからとんがっててもいいんだよ」とか言ってた( ˇωˇ )

自分が正しいと貫く事も出来なければ、自分が間違えていた、若かった、バカだったという反省も生まれない。

この総量によって人の器が決まる。

だから私はブログやってたのかも。総量を増やしたかった。

 

みんな、なとりを見てくれ( * ´▿` * )

こいつ、めっちゃ恥ずかしいやつだよ( * ´▿` * )

 

自分で自分を公開処刑して喜んでいるドM。