私には心の家族がいなかった。バイバイ、孤児院のみんな。(父との記憶をレイキする)
男性性とは自分に提供し、父性とは自分にも他者にも提供し続ける。
女性性とは自分を受け取り、母性とは自分をも他者をも受け取り続ける。引用:男性人格によるシャドウ(闇の刺客)に気づく。(母性と父性の確立と理解)
ようやく男性性が理解できたところで『父性』という概念がでてきました。
男性性と父性は別物——として捉えるべきかなと思います。
私自身のなかにようやく男性性が宿ったのは、地上のツインレイのあとだったように思います。
そして、今回、私自身が父性という概念を理解したとき、レイキ中にも『父』がでてくるようになりました。
私は父に対しての記憶をしっかりと持っていました。
私のなかの小さな私はパパ・・・・・パパ・・・・・・と父を呼んでいました。
父の膝の上で絵本を読んでもらいたかったこと。
父に対して見捨てられ不安を持っていたこと。
父はいつも家にいなくてさびしい思いをしていたこと。
父を後追いして大泣きしたこと。
父を姉に取られてしまい、嫉妬を抱えたこと。
他にも色々あったように思いますが、最終的には「パパ? 誰それ。」と私は言っていました。
私はさびしさのあまりに父と言う存在を私のなかから消しました。
これが私のなかにある父性の欠落の原因でした。
私のなかに新たに生まれた「父」は、小さな私を迎えにいき、さびしい思いをさせてしまったことを詫び、いつもここにいることを伝えます。
見捨てることはないし、いつだってそばにいることを伝えました。
私のなかに新しく生まれた父とは、本当の父ではありません。
私が生み出した父です。そして、母も同様に私が新しく生み出した母です。
本当に存在している父と母ではありません。
これは嘘っぱち。私は私の精神に嘘を吐き続けていると思います。もしかしたら、これが創造かもしれません。
真実ではありませんが、いつかの過去の私は、そうやってトラウマを解消し、穏やかに吸収されていきます。
それは私が私の母であり、私が私の父であると言うことです。
私には親がいなかったんだなとしみじみと思いました。
しかし、私には私のなかに多くの友達がいました。私のなかがとても賑やかだったのは、父と母がいない代わりに多くの友達が私のなかでいっぱいになっていたのだと思います。
だからさびしくはありませんでした。父と母がいないことも悪いことではありませんでした。
私のなかに分離して生まれた私の友達がいたから、私はさびしい思いをそこまで感じているわけではなかったのです。
敢えて言うのであれば、さびしいと思う暇もなく、忙しないほどに考え続けていました。
私は精神のみなしごだったのだなと思いました。
ある種ひとつの虐待を受け、孤児院に預けられていたのです。
私は私を迎えに行くことがようやくできました。
私から生まれた父と母は、私を迎えに来てくれました。
私はようやく友達たちとバイバイをすることになりました。
「バイバイ、みんな。」
私はそう言いました。
家族が私にはいませんでした。ですが、私には友達が家族のようなものでした。
だから、私は友達に家族のように接していたのだと思います。
ツインレイの彼のことも「家族」と言いました。いっしょにいるのが当たり前の人でした。
それは「友達」の意味だったのだと思います。
いっしょに孤児院にいる友達。みんな、家族です。
でも、もう私は孤児院から卒業です。パパとママが迎えに来たからです。
私が私を迎えに来ました。
ひとまわり大きくなって、小さな私を迎えに来ました。パパとママになって私は私を迎えに来ました。
私は社会の子です。社会に育てられた子です。
私は社会に愛されて育ちました。だから私も社会を愛しています。