地獄から抜け出す人と、地獄から抜け出せない人。

レイキやチャネリングにご興味がある方、お気軽にどうぞ。
Kindle版
さよなら、ツインレイ
当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。
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さて、私がなぜ、人間性の破綻も起こさず、妄想や思い込みに囚われず、論理性を維持できたのか。
理由なんだが、私は自分で自分を殴ることができる。自分が正しいとは思わない。どんなときも「自分が間違えている可能性」については危惧している。
相手の話をちゃんと聞く。そのときの自分にはわからなくても、いつかはわかるかもしれないから、頭のなかにストックとして入れている。信じない信じるではなくて「今はわからないだけかも」とか考えているときがある。
自分に囚われないように気をつけてきた。
それから、私は師匠とか先生とか、目上の男性がいて、その方々に信頼を寄せて生きてきた。そこに先生たちの良心があることに気づいていたし、どんな内容であれども「先生がそういうんだったら、きっと私が間違えているんだろう」と「信じる」ことができる人たちだった。
わからないことは信じるしかない。そして、それが私のために言ってくれていることに気づいていた。
その言葉が私の為にならないわけがない。
それが私を殴る内容であろうが、私を否定する内容であろうが「私の為」であることはわかっていたし、もし「自分の為」に発言されていたものだったら私は聞く耳を持つこともなかったと思う。
私は、私の為に考えてくれる大人の男性たちに出会い、そうした方々と密に関われたことは本当に貴重な経験だったし、なんなら、私も、自分の為ではなく相手の為にいつだって判断してきたつもり。
ほとんどが私の私利私欲ではなく「あなたの為に」だった。でも、そこまで信じられないと言われたら、私はもうどうしようもないと思うんだよね。
あなたの為に——とホントに思ってくれている人たちを排除する人たちを、私は救ってあげることも、助けてあげることも出来ない。
どんなに素晴らしい神があなたに手を差し伸べたって、あなたが「自分のことしか考えていない」のであれば、その神がどんな存在なのかに気づかない。
カンダダだって、結局、お釈迦さまの糸を切ってしまった理由は「自分を守ることしか考えてなかったから」でしょ。
私は、この地獄の領域に残った人たちは「自分を守ることしか考えていないから、相手が差し伸べてくれている手」に気づかない人たちだったんだと思う。
自分しか見ていなければ、相手を見ることは出来ない。
私は此度、多くの人と縁を切った。同じように、私に手を差し伸べてくれている人さえもを切った。
私は私を助けるために誰の手も借りることなく、進むために、私は誰かの助けを必要としなかった。
最終的な地獄への結論として、自分を守ることしか考えていない人は救いようがない。自分を守る必要性がない人たちは救いようがある。そこにあるのは「小さな勇気」だと思った。
そこには「自分がない」ことを意味する。
守らなくてもいいと思う小さな勇気が地獄から救われる条件だと思う。
あなたがそこにいると思っている自分は「存在しない」ということ。傷ついている自分など、それは自分ではない。
私たちは傷つくと言う概念がない存在であり、傷ついている限り、私たちはここに「自分がいるから傷つく」のである。それが偽物の自分である。
人が俄然未だに、偽物の自分を持ち続けていること。そして、偽物を守り続ける姿を神がどのように思っているのか。
私はそれを「胸を痛めている」と表現する。そして、そんな人たちをも、神は愛している。でも、救おうとは思わない。
なぜならば、人には地獄から抜け出すだけの力を与えているからである。
神を信じたものが救われるのではない、神が信じてくれている自分を信じた者から救われるのである。
これがお釈迦さまの力だよ。
私は良心を捨てたことがない。
だから、私は良心に従い続けている。いつだって、この言葉があなたの為になればいいと思う言葉だってある。
私は私なりに戦って伝えている言葉だってある。言いたくないことだってある。
私の良心が届かない日だってある。捻じ曲げられて非難を受ける日もある。
それでも、私は良心に従い、生きてきたい。
これが信念ではなくて、何だと言うのか。
私はあなたの為でありたい、どんな発言であれども、私はあなたの為でありたい。
私があなたと同じように苦しんでいることに、気づいてほしい。
あなたの為にかける言葉をうみだすとき、あなたと同じように苦しんでいることを知ってほしい。
苦しんでいる人を助けることは、同じように私も苦しいんだよ。知ってるかい?
これが観音さまの力だよ。
この世は地獄だよ。
本当の意味で信じてくれている人を信じられないし、
本当の意味で助けてくれる人の手を取ることができない。
だから、地獄なんだよ。どうして、判断がつかないのか。
その理由は、あなたが本当の意味で信用ならない人で、あなたが本当の意味で誰かを助けたこともないからだよ。
一番の敵は自分のなかにいる。それに気づけないからこそ、私たちは地獄の住民なのである。
そんななかで気づいていけることがあるとしたならば「人って捨てたもんじゃないな」ってこと。
そんだけだよ。