ふたたび、出雲の話。私がスゼリ姫だった件について

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Kindle版
さよなら、ツインレイ
当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。
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出雲大社に行くってことが決まり、友達を誘ったら、失恋した直後だった。
とりま、出雲大社というか『出雲の神話』から得られるものを書いていく。
箇条書きする。
- 出雲の人とは『精神的に自立した人』を指す
- 出雲から自立する為に試練(?)が与えられている
- 女性は図々しさ(依存)を終える為に、好きな異性に待たされる
- 男性は逃避(依存)を終える為に、困難な問題に立ち向かう
- 試練の最中に、依存を選ぶかどうかが審判ポイント
- 女性は待ちきれない、援助を受け取る
- 男性はつつもたせ、援助を受け取る
八上比売が大国主と結ばれる過程から――。
八上比売は大国主がうさぎを助けたことを知り、大国主を選ぶことから、精神的な優しさを持っている男性を選ぶ。これが出雲女子。
出雲男子が優しい基質を持っているが、優しいが故に自立しきれない。
自立しきれていない場合――
大国主を手助けしない、これが八上比売には求められる。大国主には八上比売に助けを求めないこと。
大国主は兄弟からのいじめ(という試練)と、ねずの国でスサノオからの試練を受けるが『誰かの助け』を受けることなく、試練を終える必要性がある。
が、大国主の神話ではねずの国(サイレント)でスゼリヒメと結ばれてしまう。
ここで
- 八上比売との約束を忘れて他の異性を選ぶ
- 試練を他の誰かに援助されて克服する
という状態になる為、依存が残ったまま他の誰かと結ばれていることになる。
この場合、
- 戻ってこない(スゼリヒメに奪われる)
- 戻ってくる為に奪い返す(八上比売がスゼリヒメ化し、奪い返す)
という道筋がある。自立した場合は『八上比売の元に戻ってくる』である。
つまりなんだが、八上比売のメンタルが『奪う』『奪われる』っていうエディプスコンプレックスだと、スゼリに奪われる。またはスゼリから奪い返すことになる。
大国主に甘えがあると、スゼリに流れてしまう。八上比売との約束が守れないこと、女にうつつを抜かすこと。女に助けてもらうこと。
結婚する男女の過程で、
- 奪って結婚する
- 奪い返して結婚する
- 約束を守って結婚する
の3種類があって、自立した男女とは約束を守って再会し、ふたりは結ばれる。これが出雲の試練のお話になる。
本来は、出会って奪い合いも関与せず、自立した男女として出会い、結ばれるということ。
ので、神話では根津の国にてスサノオが大国主を『クソ男』呼びしている。男じゃないから。
でも、スゼリの手助けで一人前認定されてしまうがゆえに結婚が許される。
つまり、男女の結婚って女に助けられてスサノオを騙して結婚することが可能なのだと思う。
大国主からすれば、スゼリが未熟なアニマ。未熟なアニマは男を助けて一人前にしない。だけれど、未熟なアニマを受け入れるとき、大国主はスサノオを騙して『一人前』になれる。
私は、
- 地上の人――私が八上姫
- 楽園の人――私がスゼリ姫
っていう役割をやっていると思う。
地上の人のとき、彼を待ち続けたが、彼はスゼリと出会い結ばれ、破局している。私は誰かと結ばれてたわけではないから対等とされず、地上の人とは結ばれない。(女性としての私)
楽園の人のとき、彼がやってきて、彼を手助けしようとするが我慢する。最後は別れを決める。これがスゼリとしての私。(母親としての私)
八上比売は、女性として誰かを一途に思う心。
スゼリ姫は、男の子を一人前に育てる女性。
今回は私という存在が『スゼリ』っていう点。たぶん、彼が去ったのは正解で戻ってこないのも正解なんだと思う。
私を必要としない、私を置いていなくなる。これが彼にとっての正解で、私にとっても正解だったんだろうなと思う。
スゼリの役割は『一人前の男性』に育てる役割であって、甘やかして自分がしがみついていくことではないのだと思われる。
また、大国主はスゼリをスサノオから奪うことになる。奪って手に入れるのがスゼリ。他にもいくつか『強奪品』があるわけで。
結婚ができたとは『奪うことに許可が出せること』になるが、奪えないっていう脆弱タイプもいるわけで。
そういうタイプは『価値』を手に入れないと結婚が出来ないのだと思われる(;’ω’∩)
自分を価値観させる、相手を価値化させる。その時、与えることで手に入れる。
まァ、だから、彼は元の世界に戻って八上姫と結婚するんじゃない。私の前に出会ってた印象深い女性の話もしていたから、そこに収まるんかね?
私は私で、また誰かと出会うし、次に出会う人は自立した対等な関係性だといいなって思う。
私の場合、
- 地上の人――八上比売(男性を奪い返さない)
- 楽園の人――スゼリ姫(男性を依存させない)
- サイレント――大国主
っていう感じでやってたかな。
八上比売は奪い返して結ばれている。スゼリ姫は依存させて結ばれている。未熟な八上と未熟なスゼリ。
でもどちらも女性のなかにある性質ってことだね。
成熟した八上姫は『価値がある女性(スゼリ姫)』。
成熟したスゼリ姫は『謙虚な女性(八上姫)』。
ってことですな。つまり表裏一体。
なとり、今、謙虚な女性( '֊’ )・・・・・・!!ホンマカイナ
地上の人のターンで『一途・待つ』ができると、最後に『価値がある女性(スゼリ)』になる。
次に価値がある女性として楽園の人に出会う。最後に、自分の価値を提示せず謙虚であること。このとき『謙虚な女性(八上)』になる。
図々しい――無価値(未熟)
価値――謙虚(成熟)
ここからすると、最終的に『あなたはどんな八上姫になりましたか』ってことなんだと思う。
図々しい姫なのか、遠慮がない姫なのか。価値がある姫なのか、謙虚な姫なのか。価値があるのか、ないのか。
男性からどのような女性として見られるのか――だと思う。で、それぞれ、未熟同士、成熟同士が繋がる。
なんで、男性にあんまり口出し手出しをしないようにしてんのか。
男はさ、いやでも社会で働かなきゃいけない。女は家庭に引こもることが出来るけれど、男はそうもいかんことが多い。
だからこそ、あんまり手出し口出しして、女の手助けがなきゃ一人前になれないっていうのは問題だよなって思ってた。
昔はわかってなかったよ(´・ε・`)でも、よく観察して『自分がどう立ち振る舞うべきか』について考えたら、やっぱり女が介入したらいけない部分があるなって思った。
師匠からも、その辺は躾られてて、ちゃんと立ち振る舞いは出来てたほうだと思うけれど「どうしてなのか」がわかるのはだいぶ後だったと思う。
与えることだけで人が成長するわけじゃない。
与えない方が人が成長することもある。
だから私は「答え」を与えたりしないことがたまにある。
知識はいくらでも与えるよ。
でも「答え」は与えていない。
自分で答えを見つけなきゃ。
それが自分を構成していく。
だからこのブログにも「答え」もなければ「正解」も書かれていないよ。
あるのは「間違い」と「知識」だけだと思った方がいい。
自分の答えを見つけられた人から大人になっていく。
人から与えられた答えを自分の答えだと思っているうちは、まだまだケツが青いんだよ(´・ε・`)
知性は知識ではないよ。知識が知性の人は、マジ、話がつまらない(´・ε・`)独りよがりすぎてつまらない。
知性と理性は違うよ。理性がない人とは話し合いもディベートもなりたたない。この世に正解などひとつもないことを理解することが「理」。
理の理解がないから「論破」なんていう下品な話し方しかできない。品がないって私は思ってる。
理性がある人は論破はしない。
彼らがするのはその人の視点にたって、その人が見ている世界を覗くことが出来る。これが第三の目にあたるもの。
あと否定されたときに「この世に正解はひとつもない」とか、自己防衛の武器にする輩もいるから書いておくけれど、正解はひとつもないけれど、ひとつだけ正解を書いておくよ。
「自分が不正解」ってことが常に正解ってこと。
理は、私たち自身の心の卑しさを押さえてくれるもの。
「やらない」ができる。
できるけれどやらない。
それが謙虚なんだよ。
だから私はできるけどやっていないことがある。図々しい人間になりたくねえからな。