因果応報の仕組み。自分を苦しめた人に同じように苦しんで欲しいならば。

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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被害者意識と加害者意識の話で、加害者が幸せになっているのがとっても嫌な気持ちになるっていう現象が起こりやすい。

私の姉は私をサンドバックにし続けていたんだが、今はベンツに乗って調子こいてますわ( ˇωˇ )っていう状態。

「現実的には幸せそう」に見えるわけなんだけど、彼女は自分のことは誰にも話さないんだそうですたい。そら、話したら離れていくと思うんだよ。だって、妹をサンドバックにして自殺にまで追い込んだんだから( ̄▽ ̄;)

言わないんじゃなくて言えないんだよなーって思う。

で、被害者意識側からして「私を苦しめたのにベンツに乗って幸せそうにしやがって:(っ`ω´c):グヌヌ」ってなってしまうわけなんだが、実際、この状態から抜けていく必要性がある。

被害者側が先に終わらせて、次に加害者側のターンがやってくる。

このメカニズムだが、被害者側が:(っ`ω´c):グヌヌしている間、相手は幸福な生活をしている状態が続きまする。だって:(っ`ω´c):グヌヌしてる意識が相手を幸福に押し上げてしまうんだ。

で、姉の場合、元夫からの恨みという:(っ`ω´c):グヌヌがとても強いから、姉がどんどん幸せの有頂天地獄に押し上げられてしまうのだ(;’ω’∩)

ちなみに私はあんまり:(っ`ω´c):グヌヌ力が低いのもあったのと、自分の人生を立て直すことのほうを重要視してたから、ぐぬぬをあまりしたことがない。つまり私の人生を壊した人を恨まなかったおかげで姉は私によって引き起こされた頂点人生はあんまりないと思われる(;’ω’∩)

今のベンツ生活は元夫の恨みによって成立してる。

私の方から有頂天にはされてないけど、業は回ってない( ˇωˇ )

因果応報っていうと思うんだ。

どうやって因果応報って回るのかって言うと、

  1. 被害者が加害者を恨む――加害者は有頂天の世界へ
  2. 被害者が被害者意識を辞める――加害者が「加害者」になる
  3. 加害者が地獄に落ちる

っていうカタチが因果応報メカニズム。

つまり、被害者が被害の意識がある時、加害者もまた被害者意識なのよ。被害者側が加害の意識を受け入れたとき、ようやく加害者は加害の意識を受け入れる。

なんていうか、自分の中にも加害者を加害者に仕立てあげようとする恨みがある限り、加害者はどんどん幸せになっていくんだ。反省もしないよ( ˇωˇ )

被害者側が加害者を加害者って言うように、加害者は被害者ヅラしてるんだよ( ˇωˇ )自分は悪くない、お前が悪いって加害者は言ってる。

加害者なのに被害者の顔してて、自分に問題があるとは思わないんだ。思わないし、加害者は被害者の意識で生きてるし、現実的に他人に加害をしていても無意識ではずっと被害者ってなってる。

だから、どうすりゃいいのかっていうと、加害者にまずは「加害の意識」を付けさせるためには真っ向勝負するしかない。

加害者っていうか、私の場合、心の被害者だから被害って何かっていうと「あなたからの影響を受けた」ってことなんだ。

言動とか行動とかからの影響を受けたんだよね。影響を受けたことによる結果、心の具合が悪くなったっていう仕組みになる。

加害者は影響を与えていることにガン無視状態が続いているんだよ。だからね、目の前で自分のせいで人が死んでも何も感じないのよ。そこまで人を追い詰めても何も感じないんだよね。影響を与えているっていう意識がない。

つまりね、私がサンドバックにされてたっていう言葉通り、姉にとって私は人じゃないんだよ。道具だし、殴ってもいいものって感じ。自分と同じ人間では無い感じかな。道理が外れた思考になっちゃう。

で、ここで被害者意識だけだと私たちは「あいつから影響を受けた!!」っていう部分は発達するんだけど「相手に打撃を与える」っていう影響は持ってないのよ。この打撃を与える影響を持ってないから、相手は問題ナッシング状態になってる。

だから、被害者側は影響を与えられる人になっていくっていうのが負をバネにして自分を高めるっていう感じかな。

ただ、因果応報メカニズム的には、被害者側が被害者意識を抜けてしまえば「相手は何も悪くないんだよ(  'ヮ’ )」っていう状態に至ってしまうと、加害した事実だけが残ってしまうんだ。

じゃァ、自分が悪いのかっていうと、何も悪いことしてないなら自責にもとらわれない。

自分が悪かったから相手は自分を傷つけたんだ・・・・・・とかにもならない。自分が影響しているっていう意識が被害者側に自負としてあるなら捨てた方がいいね。自殺したとしても彼らは自分のせいだとかなんて思わないから( ˇωˇ )自分が他者に影響を与えているってことに気づかない。

影響を受けて行動をしても意味が無い。怒っても意味が無いよ。怒られている意味とか理由とかも自分には無いっていう確固たる確信があるから話が通じない。影響による行動や心理には意味が無い。

精神の問題が残ってると、相手に因果応報のメカニズムは働かない。(つまりは影響を受けなきゃ相手にそっくりそのままかえるねん)

大事なのは精神の自分の中にある遺恨をすべて消化してしまえば、現実に「加害者だった事実」だけが残る。

事実は事実なのね。そこに精神的テーマが乗っかっちゃうと因果応報が働かない。

つまり、何やったのかはずーっとデータがあるんだけど、無意識が因果応報をブロックしちゃってる状態が「相手へ遺恨がある状態」。

 

因果応報は本当にあるのか――だが、因果応報が本当にあるのかを問うのではなく、因果応報をいかに起こすのか――を思考したほうが道は早い。

ゆっちゃァなんだが、因果応報って天の助けみたいなものではないんだ。「仕組み」なんだ。その仕組みがいかに動くのかを理解すれば、因果応報は働けるようにしてあげればいい。

だからすごく嫌なことされても、相手を許しているっていう意識がある人は、常に因果応報やってる。

あと何にも悪くないのに悪を押し付けられたりとかしたときとかはスーッって因果応報メカニズムが流れてっちゃう。

つまりは「道理がない」からスルーされちゃう。道理があるって思ってるねん。どっかでな。でも思ってなければスルーできるよ。だって道理がないんだもん。ないもんはないから受け取れない。

自分の中に因果応報を動かせない原因があれば、その原因が「遺恨」になってる可能性がある。

 

で、これが精神的成功と現実的成功って仕組みにも繋がっている。

現実的成功って誰かに恨まれてるから、誰かの幸せを体現することが「本当に幸せなのか」ってこと。

つまり、私の姉は元夫に恨まれてて、なんなら車が好きで、今は恨まれた姉がベンツに乗ってるんだけど、でもこれ、姉の望みではないんだよ( ˇωˇ )・・・・・・姉は別にベンツに乗りたいわけじゃない。

これって本当に「現実的成功」とか「本当の幸福」だと思える?

ここツインレイのブログだからツインレイに置き換えるけど、もしツインレイの誰かに恨みがあれば、自分の恨みの具現化をそのツインレイたちがすることになる。

で、ツインレイたちがもし幸せそうにしてたとして、裏には誰かの恨みがあって、その誰かの願いを叶えているツインレイたちは「本当に幸せなツインレイ」なのか。

現実的成功って精神的成功のうえに成立している。

精神的に幸せに満たされているとき、自分の望みが見えてくる。自分の望みを現実に自分で反映していくことが自己循環的なものなんだ。

因果応報メカニズムで、誰かに恨まれているから幸福な人達は、被害者側のメンタルが溶けちゃったら、加害者側の成功とか幸福はハリボテにように溶けて消えちゃうの。だって、他者の願いを自分の願いだと誤認してる。

で、こういう人達は基本的に「調子乗ってる」わけで、よく嫌われるねん( ˇωˇ )・・・・・・でも当人たち、自分は悪くないのよ。

被害者側の人たちに言えることは「あなたは何も悪くないよ」ってことかな。

人を殺すまでエネルギーを吸っている人たちもいるんだよ。それで成立した「自分」とか「得た幸福」とかって、全部、ハリボテだから( ˇωˇ )

ハリボテはハリボテだよ。いつかは壊れるもの。

被害者側の人達が恨んでいる限り、ハリボテは続いちゃう。

正直、姉に自殺にまで追い込まれた経緯があるけど、それで姉は大人になったけどね。姉は子供だよ。未だにね。

逆に私はどうだい? 随分とちゃんとした大人になれたんじゃないかなって思うんだ。

加害者側は「降って湧いたような幸福」を持ってるから、いつ壊れてもおかしくないケド。

被害者側の幸福は「自分で構築してきた幸福」を構築している。

だからさ、被害者側に言えることは「信じて」ってこと。ただ自分の力だけを信じて、自分に集中すること。

誰かのことが頭を離れない限り、被害者側はエネルギー吸われてんのよ。

でもね、ゆっちゃァなんだが、エネルギーを吸った分だけ、体の具合が悪い人多いはずだよ(;’ω’∩)

加害者は身体がどんどん壊れていく。

だって被害者意識だってネガティブなもので、それを根源にエネルギーを回してるんだから、最後にそのエネルギー供給がなくなったらどうなっちゃうよ(;’ω’∩)

このとき、相手に因果応報がまわることになる。

 

それでも人が困ってたら、被害者側の人は人を助けてあげればいいと思うよ。それがあなたの徳になるんだから。

って感じで、私は自殺にまで追い詰めてくれた姉に対して、めっちゃ優しかったっす(  'ヮ’ )おかげで徳をいただけた。

徳って心のあり方だとは思うんだけど、これやり続けてると「理」に触れられる。理が分かれば、人のことも自分のことも守れるようになる。

 

今回、私は姉を許し切った。っていうのも、姉に奪われていたものをすべて自分で再構築しきったから、対等になれたというか。

姉はハリボテだけど、私は壊れることの無い自我だよ( ˇωˇ )

恨み辛みがあってもいいよ。でも、それに囚われてはならない理由はここ。

どんなときも「自分の人生を」。でも、加害者側は「他人の願いの体現性の道具」だから、自分の望みが何かがすぐにわかるよ( ˇωˇ )

誰かを道具にしてる人は、本当は誰かの道具になってるんだよ。

やばくねえか(ㅎ.ㅎ )